晴れかくもりか。雲が広がる空。
ペーター・スローターダイク「大衆の侮蔑」を読むものの
解説の仲正昌樹に頼らないと何がなにやらという始末。
頭に内容が入ってこないところからすると
どうやら疲れているのだと判断する。
深夜「着信アリ」を再見。
「ひとりひとりに空はあるのよ」といった内容の台詞が印象に残る。
「他人から見た不幸の極み」も当人にすればそうでもないということか。
結局主人公柴咲コウは自らの虐待体験のなせる業か
友人たちを次々と殺した「怨念」と一体化してしまった模様。
「飴玉」もポイントで
ラストで堤真一はそれを飲み込むことによって「異常事態」を「受け入れる」。
実際に虐待を受けていた「しゃべれない」はずの幼い娘も
「飴玉をもらったこと」をまるで「いいこと」のように語り。
ついつい「ホラー」として吹石一恵が自ら首をねじ切るシーンに注目してしまいがちだけれど
「それぞれが納得していればどんなことでもアリなのだ」という「テーマ」を感じたり。
以前に観たときに気付かなかったことについてあれこれ。
ほとんど「違う作品」のように思えるのに驚いた次第。
不確かな記憶によれば当時は「つまらない作品」だと思ったはず。
いやはや「何を観ていたのか」と思わざるをえず。
これだから自分には信用できないところがある。
もっとも「あまりに信用できる自分」はそもそも疑わしいのだが。
ペーター・スローターダイク「大衆の侮蔑」を読むものの
解説の仲正昌樹に頼らないと何がなにやらという始末。
頭に内容が入ってこないところからすると
どうやら疲れているのだと判断する。
深夜「着信アリ」を再見。
「ひとりひとりに空はあるのよ」といった内容の台詞が印象に残る。
「他人から見た不幸の極み」も当人にすればそうでもないということか。
結局主人公柴咲コウは自らの虐待体験のなせる業か
友人たちを次々と殺した「怨念」と一体化してしまった模様。
「飴玉」もポイントで
ラストで堤真一はそれを飲み込むことによって「異常事態」を「受け入れる」。
実際に虐待を受けていた「しゃべれない」はずの幼い娘も
「飴玉をもらったこと」をまるで「いいこと」のように語り。
ついつい「ホラー」として吹石一恵が自ら首をねじ切るシーンに注目してしまいがちだけれど
「それぞれが納得していればどんなことでもアリなのだ」という「テーマ」を感じたり。
以前に観たときに気付かなかったことについてあれこれ。
ほとんど「違う作品」のように思えるのに驚いた次第。
不確かな記憶によれば当時は「つまらない作品」だと思ったはず。
いやはや「何を観ていたのか」と思わざるをえず。
これだから自分には信用できないところがある。
もっとも「あまりに信用できる自分」はそもそも疑わしいのだが。