退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「意味と祈り」について

2013-11-21 02:14:35 | Weblog
晴れ。そろそろ冬の気配。

「近代ヨーロッパ史」読了。

第一次大戦でおしまい。
後半はいささか軽い印象で終わる。

とはいえ参考文献のリストを見ると
なるほど最低限これくらい読まないとダメだということはわかる。

これでまた本切れ。
明日また古本屋で仕込みをしないと。

アル中ニコ中活字中。
いずれの「毒」との縁も切れそうにないのだけれど肝心なところが。

それはそれとして。

「門前の小僧習わぬ経を読む」を地で行く若い女子について。
彼女は言葉の持つ意味を捨てて「音」と「順序」のみですべてに対応しようとしている。

それは彼女なりの「最善策」だとして。
なぜ彼女が「意味を捨てた」のかが気になる。

そのあたりについて具体的な情報は何もないので推測するのみ。
単純に考えれば彼女は「意味不明なもの」と接触しすぎたのだろう。

もちろん当初は「理解」しようとしたものの
どこかで「もう無理」と思ったゆえのことだと解釈しておく。

わかりやすく言えば「お前が好き」と言いつつとてもそうは思えない「行動」をする親とか。
混乱の末に「意味」を探るのをあきらめるのが「日常」になったということで。

「意味あるもの」を与えられずに過ごした年月が彼女を育てた。
とりあえずそういう結論にしておく。

それでも彼女は笑う。
全く「意味」を捨てたわけでもないのは明らかではある。

その笑顔は悪くない。
ならば彼女を笑わせたくなる気持ちも生まれてくるというもの。

やがて彼女が「意味」をあれこれ知るようになることを祈る。
そして「楽しく暮らせる」ように。
コメント
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