退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「歴史」について

2012-10-17 03:00:48 | Weblog
晴れ。今日もやや暑い。

「プルードン・セレクション」を読む。

「財産は盗みだ」という台詞が有名なアナーキストの文章。
なるほどここから「アソシエーション=生産消費組合」は始まったのか。

「信用」を貨幣にも国家にも置かない姿勢はむしろ清々しく
その実現可能性を試してみたくなる気持ちもうなずける。

何よりも重んじるのは「自由」で
あらゆる「支配」を拒絶するのがポイント。

ただし場所を問わず発生するのが「政治」だとするなら
「ユートピア=どこにもない場所」と評価されても仕方がないか。

ルイ・ナポレオンをまるで「救世主」のようにみなした当時のフランス国民は
まさかそれが21世紀の日本で「小泉」という首相によって繰り返されるとは思ってもみなかったろう。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として二度目は喜劇として」と言ったのはマルクス。
時空を超えて当てはまるその「事実」を思い起こせば「歴史」の重要性がわかるかも。

「古典」を読むと「現代の空虚」が浮かび上がる。
というより「人は学ばない」と言ったほうがシンプルでわかりやすいけれど。

さて。

パキスタンでは思いがけず「ジャンヌ・ダルク」が登場し
銃撃されたことで彼女の「地位」はますます確固たるものになる展開。

「女性に教育を受けさせない」という意味不明な信条を持つタリバンは
彼女を撃つことがむしろ自らの立場をあやういものにすることに気付かなかった模様。

それが「伝統」のためならそんな伝統はなくなってもいいだろうと思うものの
わが国の「伝統」を思うと他人事とも思えないのが残念。

「めんどくさいこと」は抜きにして
それぞれがいいと思う「実験」をすればいいのではないか。

そのためにも「集団」は規模の小さい方が無難。
いたずらに大きくなると「制御」できなくなるはずだから。

いずれ「制御」できないものは
原子力同様使わないことが望ましい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする