退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ある種の合理性」について

2013-11-14 02:39:44 | Weblog
晴れ。おだやか。

「都市は人類最高の発明である」読了。

後半はかなり流し読む。
参考にする部分は参考にしよう。

訳者山形浩生のあとがきを読めばOK。
本文はむしろいたずらに饒舌すぎるはず。

小説なら主人公の変遷をたどるのに「長さ」が必要だけれど
何事かを説くならもっと短くできるという「文章の経済合理性」を大切に。

映画なら90分が最適。
もちろん「例外」があることは忘れずに。

たとえば南方熊楠ならその「饒舌」こそが面白かったりするものの
そこはそれ「博学」と「文章の才」があればこそ。

「秀才の勤勉」は「天才の余滴」に及ばず。
事実は常に無残なほど淡泊ということで。

さて。

都市が「それぞれの才能の集まる場所」として機能するとはいえ
結局は人と人との間にどういう「交わり」があるかということ。

その種の「サロン」があれば一定の「文化」は生まれるのか。

なるほど東浩紀が「ISED」で目指したのはそういうことだと思えば納得。
ただし「ベスト&ブライテスト」で失敗したベトナム戦争の例もあり。

思いがけない「出会い」が脳内ニューロンの発火同様の効果をもたらすとして
それを「組織」するコーディネーターの存在が重要になるのだとしておこう。

将棋でなくとも大切なのは「ハブ」。
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