くもりのち晴れ。雨もパラパラ。
昨日も寝てしまったのは何のせいか。
そろそろ意識と身体のバランスの「誤差」が大きくなりつつあるのかも。
松浦武四郎「アイヌ人物誌」を読む。
池澤夏樹もあとがきで書いているように
ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を思わせる内容。
いずれもその記述はあまりに簡潔すぎて「現代人」にはいささか物足りない。
ただし「善良な」アイヌの人々の多くは黙々と「奴隷」となって死んでいく。
その様子はほとんど「数字」でしか示されないけれど
確実に減る人数がその酷烈さを物語る仕組み。
その一方で「和人の毒牙」を逃れた人々が
病気や熊との戦いの中で文字通り「身体を腐らせながら」暮らす姿もなかなか。
古典や漢籍を引き合いに出して
アイヌの人々の「孝」や「忠」あるいは「豪傑ぶり」を描いた著者の思いを知ろう。
少し気になるのは池澤直樹のあとがきの他の部分。
「経済的合理性」からすればアイヌの人々を「生かす」方が「理にかなうはず」というところ。
彼ら彼女らを「道具」として見れば「使い捨て」にするのはむしろ「必然」。
現代でもそれは同じで「日雇い」を「育てよう」とする動きなどまずないだろう。
彼の思う「合理」と当時の「和人」の「合理」
あるいは「貧困ビジネス」や「派遣労働」における「合理」が違うだけのこと。
「農耕と共に、特に穀物という保存可能な財の登場と共に、人間の倫理観は鈍麻し、
欲望は際限もなくふくれ上がったのである」というのもいかがなものか。
当人が「ずいぶん大雑把な論の立てかただが」と断りを入れているものの
あまりに大雑把すぎてどうも。
本書では敢えて「立派なアイヌの人々」を採り上げていることからもわかるように
人はそれほど単純ではないはず。
いたずらに「理想郷」を見てしまうことに
もう少し用心深くあってもいいのではないか。
昨日も寝てしまったのは何のせいか。
そろそろ意識と身体のバランスの「誤差」が大きくなりつつあるのかも。
松浦武四郎「アイヌ人物誌」を読む。
池澤夏樹もあとがきで書いているように
ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を思わせる内容。
いずれもその記述はあまりに簡潔すぎて「現代人」にはいささか物足りない。
ただし「善良な」アイヌの人々の多くは黙々と「奴隷」となって死んでいく。
その様子はほとんど「数字」でしか示されないけれど
確実に減る人数がその酷烈さを物語る仕組み。
その一方で「和人の毒牙」を逃れた人々が
病気や熊との戦いの中で文字通り「身体を腐らせながら」暮らす姿もなかなか。
古典や漢籍を引き合いに出して
アイヌの人々の「孝」や「忠」あるいは「豪傑ぶり」を描いた著者の思いを知ろう。
少し気になるのは池澤直樹のあとがきの他の部分。
「経済的合理性」からすればアイヌの人々を「生かす」方が「理にかなうはず」というところ。
彼ら彼女らを「道具」として見れば「使い捨て」にするのはむしろ「必然」。
現代でもそれは同じで「日雇い」を「育てよう」とする動きなどまずないだろう。
彼の思う「合理」と当時の「和人」の「合理」
あるいは「貧困ビジネス」や「派遣労働」における「合理」が違うだけのこと。
「農耕と共に、特に穀物という保存可能な財の登場と共に、人間の倫理観は鈍麻し、
欲望は際限もなくふくれ上がったのである」というのもいかがなものか。
当人が「ずいぶん大雑把な論の立てかただが」と断りを入れているものの
あまりに大雑把すぎてどうも。
本書では敢えて「立派なアイヌの人々」を採り上げていることからもわかるように
人はそれほど単純ではないはず。
いたずらに「理想郷」を見てしまうことに
もう少し用心深くあってもいいのではないか。