退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「侮蔑」について

2012-10-14 03:32:42 | Weblog
晴れかくもりか。雲が広がる空。

ペーター・スローターダイク「大衆の侮蔑」を読むものの
解説の仲正昌樹に頼らないと何がなにやらという始末。

頭に内容が入ってこないところからすると
どうやら疲れているのだと判断する。

深夜「着信アリ」を再見。

「ひとりひとりに空はあるのよ」といった内容の台詞が印象に残る。
「他人から見た不幸の極み」も当人にすればそうでもないということか。

結局主人公柴咲コウは自らの虐待体験のなせる業か
友人たちを次々と殺した「怨念」と一体化してしまった模様。

「飴玉」もポイントで
ラストで堤真一はそれを飲み込むことによって「異常事態」を「受け入れる」。

実際に虐待を受けていた「しゃべれない」はずの幼い娘も
「飴玉をもらったこと」をまるで「いいこと」のように語り。

ついつい「ホラー」として吹石一恵が自ら首をねじ切るシーンに注目してしまいがちだけれど
「それぞれが納得していればどんなことでもアリなのだ」という「テーマ」を感じたり。

以前に観たときに気付かなかったことについてあれこれ。
ほとんど「違う作品」のように思えるのに驚いた次第。

不確かな記憶によれば当時は「つまらない作品」だと思ったはず。
いやはや「何を観ていたのか」と思わざるをえず。

これだから自分には信用できないところがある。
もっとも「あまりに信用できる自分」はそもそも疑わしいのだが。
コメント
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