今年は戦後70年の節目の年です。
70年前の昭和20年8月15日に終戦を迎え、10月7日には軍港から一転して引揚港に変貌した舞鶴港に引揚第1船の雲仙丸が入港しました。
舞鶴港はこの年から13年の間、海外の同胞66万余人の引揚者と1万6千余柱を迎え入れることになります。
今日ご紹介する「岸壁の母」は昭和25年から6年間、ナホトカからの引揚船が舞鶴港へ入港する都度、引揚げ桟橋にやってきては息子の姿を探し求めた端野いせさんの姿を歌ったものです。
・端野いせさんが佇(たたず)んだであろう「平(たいら)引揚桟橋」です。左側が「招霊碑」、右側に「語り部の鐘」があります。(2010年5月撮影)
もしやもしやと、桟橋にたたずんではひたすら息子の帰りを待った端野いせさん。
これを知った藤田まさとが端野さんに心を打たれて詩にし、平川浪竜が作曲した「岸壁の母」は昭和29年10月にレコーディングされ、菊池章子が歌って100万枚を超えるヒット曲となりました。
♪ 母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに ひかされて。
この歌はその後、昭和47年2月に二葉百合子が浪曲風に歌って復活し、250万枚を超える大ヒット曲となったそうです。
それでは、皆さんよくご存知の、二葉百合子が歌う「岸壁の母」をお聴きください。
「岸壁の母」 ・・・二葉百合子