軌道エレベーター派

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軌道エレベーターと宗教

2014-12-16 21:37:34 | その他の雑記
 先日「軌道エレベーターが登場するお話」で『マザーズ・タワー』を扱った際、「軌道エレベーターの実現主体として、宗教団体は有力候補だと考えている」と書きましたが、そのことについてもう少し詳しく書きたいと思います。すなわち、軌道エレベーターを最初に実現する主体は誰か?

 あくまで私見ですが、一番現実味がありそうなのは、いくつかの有力国家と、各国の企業などでつくる国際コンソーシアムではないかと考えています。複数の国家同士のすり合わせで合意形成と関連条約の締結がなされ、その後押しを受けた各国の企業や団体を含めて共同事業体をつくる。現実でいうと、英仏海峡トンネルを造ったTransmanche Linkなどが例です。軌道エレベーターの場合は安全保障に大きく関わるので、この場合の有力国家とは、政治・軍事面でイニシアチブを持つ国家を当然含むことになるでしょう。
 もちろんその前段階として、実現のための委員会などの組織作りがくるわけですが。ただし国連のような既存の国際機関は、小説などでは軌道エレベーターの建設主体としてよく登場するのですが、大国の隠れ簑に使われることはあっても、真の意味での主体としてはかなり可能性が低いと考えます。そもそも国連の意思決定は安保理常任理事国=第二次大戦の戦勝国兼核大国が牛耳ってるんだし、国連は収益性のある資産の保有などできないしね。この点については、いずれ稿を改めて論じたいと思っています。

 で、ここからが本題になりますが、このほかに軽視できない候補の一つが宗教団体なんですよね。特定の信仰やカリスマの下で、熱狂的な団結力と資金力を有し、職種や階層の垣根を越えて社会を蚕食しながら影響力を発揮する。地域のコミュニティから国家レベルまで、政財界や様々な産業にシンパを配し、多面的な「力」を有する集団としては、相当な有力候補ではないかと。
 それに宗教と巨大建造物ってよくセットになるもので、現に日本国内だけでも、ドデカイ宗教施設や偶像って山ほどあるじゃないですか。茨城県牛久市の「牛久大仏」なんて、「ブロンズ製の仏像」としては世界一の大きさなんだとか。しかも、記紀にも登場する天之御柱なり、ジェイコブズ・ラダーなり、バベルの塔なりに見るように、「天へ届く塔」はいろんな宗教や神話に共通するシンボル的概念ですから、信仰厚い人々が軌道エレベーターを造るというモチベーションをいったん得てしまったら、一般人・組織人なら諦めてしまうハードルを突き崩し、強引に実現させるかも知れません。つまり、トンデモない非常識なことを平気でやる、と(身に覚えが。。。)。
 まー仮に私が宗教団体の教祖だとして、「信仰と権威の強化のために軌道エレベーターが欲しい」と思ったら、各国政府や研究機関、企業などに信徒を潜り込ませたり、多額の献金をしたりして、表向きは公益のために建造させます。で、出来上がったら今度は軌道エレベーターにかかわる部署を信徒や同志だらけにして、事実上乗っ取ってしまうことを考えるでしょうね。

 一方で宗教が持つ厄介な性質が、排他性が強くて嫉妬深く、異なる信仰との共存を認めることが極めて少ないということです。そういう信仰を持つ思想集団からすると、もし誰かほかの存在がシンボルとしての軌道エレベーターを造ろうとなったら、自分たちの権威を損ねるとして反対の声を上げることでしょう。そりゃ面白くないよなあ。
 軌道エレベーターを造る反動が最も大きくなる瞬間というのは、それが現実味を帯びた時だと思われますが、その反対の声を上げる壁としても、宗教は大きな候補となるに違いありません。そして同じ信仰を持つ集団の中にも、穏健派も急進派もいるものですから、原理主義的でファナティックな勢力は、いずれ破壊工作を行う予備軍にもなりうるでしょう。

 断っておきますが、私個人は無神論者で、神も仏も、死後の世界も輪廻転生もまったく信じていません。この軌道エレベーター派も、いかなる信仰も支持するものではありません。しかし、人は誰でも何かしら拠り所を欲するものですから、宗教が多くの人にとって重要な意味を持つのは、むしろ自然なことだと考えています。それだけに、自分たちで軌道エレベーターを造りかねないほど大きな力を発揮もすれば、歴史上ほとんどの戦争に宗教が関係しているように、対立の種になると非常に根深いものにもなりうると考えるわけです。

 科学と宗教の兼ね合いについては、以前こんなことを書いたことがありますが、軌道エレベーターという「科学」は、現存する宗教・信仰と共存や棲み分けをする上で、有利な取引材料を持っていないように思えます。今のところ、軌道エレベーターの議論に、宗教はほとんど登場しませんが、実現を目指すのであれば、多くの宗教との擦り合わせは避けて通れない道になるに違いありません。
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