退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「現実を知らない『妄想』の害と未来を作る『妄想』の可能性」について

2018-02-06 02:07:29 | Weblog
晴れときどきくもり。雪もちらつく。

雨宮処凛「女子と貧困 乗り越え、助け合うために」を読む。

原発事故による「棄民」とネグレクト、「最低賃金」と「奨学金という名の重い借金」、
「機会平等」を奪う生活保護あるいはキャバクラユニオン、育児ハラスメント、

「昭和幻想」に生きるオヤジの有害さと「シングルマザーになった理由の真実」など。
「現場の要求」に応えることの少ない政治と行政よ。

この種の現実に対してあまりに「鈍感な人々」が多すぎる模様。
それが「人生の後半」を迎えている男女であることが多いのも同様に。

いたずらに「こうでなければならない」という「視野の狭さ」で
若い女性たちを苦しめるのはいい加減にやめないとどうにも。

何より「現実を知ること」。
その「最低限の共有」がなければどうにもならず。

「価値判断」などその後でいくらでもできるのだから。
その上で「どうしたらよりマシな現実を作り出せるのか」の「知恵比べ」をしたいもの。

程度の差はあれ「世は常にジャングル」。
だからこそメディアは「ごく限られた『幸せ』」を描くのが「基本」。

例えば自動車関係のCMが懲りることなく採り上げるのは「幸福な家族の姿」だったり。
そこには「自動車など無い方がいい」という考えは決して描かれない「当然」がある。

「幸せの『イメージ』を現実化する」ためにはこの商品が必要ですよと誘うのみ。
本来は「ホントかよ」というツッコミがなされてしかるべきではあるけれど。

あらためて特定の何事かがなぜもてはやされるのかという理由のシンプルさを思い出そう。
要は「希少価値」。

もっとも厳密に言えばそこらに転がっている石も「唯一無二の存在」であるはず。
どこかに「インチキ」があるくらいに思わないと。

「失われた」からこそ「重要」だと言われる仕組みも時代を問わず。
「経験したこともない過去=妄想」を夢見るより「新たな好ましい現実」を作らないとどうにも。

さて。

「経済的な逼迫」はそうした「余裕」を失わせる。
その事実を噛みしめたいもの。

ただしそこに「孤立」がなければ違う展開も十分にありうる。
いずれ「妄想」なら好ましいものを。
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