計算気象予報士の「知のテーパ」

旧名の「こんなの解けるかーっ!?」から改名しました。

問われるのは教育者の「資質」

2015年07月11日 | オピニオン・コメント
【岩手中2いじめ自殺】少年の母、憤りと悔しさ訴え 「ここまでひどいいじめとは…」「学校は『言うな』と箝口令」

 「教師や学校、さらには教育委員会がぐるになって生徒を見殺しにした」という事実は断固、糾弾に値します。さすがに、それは論を俟たないでしょう。

 しかし、どうにもわからないのです。
 ここまでわかりやすいSOSを出していたのに、「担任の教師はそのSOSを認識できていたのだろうか」という点です。

 報道を見る限り、素人の目にも「わかりやすいSOS」が出ていたのに、担任教師の赤ペンでのコメントは全く噛み合っていないように感じました。そもそも、生徒さんの心からの叫びを真正面から受け止めていないのでは、という違和感がぬぐえません。そもそも、人の気持ちや痛みを理解する能力なり社会性と言った、基本的なヒューマン・スキルが備わっていたのだろうか。

 もし、このSOSを正しく認識できていなかったのであれば、そもそも教師としての資質に問題があるように思います。いくら勉強だけができていても、人間のことがわかっていなければ、教師という仕事が務まるとは、とても思えないのです。そもそも、「社会人としてのコミュニケーション」が図れないのではないか、と感じました。

 また、もしこのSOSを正しく認識できていたならば、即刻、個別面談を行うなり、上司に報告するのが筋、と思うのです。社会人になって最初に研修で教わるのは「報告・連絡・相談」の所謂「ホウ・レン・ソウ」です。それを怠ったのであれば、列記とした「職務怠慢」です。もし、認識していたうえで放置していたのであれば、当該担任教師の免職も視野に検討すべきでしょう。このような方からはポストを剥奪して、もっと教育への情熱のある教師の卵達にこそ、そのポスト(空席)を譲って差し上げた方が宜しいかと存じます。

 そして何より、担任を含め、学校および教育委員会の対応に誠意というものが感じられないのです。学校は、いつから教育を担う「お役所」になってしまったのでしょうか。公的機関ではあっても、単なる「お役所」とは違います。教師もまた公務員の身分であるわけですが、その仕事までもが、単なる「事務的なお役所仕事」になっているような印象を受けました。

 私はこれまで、何人かの「情熱的な教師先生」に出会ってきました。もちろん「お役所仕事」や「のんべんだらり」のような方もいました。しかし、ここまで「教師」として、それ以前に「社会人」としての、根本的な資質に疑問を感じる人はいなかったと思います。

 まず、担任教師に言いたい。
 今すぐ辞表を書きなさい。貴方に教師は務まらない。

 学校長および教育委員会に言いたい。
 責任を取ること。それが上に立つ者の務めです。
コメント
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