退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「紙一重であること」について

2013-11-17 02:32:57 | Weblog
晴れ。暖かいというか室内は暑い。

森炎「量刑相場」を読む。

あらゆる「理不尽」を経験した人々は
「法」という形式でそれをどうにかしようとした。

ただし「法」はやがて自ら「独立」し
「歴史」や「現実」を忘れた人々によって運用されることになり。

わが国では「裁判」がまだまだ「真実を明らかにする場」として認識されている模様。
実は「真実」をよそに限られた相手にいかに「説得力」を持つかというゲームにすぎない。

量刑のあれこれも確かに興味深いけれど
「一瞬の気の迷い」で犯罪に至る人の「はかなさ」がむしろ印象に残る。

実際に犯罪にならなくても
ひとつ間違えばそうなっていてもおかしくないことは誰しも覚えがあるはず。

その「皮一枚」を意識すれば
おそらく犯罪に対する感覚も変わってくるのではないか。

そして犯罪以上の「罪を犯すこと」も。
それでも「合法的」でありうるというのが微妙なところ。

「未必の故意」が連鎖して
とんでもない事件が起きるというのは小説によくあるパターンで。

一方「何事も起きないこと」を同様に思えば
「世界」や「日常」は「奇跡」となる。

明日目が覚めること。
その「当然」が「思い込み」にすぎない「リアル」を味わおう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする