退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「残念な映画と切り口の新しい『評価』そしてあれこれ言いたくなる映画」について

2018-02-15 02:41:26 | Weblog
晴れ。寒さは緩む。

久方ぶりの有給休暇。

近所のシネコンで「リング/リバース」と迷って吉田大八「羊の木」(’18)を観る。
原作が山上たつひこ&いがらしみきおだというのに惹かれたのだけれど。

原作との違いは未読なので不明。
ただ映画は残念な出来。

「過疎化対策」に「元殺人犯」を利用するという設定に「衝撃」はあるものの
6人を「紹介」するという「王道パターン」に楽しさがなく。

北村一輝、優香、市川実日子、田中泯、松田龍平を使ってこれはないだろう。
水澤紳吾は悪くなかったけれどエピソードの処理が微妙で。

おまけに松田龍平の最期たるや。
おそらくはマンガの世界であり得た「雰囲気」が「ただの実写」になることで消えてしまい。

それぞれの俳優の「イメージ」をなぞるだけの演出にはガッカリ。
この監督にはどこか「根本的な勘違い」があるとしか思えない次第。

マイク・モラスキー「戦後日本のジャズ文化 映画・文学・アングラ」を途中まで読む。

「文化の高低」の度合いを基準にするのにふむふむ。
かつて「ジャズ」は「外国音楽の総称」であったことを知っておこう。

その音楽は「国内にはない『自由』」を感じさせた模様。
ジャズにあまり親しまないまま「本質」を捉えた五木寛之の小説が懐かしい。

相倉久人や平岡正明は「女性」を排除していたというのに「そうか」。
わが国のジャズの歴史においては圧倒的に「秋吉敏子」が重要だというのに。

明日読了予定だが結末が楽しみ。

「口直し」というわけでもないがGyaoで白石和彌「凶悪」(’13)を観る。

何人も殺した暴力団のピエール瀧の死刑囚が雑誌記者の山田孝之に「告白」して
自分以上の「悪玉」リリー・フランキーを「有罪」に持ち込むお話。

取材にのめり込み今まで以上に「認知症の母を妻に任せたままにする」ジャーナリストよ。
池脇千鶴の妻の「死んだ人の魂なんてどうだっていい」という叫びがなかなか。

「自分を裏切る奴は許せない」という信条の下で
シンプルで圧倒的な暴力を奮いつつ殺人の後で線香を焚く存在の不思議さよ。

その彼を「どうにも憎めないのよね」という妻もいる。
彼女はすべての事情を知っていて。

「突き抜けた世界」において一番「暴力的」だったのは主人公だったり。
あるいは借金を重ねた夫の保険金で自分たちの「今後」を維持しようとする家族など。

「凶悪」とは何なのかと問うかたち。
ならばラストがあれでよかったのかと思うことしきり。

むしろ夫婦は別れるのが「本当」ではないのか。
その一点は疑問だけれどいろんな意味で「刺激的」な作品でグッド。

少なくとも「あれこれ言いたくなる複雑さ」を味わえるのは確か。
「脇役の地味さ=普通さ」が「リアルさ」を保証しているのも忘れずに。

それとは別に白川和子と吉村実子が「現役」なのがうれしい。
前者はかつての「ロマンポルノの女王」で後者は今村昌平作品の常連。
コメント
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