山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

母の習性

2018-08-19 09:06:12 | 日記2018
お盆前に実家に行って、何度か母とぶつかり、大げんかにもなり、改めて同居はできないなと思いました。
お互いに精神衛生上よくないです。

その1つの意見の相違ケース。

昼にお客さんが3人来る予定。こちらは、母と夫と私で合計6人。

私と夫が買い出しなどして帰宅すると、母がグラスを用意していたのですが、それが5個。
「1つ足りないじゃない」と言って、もうひとつ出そうとすると、
母は「同じのがないから」という。
「別に同じじゃなくてもいいでしょ」
母「私は要らないから」
私「要らないなんて、水分とらなきゃダメだし、お母さんだけ飲んでなかったら、お客さんがどう思うの?」
母「いいだよ、5個あれば」
私「よくないでしょ、人数分そろえるべきだよ。昔からそうなんだから」

そうして、昔のことを思い出すのだ。

夏休みになると、親戚がたくさんやってきた。うちが海に近いので海水浴に来るのである。
そうすると、カルピスやジュースなどを出すんだけど、いつも1人分足りないのだ。

まずはお客さんに配られ、そして家族の分が1つ足りない。
「あれっ、飛鳥ちゃんは飲まないの?」と親戚の人が気づく。
「ああ、いいのいいのこの子は飲まないから」
「えっ、そうなの?飛鳥ちゃんカルピスきらいか?」

私はその後は、毎年部屋の隅や廊下など、なるべく目立たないところに居るようになり、中学くらいになったら、自分の部屋にこもって寝た振りをして、年下の従妹が会いにきても起きなかったりした。

母は、飲まない人もいるし、人数分用意するのはもったいないとか、カルピスが足りなかったとか、なぜか知らないが何かが足りないのだ。
孫に洋服など作ってくれたこともあり、とても器用で優しいのだが、なぜかボタンだけはあり合わせの古いものがついていたりした。なぜ服に合ったボタンを買ってこないのだろうか。

最後の詰めがケチなのである。
たとえば5個入りのお菓子が売っていて、7人の人が居れば2袋買うだろうけど、母の場合は3個余ることが耐えられない人間なんだろう。

結局、母自身が、自分が食べないから、飲まないから良いといっても、子どもの頃は、私がその場から消えることで、客の意識をそらしていたのだった。

たとえ無駄になるとはいえ、人数分以上、ちゃんと用意しなよというのは、私が結婚してから主張するようになったと思う。
それでも、母の習性は変わらないんだな。
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