現在では余り使われなくなった言葉に「左前」があります。
左前とは広辞苑によれば、
1.相手から見て左の衽(おくみ)を上にして衣服を着ること。普通の着方の反対で、死者の装束に用いる。但し、女子の洋服類は左前に仕立てる。
2.物事が順調に行かない事。運が悪くなること。経済的に苦しくなること。ひだりむき。
と説明しており、一般的には経済状態が悪くなってゆくこと。落ち目になること。の場合によく使われます。
不適切会計で東芝が世間を騒がせていますが、もし、これが中小企業ならば、昔で言うところの倒産の危機となりかねない「左前」となるところです。
「左前の由来」
この言葉の由来は着物の着方からです。
洋服の仕立ては男女で左右が違いますが、着物は洋服と異なり、男女とも右前に着ます。
この右前・左前の「前」とは「手前」のことで、左右どちら側の布地を先に自分の肌に密着させるかをいう言葉で、和服は着物の右の衽(おくみ)を手前にする所謂「右前」なのです。
ところが、死者となって葬儀が行われるとき、生者と区別し、生き返るのを防ぐ意味で、左前に着せますが、死装束(しにしょうぞく)が左前であることを、死ぬと財産がむだになることにかけて、財産が傾くことを「左前」というようになったということです。
(参考)
なお、衽(おくみ)とは、和服で、前の左右にあって、上は襟に続き、下は褄(つま)に至る半幅の布、所謂、上交(うわがい)のことです。
これが着物を左前に着たところです。(ネットより)
「右前の起源」
ではなぜ着物を右前に着るようになったのかというと、これには諸説ありますが、歴史的には、奈良時代の養老3年(719年)に出された「衣服令(えぶくりょう)」という法令の中にある「初令天下百姓右襟」という一文がその起源であるとされています。
この時から「庶民は右前に着なさい」とされ、これ以降、着物を右前に着ることが定着したものと考えられているそうです。
「その背景」
この背景には中国の思想の影響から、左の方が右より上位であったことから、位の高い高貴な人にだけ左前は許され、庶民は右前に着ていたという経緯があり、それに倣って聖徳太子がこれを日本でも普及させたのだとする説があるようです。
「死者が左前の訳」
一方、「左前は死人の装束だから」という解釈は少々誤解があって、元々これは死者を生者と区別するための風習からだそうです。
人は死ぬと平等なのだという思想から、誰でも死ぬと位が上がって神や仏に近づくとして、貴人と同じ左前に着せたということです。
なので、死者が左前に着物を着るから、縁起が悪いので左前に着ないというわけではないそうです。
今日は久しぶりに庭の花を取り上げます。
深みのある濃紫色の「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」の花が咲きました。
この花は光沢を帯びたとても美しい花です。
「シコンノボタン(紫紺野牡丹)」はノボタン科ティボウキナ属の常緑低木で、原産地は南米ブラジル地方、日本には19世紀頃に渡来しました。
「シコンノボタン」という名前は、花びらが紫色で、ボタン(牡丹)のように美しいことに由来しています。
また、雄しべの形が蜘蛛の足のように見えるところから「ブラジリアン・スパイダー・フラワー」の別名もあります。
・シコンノボタンの花と蕾です。
「シコンノボタン」の葉は楕円形で対生しており、産毛で覆われていることからビロードのような手触りがします。
花は五弁で、紫色の大輪花、オシベが長く飛び出しているのが特徴です。
一日花ですが、花つきがよく、毎日次々と花を咲かせます。
そして、花期は夏と秋ですが、耐寒性があることから霜の心配のない暖地では冬でもわずかながら花が見られるようです。
・シコンノボタンの蕾です。
有名な観光地に行ってみたらがっかりしたと云う経験はありませんか?
ある書物をめくっていたら、日本人観光客をがっかりさせる世界の観光名所、上位3カ所を記した「世界三大がっかり名所」と言うのがありました。
「世界三大名所」がどこかと言うことについては諸説ありますが、「世界三大がっかり名所」については、関係者の意見が一致しているのだそうです。
その三か所は、シンガポールのマーライオン、コペンハーゲンの人魚像、ブリュッセルの小便小僧だそうです。
そして次点にはシドニーのオペラハウスが挙げられているようです。
・シンガポールのマーライオン ・コペンハーゲンの人魚像 ・ブリュッセルの小便小僧
では、日本にも「がっかり名所」があるのでしょうか?
調べてみたらありました。
日本の「三大がっかり名所」は、札幌の時計台、高知のはりまや橋、そして長崎のオランダ坂の三か所だそうで、次点に沖縄の守礼門が入っていました。
世界と日本の「がっかり名所」に行かれた方も多いと思いますが、如何でしたか?
・札幌時計台 ・高知はりまや橋 ・長崎オランダ坂
ところで、日本人は「三大○○」と言う言葉が好きなようで、他にも色々な三大○○があります。
例えば、世界の三大美女と言えばクレオパトラ、楊貴妃、小野小町と言われています。
誰も見たことがない筈なのに、一体だれが決めたのでしょうか。
他にも、世界新三大夜景は、長崎、香港、モナコが2012年10月に長崎市で行われた「夜景サミット2012 in 長崎」において夜景鑑定士3500人へのアンケートを元に認定されています。
料理では、伝統的には中華料理、フランス料理、トルコ料理が、河川では、アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川が、そして世界三大通貨と言えば、アメリカドル、ユーロ、そして日本の円をいいます。
この他にも三大○○と言われているものはまだまだたくさんあります。
一方、日本の三大○○では、三大名山が富士山、立山、白山であり、河川では信濃川、利根川、石狩川、温泉では熱海温泉、白浜温泉(和歌山県)、別府温泉、三名城と言えば、熊本城、名古屋城、姫路城が知られているようです。
日本にもこれ以外に三大○○はたくさんあります。
日本人は本当に、上位3位までのランク付け、所謂「三大○○」が好きなようですね。
ご記憶されている方も多いと思います。
2000年3月28日から2005年12月28日まで放映されていたNHKの番組に「プロジェクトX ~挑戦者たち~」がありました。
番組内容は、主として終戦直後から高度経済成長期までの、産業・文化等の様々な分野において、製品開発プロジェクトなどが直面した難問をどのように克服し、成功に至ったかを紹介するドキュメントで、身近な自動車や家電を初め当時の日本経済を牽引した重厚長大産業、地図に残る公共事業(ハコモノ、橋梁)などが多く紹介されました。
放映当初は、NHKが題材となる企業・団体や従業員・商品名を実名で取り上げるという前例の無い演出スタイルが話題となり、瞬く間に高視聴率を記録し、人気番組の1つになりました。
また、ドキュメンタリー番組の意表を突いた田口トモロヲの独特の語りや、中島みゆきのオープニング主題歌「地上の星」も話題となりました。
現役時代に同業者との会合があった時、この歌を歌って閉会になると云う事もしばしばあって、当時は年配者の間でもよく歌われた曲でした。
その人気番組が終了して早や10年になります。
今日は当時を思い出して、オープニングの主題歌「地上の星」とエンディングのテーマ曲「ヘッドライト・テールライト」をお聴きいただきたいと思います。
・オープニング曲「地上の星」 中島みゆき
・エンディング曲「ヘッドライト・テールライト」 中島みゆき
大阪府泉南市の海水浴場「タルイサザンビーチ」で、昨年7月にアカウミガメの産卵が確認されました。
アカウミガメの産卵は2010年に11年ぶりに確認されましたが、その後は時々確認されているようであり、府と市は産卵場所をフェンスで囲うなどして保護に取り組んでいます。
ウミガメと言えば、皆さんよくご存知のおとぎ話に「浦島太郎」があります。
一般的に知られているストーリーは概ね次のようなものです。
「あらすじ」
『漁師の浦島太郎は、子供達が亀をいじめているところに遭遇します。
太郎が亀を助けると、亀は礼として太郎を竜宮城に連れて行きます。
竜宮城では乙姫様が浦島太郎を歓待します。
浦島太郎はそこで3年暮らしましたが、残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出ると、乙姫様は、自分は実は太郎に助けられた亀であったことを明かします。
そして、乙姫様は「決して開けてはならない」と言い伝えて玉手箱を渡します。
浦島太郎が亀に連れられ浜に帰ると、太郎が知っている人は誰もいませんでした。
絶望した太郎が玉手箱を開けると、中から煙が発生し、煙を浴びた太郎はたちまち老人になりました。
浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は3年間だったのですが、地上では700年もの年月が経っていたのです。』
おとぎ話はここで終わりになりますが、この後の浦島太郎がどのようになったのか、皆さまはお聞きになったことがありますか?
浦島太郎のその後については、文献や地方によって諸説ありますが、その中の一説は、室町時代に成立した短編物語『御伽草子(おとぎぞうし)』に、鶴に変身したことが書かれています。
それによれば、浦島太郎は鶴に変身して大空へ飛び立ちました。
故郷を出た浦島太郎は中国にあるとされる想像上の山、蓬莱山に辿り着き、そこで仙人になって亀と添い遂げたそうです。
亀と言うのは前述の通り、乙姫様の化身です。
その後、浦島太郎は再び丹後の国(現京都府北部)へ戻り、亀と共に夫婦の明神となったという民間伝承があるということです。
小さな子供さんやお孫さんがおられる方は聞かせてあげてみては如何でしょうか。
それにしても、浦島太郎は700年間遊んで暮らした揚句、乙姫様とまた暮らせるとは羨ましい人生を送りましたね。
1か月前は、大阪では11日連続で35度以上の猛暑日になるなどの厳しい暑さが続きました。
また、平均気温も平年に比べて1.8度高くなって、昭和36年に統計を取り始めてから、2番目に高い猛烈な暑さとなったそうです。
その暑さも台風15号と16号が去った後からはやや落ち着き、先月下旬からの秋雨前線の停滞に伴って平年を下回るような涼しい日が続いており、一気に秋が近づいたような気候となりました。
秋と言えば、私の畑の畦道には、秋の七草の一つ「ススキ」が穂を出して風に揺れており、ひと足早く秋を感じ取っているようです。
・開花したススキの穂です。
先日、某テレビでススキの開花の判断を解説していましたが、ススキの開花とは、葉鞘(ようしょう)即ち、葉柄の先、さや状のところから抜き出た穂が全体の20%に達した時、開花したと判断するのだそうです。
ススキは朝顔やコスモスと同じように日照時間が短くなると開花する短日植物です。
今年は西日本を中心にススキの開花が早くなっているようですが、これは日照不足が影響していると考えられているようです。
・この穂は既に8割方抜き出ており、この状態では開花です。
秋の七草の一つ「ススキ」の開花は、秋の足音が近づいていることを実感させてくれます。
ところで秋の七草をご存知でしょうか?
山上憶良が秋の七草を取り入れた和歌を残しているので参考までに書いておきます。
「萩の花 尾花(おばな) 葛(くず)花 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(をみなへし) また藤袴(ふじばかま) 朝貌(あさがほ)の花」 山上憶良(万葉集8巻1538)
(注)・尾花とはススキのことで、朝貌の花とは桔梗のことです。
・この画像の左端の穂は葉鞘からの出穂が始まったところであり、開花の判断には少し早いように思われます。
先日、某テレビ局が茨城県の牛久市にある牛久大仏を紹介していました。
この大仏はブロンズ製大仏立像で、全高120m、立像の高さは世界で3番目ですが、ブロンズ立像としては世界最大だそうで、浄土真宗 東本願寺派本山 東本願寺によって造られたそうです。
大仏と言えば、奈良東大寺の大仏さんが有名ですが、他にも鎌倉大仏を始め全国各地に立像や坐像が見られます。
でも大仏と呼ばれるための大きさの基準は何なのでしょうか?
釈迦(しゃか)の身長は一丈六尺(所謂、丈六(じょうろく)で約4.8mと言われており、仏像も丈六を基準とし、その5倍、10倍、また2分の1などに造像されます。
実際には座像の場合が多く、その高さは半分の八尺、約2.4mになっています。
この仏像を丈六仏といい、丈六仏より大きい仏像を「大仏」と呼ぶそうです。
ところで大仏様の頭はいずれもぶつぶつの丸い髪の毛で、まるでパンチパーマのような頭になっていますが、何故なのでしょうか?
実は、この髪は螺髪(らほつ)いい、所謂、大仏様のヘアーなのだそうです。
螺髪の「螺」という字は、巻き貝を意味しています。
・東大寺の大仏さまです(ネットより)
螺髪(らほつ)は、「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじゅうしゅこう)」の1つで、これは、釈迦が持つ常人と異なる32の大きな特徴と80の細かい特徴の事です。
「釈迦は普通の人間とは違う」という考えから、インドの伝説に出てくる転輪聖王(てんりんじょうおう:理想の人間像)の姿をモデルにして、様々な超人的特徴が考え出されました。
そして最終的に、三十二相八十種好としてまとまったと言われています。
螺髪自体は、かつてのインド上流階級の人々の髪型に由来しているようです。
奈良の大仏の螺髪の一つの大きさは、直径が約22cm、高さが約21cmもあり、重さは一つ1.2kgあって、これが頭に966個ありますが、この形は古代インドの王朝、クシャーナ時代にマトゥラーで造られていた仏像がこの髪型をしており、後に日本に伝わったものだそうです。
言い伝えでは、お釈迦様は髪の毛を3~4cmくらい伸ばしていたそうで、その1本1本が右に巻かれていていました。
各地の大仏の頭が螺髪になっているのは、このお釈迦様のヘアースタイルからきていて、巻き毛を表現したものだとも言われています。
大仏様の螺髪は一つ一つ造られ、頭につけられていきましたが、奈良の大仏様の螺髪966個を頭につけ終るまでに3年の月日がかかったそうです。
正月やお盆に孫たちが帰って来ると、よくトランプ遊びをします。
トランプはハート、クラブ、ダイヤ、スペードの4種類に各々1から13までの札がありますが、いずれも11から13は絵札となっています。
この絵札にはモデルとなっている人物がいるのですが、ご存じでしょうか?
トランプの「13」はキング、つまり王様です。そして「12」はクイーン、つまり女王様ですが、それでは「11」のジャックは誰のことなのでしょうか?
キング、クイーンの次は王子様と思われるかもしれませんが、実は「家来」と言う意味だそうです。
ジャック(Jack)を調べてみると召使い、職人、労働者の意味がありました。
・トランプのキング、クイーン、ジャックの絵札です。
ところで、これらのトランプの絵札には、モデルになっている人物がいると云うことなどで調べてみました。
その人物は下記の通りです。
「キング(13)」のモデル
・ハート・・・・西ローマ皇帝のシャルルマーニュ、(カール大帝とも)
・クラブ・・・・アレクサンダー大王、(ギリシア時代のマケドニア国王)
・ダイヤ・・・・ジュリアスシーザー、(カエサル、古代ローマの皇帝)
・スペード・・ダビデ王(『旧約聖書』の「列王記」に登場するソロモン王の父、古代イスラエル国王)
「クイーン(12)」のモデル
・ハート・・・・ユダヤの女戦士ジュディス、(『旧約聖書』外典の「ユディト記」に登場するユダヤの女戦士、又はカール大帝の子ルートヴィヒ1世の妻)
・クラブ・・・・女王アルジーヌ、(シャルル7世の妻であるアンジュー公女マリー、もしくは愛人のアニェ・ソレル)
・ダイヤ・・・・ヤコブの妻ラケル、(旧約聖書のヤコブの妻)
・スペード・・知恵と勇気の女神パラス(ギリシア神話の戦いの女神、ローマ神話ではミネルウァ)
「ジャック(11)」のモデル
・ハート・・・・英雄ライールス、(ジャンヌ・ダルクの戦友)
・クラブ・・・・円卓の騎士ランスロット、(「中世騎士物語」に登場するアーサー王に仕えた円卓の騎士の一人)
・ダイヤ・・・・シャルルマーニュの家来ヘクター、(ギリシア神話に登場するトロイの王子)
・スペード・・デンマークの英雄ホグラー(カール大帝の騎士)
単なる絵札かと思っていましたが、モデルとなった人物がいたのですね。
でもトランプの考案者はこのモデルをどのような基準で選んだのでしょうね。
気になります。
今日は大阪弁について調べました。
大阪弁というと、大阪人以外の商売人を始めとする皆さんは、必ずと言っていいほど「もうかりまっか」と言う言葉を思い浮かべるのではないでしょうか?
大阪の人が知り合いと偶然出会うと、これを挨拶がわりに使っていると思いこんでいる人も多いようです。
また、外国人が大阪で生活して覚えて帰る大阪弁は、「もうかりまっか、ぼちぼちでんな。大阪弁、ワカリマース」といった調子で、ジョークにされたりするようです。
このようなことから、一部の大阪弁は、今ではインターナショナルな日本語の仲間入りをしているようにも思われます。
この言葉には、商都大阪、町人文化のまち、銭金のことばかり考えている大阪人、といったイメージが集約されているとも言われています。
この言葉はビジネスの場では、ちょくちょく、潤滑油のように利用されています。
例えば、お得意さんに電話をかける時、相手が出てくると、「まいど!」と、元気に挨拶をし、続けて「どないでっか、もうかってまっか?」といった具合にコミュニケーションをとっていくのです。
別に深い意味はなく、大阪のひとたちはキャッチボールをするみたいに、こんな会話をぽんぽんと繰り返しています。
しかし、本当になんの意味のない、どうでも良い言葉かというと実はそうでもありません。
この言葉は商売相手の状況をそれとなく把握するソナー(船舶などの水中)探知機のような役目も持っています。
「もうかりまっか」と投げかけて、ちょっと返答にまごつく相手はよっぽどもうかっているか困窮しているか、何か隠し事や心配事がある証拠と想像します。
だから、「もうかりまっか?」と尋ねられてもおたおたしてはいけません。
もうかっていても「全然あきまへんわ」と煙に巻いたり、自転車操業でも、「へえ、きばってまっせー」と一発かましたり、腹のさぐり合いとばかし合いができないと大阪では生き残れません。
そういう意味で、「もうかりまっか」の対句となっている「ぼちぼちでんな」は実にぴったりの懐の深さを持った言葉のです。
いいのか悪いのか、どっちにもとれる曖昧模糊した返答の中に、一筋縄ではいかない浪速の商人のしたたかさが隠されている言葉なのです。
世界で最も権威のあるウイスキー賞と言われる「World Whiskies Awards(ワールドウイスキーアワード)」でニッカが製造する『竹鶴17年ピュアモルト』が、「ワールド・ベスト・ブレンデッドモルトウイスキー」を受賞し、“世界最高賞”のブレンデッドモルトウイスキー(ピュアモルトウイスキー)として認定されました。
『竹鶴17年ピュアモルト』が世界最高賞を受賞するのは、2012年、2014年に続き今回で3回目となります。
一方、英国の著名なガイドブック「ウイスキー・バイブル」2015年版が、サントリーの「山崎シェリーカスク2013」を世界最高のウイスキーに選出され、初めて最高賞に選ばれています。
日本の二大メーカーのウイスキーが本場のスコッチウイスキーの評価を凌駕して、世界最高賞を受賞したことに地元スコットランドでは大きなショックを受けているそうです。
このように世界的なコンテストで日本のウイスキーが高い評価を得ていることを受けて今、香港では日本のウイスキーが空前のブームになっているそうです。
先日のNHKの報道では、「軽井沢」という銘柄の52年物ウイスキーが、香港で行われたオークションで過去に例のない1100万円と言う価格がついたそうですが、一体、何故なのでしょうか?
TVの報道では、アジアの金融センター香港では、今、日本のウイスキーを扱うバーが次々オープンしており、100種類以上取り揃えるある店では、価格は1杯数千円、高いものでは数万円で提供しているということです。
店の店員は、「日本のウイスキーは飲みやすい。スコットランド産よりも甘くエレガント」と絶賛していました。
中には1本900万円するものもあるそうで、それが「軽井沢」と言う銘柄の52年物だそうです。
造っていた長野県の蒸留所は既に閉鎖され、この年代のものは世界に40本余りしか出回っていないとされています。
世界的なコンテストで今年も最高賞に選ばれるなど、国際的に評価が高まっている日本のウイスキーは、香港でも一昨年から昨年にかけて、輸入額が2倍近く増えており、地元のウイスキーの収集家は「メディアが日本のウイスキー受賞を伝えたため、香港の人たちが飲みたがっている」と語り、数の少ない年代物を中心に価格が高騰しているということです。
・1100万円の値段がついた「軽井沢」です。
更に、その背景にあるのは、投資対象としてのウイスキーだそうです。
ウイスキーは勿論飲んで楽しむものですが、ここ香港では投資の対象として人気が高まっており、先日香港で開かれたオークションでは、ブームを受けて、まだ余り知られていない日本の希少なウイスキーが更に値上がりすると見込んで、中国本土や東南アジアからの投資マネーが集まっていると云うことです。
出品されたウイスキーの7割以上が日本産で、その殆どが希少価値のある銘柄だそうです。
前述の香港のバーで1本900万円とされていた「軽井沢」の52年ものもオークションに出され、、電話でオークションに参加した二人の激しい競り合いになりました。
最終的な落札額は1本75万香港ドル(1100万円)余りで、落札したのは東南アジア出身の参加者だそうです。
シンガポールから参加した参加者は「軽井沢」のあの価格は予想外、クレージーな価格だ、と感想を述べていました。
また、埼玉県で製造された、「羽生」と言う銘柄は、年代別の54本セットで落札価格が4800万円に上ったそうです。
オークション主催者は「今年から中国本土のバイヤーが更に増えており、彼等は日本のウイスキーの値段は株価と違って下がらないと知っており、更に2割以上は値上がりすると思う」と話していました。
香港で繰り広げられる日本のウイスキー争奪戦、熱気は暫く治まる気配はなさそうと言うことでした。