ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

別れても怨んでない

2013-03-09 23:38:49 | Weblog
少し前、大原麗子さんのドラマをしていた。

大原麗子さんの全盛期ってあまり記憶がない。

入院していたりすると
当時は病室へのテレビの持ち込みが禁止だったので
テレビを見なくなるので世間から疎くなる。

透析に入った後も、ひたすら寝ていたので
テレビを見ることが少なかった。

私のそういう時期と大原麗子さんの全盛期が
重なっているのかもしれない。



ただ、いい年して自分のことを
「麗子」と言っていたことは覚えている。
違和感があったので覚えている。

あと、和装が多かったことも。

具体的に演じた役は覚えていない。




亡くなった時のことが知りたくて見た。

確か真夏で一週間連絡が取れなくなって
警察が見に行ったら亡くなっていたということを覚えている。

真夏に遺体を一週間放置。
どういう状態だったか。。



夏ではなかったけれど、
飯島愛さんの遺体がかなり悲惨な状態で見つかったと
週刊誌に出ていた。


よって、真夏の大原麗子さんは。。。。


当時の同僚は
「クーラーがあるから大丈夫よ」
といっていたけれど。。

クーラーいれても室温20度以下にすることはない。
冷蔵庫のお肉でも一週間冷蔵にいれていたら傷みますよ。
冷蔵庫の温度って5度前後だよね。

たとえ、クーラーを入れていても
20度では、常温と一緒で。。。。。。。

まして風通しの良い部屋でクーラーを入れなかったら。。。
体調不良でクーラーを入れなかったら。。。。



一人ぐらしの哀れってことで。。。
明日のわが身か。。。






当然、ドラマではそのことは触れていない。

ただ、死因が「不整脈による脳内出血」となっていて
死後3日だったとか。

つまり、不整脈で血栓ができてそれが脳に飛んで
脳血栓となり、そして詰まったところから血管が破れて
脳内出血となったということだと思う。

脳血栓となったとき、
大原麗子さんは体がしびれる病気をもっていたようなので
「いつもの病気」ととらえて
誰かを呼ぶことはなかったんだと思う。

そして動けなくなり意識がなくなって。。。。。。





大原麗子さんの全盛期を知らないので、
演技に対するイメージがないけれど、
ドラマを見て、プロ根性がすごい人と知った。
そしてプライドも高かった。
周囲がOKを出しても納得がいかなくて撮り直したことが
何度もあるという。
それが疎ましく思われて仕事のオファーが来なくなったのは
皮肉だ。



また、別れた御主人二人ともが葬儀に出席してくれるなんて
別れても怨みあうような別れ方をしたわけじゃなかったことが
彼女のすばらしさだと思う。



大原麗子さんの懐かしの動画をみつけたのでどうぞ。
この動画の時は離婚していたそうです。
それでも奥さんの仕事が来るなんてすごいな。

大原麗子 サントリー レッド・オールドCM集 (追加・再編集)
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