退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「バランス」について

2013-11-16 02:59:36 | Weblog
くもりのち晴れ。雨もパラパラ。

昨日も寝てしまったのは何のせいか。
そろそろ意識と身体のバランスの「誤差」が大きくなりつつあるのかも。

松浦武四郎「アイヌ人物誌」を読む。

池澤夏樹もあとがきで書いているように
ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を思わせる内容。

いずれもその記述はあまりに簡潔すぎて「現代人」にはいささか物足りない。
ただし「善良な」アイヌの人々の多くは黙々と「奴隷」となって死んでいく。

その様子はほとんど「数字」でしか示されないけれど
確実に減る人数がその酷烈さを物語る仕組み。

その一方で「和人の毒牙」を逃れた人々が
病気や熊との戦いの中で文字通り「身体を腐らせながら」暮らす姿もなかなか。

古典や漢籍を引き合いに出して
アイヌの人々の「孝」や「忠」あるいは「豪傑ぶり」を描いた著者の思いを知ろう。

少し気になるのは池澤直樹のあとがきの他の部分。
「経済的合理性」からすればアイヌの人々を「生かす」方が「理にかなうはず」というところ。

彼ら彼女らを「道具」として見れば「使い捨て」にするのはむしろ「必然」。
現代でもそれは同じで「日雇い」を「育てよう」とする動きなどまずないだろう。

彼の思う「合理」と当時の「和人」の「合理」
あるいは「貧困ビジネス」や「派遣労働」における「合理」が違うだけのこと。

「農耕と共に、特に穀物という保存可能な財の登場と共に、人間の倫理観は鈍麻し、
欲望は際限もなくふくれ上がったのである」というのもいかがなものか。

当人が「ずいぶん大雑把な論の立てかただが」と断りを入れているものの
あまりに大雑把すぎてどうも。

本書では敢えて「立派なアイヌの人々」を採り上げていることからもわかるように
人はそれほど単純ではないはず。

いたずらに「理想郷」を見てしまうことに
もう少し用心深くあってもいいのではないか。
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「ある種の合理性」について

2013-11-14 02:39:44 | Weblog
晴れ。おだやか。

「都市は人類最高の発明である」読了。

後半はかなり流し読む。
参考にする部分は参考にしよう。

訳者山形浩生のあとがきを読めばOK。
本文はむしろいたずらに饒舌すぎるはず。

小説なら主人公の変遷をたどるのに「長さ」が必要だけれど
何事かを説くならもっと短くできるという「文章の経済合理性」を大切に。

映画なら90分が最適。
もちろん「例外」があることは忘れずに。

たとえば南方熊楠ならその「饒舌」こそが面白かったりするものの
そこはそれ「博学」と「文章の才」があればこそ。

「秀才の勤勉」は「天才の余滴」に及ばず。
事実は常に無残なほど淡泊ということで。

さて。

都市が「それぞれの才能の集まる場所」として機能するとはいえ
結局は人と人との間にどういう「交わり」があるかということ。

その種の「サロン」があれば一定の「文化」は生まれるのか。

なるほど東浩紀が「ISED」で目指したのはそういうことだと思えば納得。
ただし「ベスト&ブライテスト」で失敗したベトナム戦争の例もあり。

思いがけない「出会い」が脳内ニューロンの発火同様の効果をもたらすとして
それを「組織」するコーディネーターの存在が重要になるのだとしておこう。

将棋でなくとも大切なのは「ハブ」。
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「更年期あるいは成長できないこと」について

2013-11-13 02:32:42 | Weblog
晴れ。コートを着て出かける。

昨日もPCつけっぱなしで寝てしまう。
何に疲れているのか。

そのせいか妙にイライラして過ごす。
「更年期」ということにしておこう。

エドワード・グレイザー「都市は人類最高の発明である 」を途中まで読む。

「発展」は「牽引車としての都市」がもたらすという内容。
「貧困」に対する厚い「手当」が実はさらなる貧困を呼び寄せる「逆説」がポイント。

その主張はわかるものの「どこか間違っている」というのが正直な感想。
というより「発展=善」という「基準」が無前提にありそうだから。

今どきの話題で考えれば「オバマケア」に対するティーパーティーの「反発」に似ているような。
他人にあれこれ言われたくないのはわかるが医療が常に「高額」であるのはマズイだろう。

「人権」を考えるならある程度の治療については「平等」でなければならないはず。
「生存権」という考え方がなぜ生まれたのかを思い出す必要がありそうなのだが。

とはいえ。

身近な若者たちを見ていると
「自ら好んでダメな方向へ進んでいる」という「事実」もある。

「恋愛至上主義」ではないけれど
「好きキライ」であれこれ判断しすぎる上にいったん「キライ」になると異様に「理解力」が落ちる。

おまけに眠くなったり身体の調子が悪くなったりという「実害」を伴うので厄介極まりない。
目の前のあれこれにいたずらに一喜一憂する性質も。

要は「ダメ」ということに尽きるものの
まるで「自らの愚かさ」を見せつけられているようでついつい腹立たしくなる次第。

ここでも「大人」になりきれない自分が顔を見せているようで。
いやはや「成長する」のは難しい。
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「めんどくさいこと」について2

2013-11-11 02:40:46 | Weblog
くもりときどき雨。図書館へは行く。

昨夜はPCをつけっぱなしで寝てしまう。
そんなに疲れているつもりはないのだけれど。

犬山紙子・峰なゆか「邪道モテ! オンナの王道をゆけない女子のための新・モテ論」を読む。

「モテる=承認」だと思うと現状「常に見られる立場」の女子は厳しそう。
学生時代に「大人びている」とモテないというのには納得。

ただし「ナチュラル・メイク」を含めて「後天的」にもどうにかなる模様。
たいていの男子は気付かないと。

それにしてもまあ女子はあれこれ考えていること。
なるほど男子は「いい気なもの」かもしれない。

どうやら基本は「ちょいダサ」を含む「かわいげ」と「ギャップ」。
要は「男子の妄想」とどう「付き合う」かということか。

むしろここまでくると「ひとりでいる方がラクじゃね?」という疑問が浮かび上がる。
もちろんいたずらに「高飛車」になるのは困るけれど。

どう思ってどう行動しようが「自由」。
それぞれに「困難」はあれどもできるだけ楽しく暮らしたいことに変わりはなく。

「育ってきた『歴史』」が人格を作ることだけは確か。
互いに「ふむふむ」と思える関係であれば。

個人的には「鈍感極まりない」ので
「なるほどそういうことだったのか」と思うことしきり。

とはいえ正直「めんどくさい」。
実はそのひと言に尽きたりして。
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「ふむふむ」ということについて2

2013-11-09 02:59:31 | Weblog
晴れ。おだやか。

出久根達郎「古本綺譚」を読む。

名前だけは知っていて今回初めて読んだ著者は相当の「手練れ」。
とりわけ夢野久作を思わせる「狂聖・芦原将軍探索行」がいい。

何より今では使われなくなった言葉の数々に出会うのがうれしく
あらためて自分の「不勉強」に思い至った次第。

以前ひとり暮らしをしていた場所は
古本屋と大きな図書館が近いという理由で選んだのだけれど。

本書にあるような「濃厚な出会い」も「お付き合い」もないままに終わったのは
ひとえに不徳のなせる業だと思うのみ。

どうも「物語」を引き寄せる「才能」がないらしいので
こればかりはあきらめるよりなさそう。

もっともその種のものに「出会い」そうになると
妙に腰が引ける「体質」に問題があるのかも。

あ。

唐突に思い出したわけでもないのだが
昨日書いた「ねごと」の「シンクロマニカ」について。

耳に残るタイトル部分がミヒマルGT「気分上々」の冒頭と同じ。
AKB48の「フライング・ゲット」のそれがサザンの「勝手にシンドバッド」に「似ている」のとはちがう。

だからどうということはなく「よくあること」でもある。
アリス「明日への賛歌」のそれはビートルズ「Don't let me down」だったり。

あくまで話のネタということでよろしく。
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「女子力」について

2013-11-08 03:24:24 | Weblog
雨のちくもりときどき晴れ。女心と秋の空か。

本は読んだが期待はずれに終わったので封印。
「メリハリ」がない文章は苦しい。

深夜TVアニメ「ガリレイ・ドンナ」を久方ぶりに観る。

登場人物にも物語にも特に思い入れはないけれど
金魚型の飛行船のような「メカ」がいい。

昔のPCのヘルプに出てきたイルカのような役割をする金魚も同様。
水の中から出てきてあれこれ喋るのが面白いところ。

ガールズ・バンド「ねごと」のオープニング曲は悪くない。
知り合いの若い男子がファンなのもちょいとだけわかったような。

「シンクロ」と「いつのまにか」をくっつけたタイトル
シンクロマニカ」という語感の「スッキリ」がなかなか。

「いつのまにかシンクロしてしまった」という
いかにも現代風な感覚を見事に表していると思えた次第。

その一方。

若い女子が校門前でスカート丈をチェックする教師たちに憤慨するので
集団で思いっきり短いスカートを履いて「突破する」ことを提案する。

次から次へと来ればどうしようもないだろうというのがミソ。
結果はどうあれ「一生の思い出になるよ」と言っておく。

ついでに「Leave us alone=ほっとけ」と書いたパンツを見せる「前衛」があればなおいい。
もちろん「前夜の作戦会議」の楽しみもあることだし。

いささかの「勇気」は必要だろうが
そこはそれ女子だもの。

今どき「本物の男気」を見せられるの女子だということにしておく。
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「無駄遣い」について

2013-11-07 03:31:01 | Weblog
くもり。夜に少しだけ降る。

アレックス・ベントランド「正直シグナル」を読む。

「正直シグナル」は4つあるらしい。

1.影響力=注意・寛容
2.ミミクリ(模倣)=共感
3.活動レベル=関心
4.一貫性(もしくは変動性)=思考の集中・意図の持続をそれぞれ表す。

これらの組み合わせで表される「打診・傾聴・協調・主導」といった「社会的シグナル」があり
それらを分析することでその人の「社会的あるいは集団内の役割」が推測できるとのこと。

また社会的シグナルは役割選択をもたらし集団の意思決定を導くのだとも。
そしてそれははじめの数十秒、数分間のデータ解析でその後の相互作用をかなり予測できると。

残念ながらこちらの読後の「正直シグナル」は
こうしたことを可能にする「技術」に「So,what=で?」という反応しか示さなかった。

要は「商売」や「個人・集団の統制」に利用されるだけじゃんということ。
「サブプライム・ローン」なる「インチキ商品」を生み出した「金融工学」に似た印象。

「優れた個人」を超えた「集団のよりよい選択」を生み出すという「理想」はわからないでもないが
われわれがもっと「下世話な存在」であることを忘れすぎている気がするのだが如何。

「立派なお勉強」をした挙句が「結局は金」ということになりがちな現在
この種の「新技術」に魅力を感じる向きは少なくない予感もするし。

そもそも「知性」は本来もっと「人の役に立つもの」でなければならないはず。
「貧困」を減らしたり「砂漠の緑化」に取り組む方が清々しい。

いたずらな「頭のよさ」はむしろ「害」になることもあることを知っておいてもいいだろう。
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「黒」について

2013-11-06 03:36:25 | Weblog
晴れ。おだやか。

星川淳「日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか」を読む。

「調査捕鯨もしくは科学」という名の下に
国民が大して必要としてもいないクジラを捕り続ける「からくり」がここに。

ただ煽るだけのメディアのせいでその「実情」は伝わらず
「雰囲気」のみが先行してアンケート結果も微妙なことになっている模様。

特定の「権益集団」のためにすべてが「歪む」のが
残念ながらわが国の通例。

いったいこの「磁場」はどこまで力を持ち続けるのか。
結局何度もこの「バカバカしさ」を噛みしめることになる。

繰り返すが「世はいかさま」。
その中で生きるしかないことをあらためて感じた次第。

深夜藤城清治の影絵を久方ぶりに見る。

透明感と冷たい空気と凛々しい色彩にしばしうっとり。
やはり「キレイなもの」はいい。

梶井基次郎の「檸檬」に出てくる果物屋の屋台のイメージ。
どちらも「黒」が基調になっているのがポイント。

日頃「煤けたもの」ばかり見ているせいか
「美しさ」に出会うとうれしいもの。

小学生だった昔
部活の帰りに民家の煙突から出る火の粉をじっと見ていたりしたことを思い出す。

すっかり暗くなった冬の空に舞う風情が素敵で
おそらく「花火」を見ているような気分だったのだろう。

この種の「現実逃避」の味わいを知ってしまうと
なかなか「現世」に戻れなくなる「危険」もあるのでご注意を。
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「廃墟と秋」について

2013-11-05 03:07:03 | Weblog
晴れ。少し風が吹く。

谷川渥「廃墟の美学」を読む。

久方ぶりに知らない固有名詞満載の本で
澁澤龍彦の作品を河出文庫で集めていたことを思い出したりした次第。

ただし個人的にはやはり廃墟はカラーで見たいところ。
小さな白黒写真ではいささか物足りない感じがする。

もっとも「西洋における『廃墟』の変遷」の紹介なので仕方がない。
そのあたりはネットであれこれ検索するべきか。

とりあえず「こんなところ」。
あとはそれぞれに想像を膨らませればよさそう。

この種の趣味は現在で言えば「セカイ系」ということになるのかも。
そこで興味が合えば楽しむこともできるだろう。

今日は何だかひどく落ち込んでいて出かける前は大丈夫かと思うほどだったのだが
いざ仕事を始めたらそんな気分はどこへやら。

「脳内化学物質の影響」だということにしてみたり。
とはいえ原因は不明のままだけれど。

あるいはようやく感じ始めた「晩秋」のせいにしようか。
風景にいささか「荒涼」が交じっていたということで。

今年も残りふた月。

月末には仕事場での飲み会があるので
とりあえずそれまで何とかしのげれば。

「秋風秋雨人を愁殺す」ということもあるので各自お気を付けを。
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「女子とヤンキー」について

2013-11-04 02:21:49 | Weblog
くもり。夕方にはパラパラ夜にちょいと降る。

昨夜も眠くなって寝てしまう。
ほぼ「廃人」か。

「女子会2.0」を読む。

「女子会」というものが喧伝されるのは実は残念なこと。
なぜなら「男子抜き」でないと話せない内容が多いようだから。

21世紀に「性別」であれこれあるというのは何とも「時代遅れ」。
まして別々になってしまうのは残念というよりない。

本書で興味深かったのは「センス」というのが実は「どうしようもない差異」だということ。
「どうしようもない」という意味は「育った環境による」と理解していただきたい。

わが国では相変わらず「ヤンキー文化」が「主流」。
なぜなら「ヤンキー」を生み出す「土壌」が常に「再生産」されているから。

個人的には「ヤンキー=田舎もしくは郊外で弾かれた存在」だと思っている。
それらの場所には「隠れる所」がなく周囲からの「制約」が厳しい。

もちろん理解のない親のいる家には居たくないので「居場所」はない。
「電車」もあまりないので「夜の交通手段」として「原付」あるいは「バイク」を求めることになる。

「先輩」が彼ら彼女らを受け入れ「居場所」ができる。
学校は面白くないし「今までにない楽しさ」も覚えてしまえばあとは一直線。

実は「ヤンキー」を生み出すのは「学校」と「地域」という「制度」。
その「単純」に気付けば「再生産」も終わるはずなのだが。

これがなかなか難しいようで。

「男女の仲」同様に結局は「コミュニケーション」。
いつでも「話ができる相手」でいたいものではある。

ただ「肝心な時」に「無神経」だったりするので
できる限り「慎重」に接する気持ちはあるのだと言っておく。
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