退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「保守」について

2013-11-01 03:24:53 | Weblog
『くもり。まだ寒さはない。

昨夜は布団に入ってゴソゴソしているうちに眠ってしまった。
歯医者に行ったが親知らずは結局「放置プレイ」に。

福田恆存「私の恋愛教室」を読む。

たとえばイスラム教は「一夫多妻制」であり
「一夫一婦制」を作ったのはキリスト教であることは間違いない。

「神への愛」の行き過ぎた「一対一の理想」は「精神と肉体の分離」を生み出し
後世にその「反発」として「自由な欲求」や「性欲を科学する」という「極端」に至った模様。

それを明治に「輸入」したわが国は伝統的に「色事」としての「性」は日常。
いたずらに「恋愛」に「精神」が持ち込まれることになったのだと。

ここでも「中庸」は置き去りにされて
いずれともなく「両極端」に走ったままどうやら現在に至る。

そもそも「不可解=非合理的」なものを強引に「合理的」にまとめるのは
むしろ「その正体」をさらに見せなくすることになるという「論理」は明快。

抑圧するのも奔放にするのも実はよろしくなく
「適当に飼い馴らす」あたりがいい按配らしい。』

と書いて連日寝てしまう。
やはり「休日」は身体に悪いのか。

千谷道雄「秀十郎夜話」を読む。

歌舞伎の世界で生涯「黒衣=くろご」をつとめた人を描いた作品。
土門拳の写真で見る当人の面構えはさすがにシブイ。

裕福な家に生まれつつも没落の一途をたどった結果
好きでしかたない「役者の道」を選んだ男のあれこれ。

「名題=看板役者」になりたいという欲を捨てないまま
「分」をわきまえてじっとすべきことをする姿は現在にないもの。

たとえ身は零落しようともその「意気地」が素敵。
「光と影」が「一対」のものであることがよくわかる。

今となってはその語り口も味わい深く。
「負け組の美学」を学びたい向きには是非。

この種の人々が支えているものの「大きさ」を知っておくのもいいはず。
コメント
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