退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「限界」について

2012-10-20 03:43:03 | Weblog
秋晴れ。気持ちいい。

夕べはソウルバーへ。
久方ぶりの知り合いと談笑。

彼が娘の中学受験について
「女の子だからそんなにしなくても」というのに苦笑する。

結局食べ物を注文できずじまいで
帰宅後コンビニで買ったソバを食べあれこれするうちに爆睡。

江藤淳・蓮實重彦「オールドファッション 普通の会話」を再読。

レベルは相当違うけれど何やら江藤淳のようなことを言っている自分に気付かされる。
たとえば「貧しさ」についてとか。

それを自らの「階級の限界」だと「恥を知る」のが蓮實重彦の態度。
いずれも相当な「ブルジョワ」であるのは間違いなく。

ただしこの種の会話の「豊かさ」というものについては
あってもいいのではないかと言いたくなる「濃密さ」がある。

引き続き田中亜希子「満足できない女たち アラフォーは何を求めているか」を読む。

いやはや何とも元気な女性たちのエネルギーに驚く。
とはいえ「地域限定」の話ではないかという思いがよぎる。

おそらくは著者の取材範囲が「首都の比較的恵まれた女性」に絞られすぎているせいか。
「男性(夫)の理解のなさ」はよくわかるけれど。

どこを取っても「自らの限界」にぶち当たるという解釈をしておく。
もちろん自戒を込めての話。

だからこそ「他人の存在」が重要だということで。
「自分探し」がやめられないならむしろ「他人を知る」という形が望ましい。

さて。

他人の「決めつけ」によって揺らぐような「自分」は「自分らしさ」ではない。
そもそも「自分らしさ」は探すものでもないことをあらためて言っておくことにする。
コメント
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