退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ユルさ」について

2012-10-04 02:41:02 | Weblog
くもりときどき晴れ。だったはず。

マックス・ウェーバー「権力と支配」を読み直す。

有名な支配の三つのパターン「合法的」「伝統的」「カリスマ的」を再確認する。
「概念」が多くてゴツゴツする文体はやはり慣れるまで時間がかかる。

官僚制についてのあれこれは
まだまだ理解できないところがある感じ。

いわゆる「腑に落ちる」ところまでいっていない。
もちろんこちらの読解力不足と読み取りのいい加減さによるもの。

おそらくまた何度か読み返すことになるだろう。
その種の魅力を持つものが「古典」だから。

そもそも読み返す気になる作品は
ジャンルを問わずそうそうあるものでもなく。

とはいえ生来の「怠惰」ゆえどこまでできるかは不明のまま。
「自由に学ぶ」のは楽しいもののその「歩み」はあくまで鈍い。

深夜に台湾ドラマ「僕のsweet devil」を観る。

いかにも「ユルい雰囲気」が飲みながらの鑑賞にピッタリ。
シュープリームス「恋は焦らず」を「換骨奪胎」した主題歌も同様。

今回はバタバタしていた主人公ふたりがようやく「両想い」になるところ。
ただし彼女の方が交通事故に遭う予告からするとこの先はややこしいことになりそう。

観てはいないけれど「冬のソナタ」あたりのパターンを取り入れたのか。
「涙々の後のハッピーエンド」が待っている「悪寒」が濃厚。

「恋愛ドラマ」を盛り上げるためには「越えがたい障害」が必要だとして
そこで「作為」をいかに「不作為」にするかもしくはそう思わせるかが重要。

問われるのはその時々の「ロマンチックの在り方」にどう沿うかで
「視聴者との共犯関係」が成立すればそれで「成功」。

「誰もが自分を愛しているだけの哀しいゲームさ」と歌ったのは南佳孝だったか。
「want you」と「won't you」の違いは案外大きい。
コメント
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