退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「オリジナルとコピーあるいは観察者の倫理」について

2018-02-10 02:19:16 | Weblog
晴れ。寒さはやや緩む。

エルンスト・ファン・デ・ウェテリンク「レンブラント」を観て読む。

光の魔術と圧倒的な質感で迫る作品の数々。
とりわけ「金色の光」が素敵。

たとえそれらを生かすために鮮やかな色彩を禁じることになっても。
漆黒があらゆる色を「輝かせる」ことにもなり。

本書の最後に載っている「議論」が面白い。
「オリジナル」にこだわる者と「コピー」こそ「オリジナル」を求めさせるという者と。

「原画」がある国の美術館にしかないのだとしたら
それを観られる人々は「特権」を持っていることになる模様。

もちろんときどきは「展覧会」で観ることはできるのだとして。
映画もそうなのだが作者が望んだ形で観られないことが多いのは確か。

活字なら基本は「コピー」なのでそうしたこともないのだけれど。
もっとも「生原稿」をありがたがる向きもある。

その点「版画」や「写真」は大量生産できたり。
ベンヤミンは「アウラ=オーラ」が凋落すると言った模様。

「複製技術時代の芸術作品」を読んで確認するか
それとも仲正昌樹「ヴァルター・ベンヤミン」を読むことにしようか。

ただし。

あらゆる作品は「こちらの都合(年齢や境遇もしくは体調)」によって「変化」するので
「オリジナル」に一度接触したからといって味わい尽くせるものでもなく。

もちろん複数回接すれば「印象」も変わるだろうから何が「本当」かは不明のまま。
その「刺激」によって生み出された「反応」が素敵ならいいだけかもしれず。

そうしたことをすべて「承知の上」であらためて「一期一会」の意味を考えよう。
われわれは常にあらゆるものに「試されている」のだと言っていいのかも。

「世界の問いかけ」にきちんと応えられるのかどうか。
「観察者の倫理」はおそらくそこから生まれるはず。
コメント
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