軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

軌道エレベーターが登場するお話(23) 三体 その2

2021-09-25 11:03:44 | 軌道エレベーターが登場するお話


三体
劉 慈欣
(日本語訳は2019年 早川書房)


「三体」を取り上げて3回に分けて書くうちの2回目です。今回も重要なネタバレがありますので、未読の方はご注意ください。その1とその3はこちら↓
1. 本作に登場する軌道エレベーター
3. 人物描写について

2. ストーリーについて
 本作では、太陽系から4.3光年の距離にあるケンタウルス座アルファ星系にある、三連星の周囲を公転する惑星の文明人(以下「三体人」)が、地球からの電波を受信して存在を知ります。彼らの母星は、周回する恒星がいわゆる三体運動(特殊解以外に運動方程式が未解明で、三つの恒星がどのような運動をするのか予想ができない)をしています。
 三体運動のため極寒や灼熱の環境が不規則に訪れる過酷な環境にあり、安定した環境を持つ地球への関心と、後述する安全保障上の猜疑心から、三体人は地球を侵略するために艦隊を差し向けます。相対論的限界から、艦隊が到着するまで数百年かかるので、第1部、2部ではそれまでの間の地球での出来事や人類の対応がメインストーリーになります。
 情報量が膨大で、面白いところもツッコミどころもありすぎるくらいなので、いくつかに絞ります。

(1) “ファースト”・コンタクト作品ではない
 以前本作に触れた際、「これだけ落胆し、なおかつこれだけ面白く先へ先へと読ませるSF小説は久しぶり」と書いたのですが、理由を書く時が来ました。

 私はSF作品の中でも、いわゆるファース・トコンタクトを描いた作品に興味があります。地球外知的生命に初めて接した際、人類はいかにコミュニケーションを確立するのか? 異なる文明からのメッセージを、どうやって解読するのか? ファースト・コンタクト物はそこを描いてなんぼであり、作者はどんなアイデアや想像力を見せてくれるのかを楽しみにしてきました。
 で、本作についてある雑誌に「ファースト・コンタクトがテーマ」と書かれていて、俄然期待して読み始めました。

 本作では1960年代、中国の極秘プロジェクトで建設された「紅岸基地」が、宇宙に電波を送信。それを受け取った三体文明からの返信を、およそ8年後に受信します。紅岸基地のコンピュータは、この人類初の地球外知的生命からのメッセージ(しかも単なる挨拶ではなく危機的感情が込められた警告)を、瞬時に解読してしまう。

 ( ゚д゚)

↑こうなったの私だけじゃないよね? ちなみに解読後ほどなく、返信も出しちゃいます。地球の言葉の翻訳機さえなかった時代に。中国科学院スゲエエエエ!
 第3部を読むと、この時のやり取りには、メッセージに解読の手引きのような部分が含まれていたらしいことが示唆されるのですが、その解読ツールはどうやって解読するのか? たとえば単純な二進法を使ったとしても、何回ものやりとりを経て対照表のようなものを作って、ようやく双方向のやりとりが確立するものではないのか? 凡庸な一読者の理解が及ばない方法があるのかも知れませんが、私はそれを見たかったんです。

 言語はもちろん生物学的器質や思考パターンが異なり、まったく接触のない、そもそも言語を有するかどうかさえわからない相手に通じうる概念といえば、自然数や原子量、物理定数など極めて限定的でしょう。「0」を伝えることすら極めて困難に違いない。
 私はファースト・コンタクトSFの最高峰は、カール・セーガン博士の「コンタクト」だと思っていますが、同作では1と素数、つまり1、2、3、5、7。。。と自然現象では発生しえないパターンの信号を最初に電波で送ることで、自分たちが知的文明だということを地球人に伝えます。ある日突然、主人公の務める電波天文台が、強力な素数の電波を受信する場面は、読者を最高に興奮させるツカミです。

 この素数を送るやり方を、本作でも第3部で、三体文明とは異なる未知の知的存在に対して行う場面が出てきますが、これは三体文明を認識してから100年以上後の話で、20世紀の方があっさり意思疎通しちゃっている。
 本作は“コンタクト”ではあっても“ファースト”に重きを置く作品ではないことを知りました。ていうか最後まで三体人と直接コンタクト=第三種接近遭遇しないんだわ!せめてなぜ嘘がつけないのかくらい知りたかったよ←あまりに重要なネタバレなので白く反転しておきます。これから読む人はスルーしてください。 
 そんなわけで、肩透かしをくらったのでありました。


(2) ヘンな小説
 ほかにも「そんなことが可能なのか?」と思ってもまったく説明がないネタ(たとえば全宇宙共通で三体文明の座標を示す方法など)が、本作にはけっこうあるんですよね。そのせいか、「なんかヘンだよこの小説!?」と感じてなりません。
 ファンの皆さんすみません。貶めているわけではないのですが、自分の根っこの感覚がそう訴えてかけてくるんです。しかしそれでも読むのを止めなかったのは、こうしたご都合主義を補って余りある面白さが横溢していたからです。
 非常に多くのSFネタを取り入れている本作は、SFガジェットのカタログのような一面があり、「細かいことはいいんだよ」という描き方も多い。実際、それぞれを過剰に掘り下げて物語を作るとツッコミどころが増え、ハードSFなどが好きな読者から失笑を買いかねないところを、決してギャグには堕さないバランスを巧みに保っているように見えます。結果としてちょっとヘンなんですが、それを読者をひきつける磁力にしています。

 何より「続きが早く読みたい」と思わせる展開に、終始引き込まれます。たとえば第1部で、化学者の汪森(ワン・ミャオ)の視界に、ある日カウントダウンのような数字が現れるという、オカルト現象みたいなことが起き、さらには最先端の物理実験がこぞって破綻してしまう事態も生じて、「三体文明の仕業なのか? 一体どうやって?」と読み進まずにはいられない。その意味で第1部はミステリーの要素が強いとも言えます。

 三体人は侵略艦隊の到着に先んじて、「智子(ソフォン)」という特殊な手段(詳しくは読んでほしいが、このアイデアは本当に面白い。智子を開発できる科学力があるなら、母星の環境改造くらい簡単にできそうなものですが)で地球人の情報を収集し、科学技術の発展も停滞させます。
 混乱はこの智子の仕業なのですが、さらに三体人と内通する地球人組織も存在し、地球人社会が三体人によって蚕食されている実態が明らかになっていきます。智子によって情報も技術も丸裸にされた状態で、いかに三体艦隊を迎え撃つ術を見いだすのか。この展開が、先へ先へと読ませる引力にあふれています。

(3) 黒暗森林について
 本作は色んなSF作品のエッセンスがちりばめられていて、ほかの作品を連想する人は多いようです。私は、三体文明の脅威が明らかになった第1部のラストにTVシリーズの「V」(古い方ね)を思い出しました。

 宇宙に存在する知的生命は、自分たちが攻撃される疑念に常に取り憑かれ、相手を認識し次第、すべからく先制攻撃に走る。それを回避するには、息を潜め自分たちの存在を隠し続けるしかない--「黒暗森林」と呼ばれるこの相互不信が、本作における宇宙の暗黙のルールであり、「異星人がいるならなぜ地球に来ないのか?」という「フェルミのパラドックス」への一つの回答にもなっています。
 「進撃の巨人」に「世界は命ん奪い合いを続ける巨大な森ん中やったんや…」というセリフがありますが、本作はそんな感じの宇宙を描いています。

 ちなみにこの掟が明らかになる第2部は、昔紹介した「宇宙家族ノベヤマ」を思い出しました。同作では知的文明間の最終戦争を回避するため、一定の科学水準より先へ進もうとする文明には制裁が加えらるという秩序が確立しています。宇宙に進出した主人公たちがそのルールを学び、行き詰まりかけているこの秩序の打開策を模索するあたりに、本作との共通性を感じました。
 文明同士が共存・排他のいずれに走るのかに、遺伝子が影響しているという点や、文明に制裁を加える場合、恒星を異常活動させて熱や放射線で惑星を焼いてしまうあたりも同作を連想します。
 しかしこの掟にもツッコミたい部分があり、居場所がわかったら狙われるというなら、三体文明は地球の位置を全宇宙に「通報」してしまえばいいのではないのか? とも思います。地球文明から得るものがあるとしても、何百年もかけて艦隊を送るなど割に合わないだろう。

 フェルミのパラドックスについて、個人的には「単に宇宙が広大すぎて地球人の存在を知らない、知ったとしても相対論の限界から接触する方法がない、あるいは割に合わないからやって来ない」ということじゃないのかな、と思っています。
 知的文明が、必ず本作のような疑心暗鬼の思考をたどるのかは疑問ですが、宇宙の秩序というか掟についての独自の世界観は非常に興味深く、そのベールがはがされていく展開は、とても読み応えがあります。
 また個人的な好みの問題ですが、「説明がない」部分も多いけれども、基本的に現代科学に根差した発想に終始しており、そこから外れた超能力とか魔法とか超常現象とか、反則じみた設定は出てこないのも好みで、こうした読書意欲をそそるSFは久しぶりでした。

 第3部は、気の遠くなるような遠大な話で、「果しなき流れの果に」を思い出します。第3部の主人公については色々思うところがあるので、次回はその点について書こうと思います。
(次回に続く)

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トラブル報告

2021-09-19 12:48:16 | その他の雑記
 先週記事をアップしたら、なぜか同じ記事が勝手に何本も増殖するというトラブルに見舞われました。その後いったん解決はしたもののもう1回起きたことがあり、念のためダミー記事を何本かアップロードするテストを行います。
 20本くらいテストして、半日くらい様子を見てから、何事もなければすべて引っ込めます。意味のない更新が連続しますが、スルーしていただければ幸いです。どうぞご容赦ください。
(テストアップロードは終わりました。お騒がせしました)

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軌道エレベーターが登場するお話(23) 三体 その1

2021-09-12 12:13:07 | 軌道エレベーターが登場するお話

三体
劉 慈欣
(日本語訳は2019年 早川書房)


あらすじ 世界各国の有能な物理学者の自殺が相次ぎ、科学界が混乱する。それは、かつて極秘裏に進められた、地球外知的生命との交信の試みが招いた事態だった。

 話題の「三体」です。とてつもないスケールの大作で、とにかく面白い。軌道エレベーターも登場するので、読み通したら扱おうと思っていました。今回は重要なネタバレもありますので、未読の方はご注意ください。
 なおこのコーナーは、これまで1回1作のペースで扱ってきましたが、軌道エレベーターの考察から感想その他まで、我ながら毎回長ったらしく、読んで下さる方に飽きられてしまうと危惧し、実験的に3回に分けてアップします。3回掲載後、一つに編集し直すか判断するつもりです。その2とその3はこちら
2. ストーリーについて
3. 人物描写について

1. 本作に登場する軌道エレベーター
 本作は“人類存亡年代記”とでもいいましょうか、非常に長い時間をかけた、いくつもの世代にわたる物語です。軌道エレベーターも構想から建造途上、複数完成して運用されるまで、折々で登場します。

 第1部では、いずれ実現するというくらいで直接登場はしませんが、主人公はナノ素材の研究者で、クライマックスの場面でその素材を使い、敵対勢力と決着をつけるエピソードが描かれています。
 ちなみに第1部は「軌道エレベーター」と「宇宙エレベーター」の呼称が混在しており、「宇宙エレベーターは、まさに運河だ。(中略)地球と宇宙をつなぐことになる」といったセリフも出てきますが、第2部以降はすべて「軌道」です。うむ。
 その後第2部、第3部では軌道エレベーターを舞台にしたシーンがあり、この二つを中心に取り上げようと思います。

 さて、第2部「黒暗森林」では、「天梯(ティアンティ)」と名付けられた軌道エレベーター3基が建造され、試験運行の様子などが、ニュースや登場人物の会話で語られています。ほかにも世界各地で色々なタイプの軌道エレベーターが建造されていると推測されますが、今回はこのうちの「天梯Ⅲ」を図示します。細かい情報がないのでざっくりした図で失礼。



 天梯Ⅲは赤道上にあり、海上のフローティング基地「ヴェルヌ島」が地上基部になっています。このため自力推進で地上基部を移動させられるそうです。軌条=ガイドライン(ピラー)は試験段階で1本、やがて4本になることが示唆されています。
 「運搬キャビン」は時速500kmに達し、68時間で静止軌道に到着するそうです。末端には「電磁ランチャー」というのがあって、太陽系脱出速度で質量を発射できるそうです。

 この天梯Ⅲなのか不明ですが、第2部中盤で章北海(ジャン・ベイハイ)という軍人が、軌道エレベーターの静止軌道よりちょい上の、カウンター質量を兼ねた「黄河宇宙ステーション」で船外活動をしている人々を銃で狙撃し、暗殺するというエピソードが登場します。そこで以下のように書かれています。

 弾丸は真空と無重力のおかげで、まったくなんの干渉も受けずにまっすぐ進む。
 照準さえ正確なら、弾丸は安定した直線の弾道でターゲットに命中する。


 残念ながらこれは間違い。弾丸はまっすぐ飛ばず、決して狙ったポイントには当たりません。章北海は"無"重力でその場に留まり漂っているわけではなく、重力にとらわれて地球周回軌道上を公転=楕円運動をしている状態にあるからです。こういう誤解を招きやすいから、無重力ではなく「無重量」の方がいいと書いたんです。
 ようするに章北海自身が一つの衛星なわけです。その状態から運動速度が変化すれば、重力の影響=位置エネルギーも変化し、軌道が変化します。軌道上から弾丸を発射するのは、宇宙機が軌道速度+弾丸の初速度の⊿v(速度)で軌道遷移するのと同じ行為です。
 結果として、軌道上のある1点から進行方向(本作の場合は東)に銃を撃てば弾道は上方へ逸れ、逆方向(同西向き)に撃てば下に逸れます。左右(南北)の方向に撃った場合も、通常の弾丸の速度であれば下に逸れます。

 ついでに言うと、黄河宇宙ステーションは静止軌道より300km上にあるので、そもそも無重量状態でもありません。章北海がステーションから一定の距離を保ったまま宇宙遊泳することは不可能です。次第に軌道エレベーターから距離が離れていきます。
 ただし宇宙服に推進装置があるので、それで解消している可能性はありますが、そんな姿勢制御をしながら銃の狙いを定めるのは至難の業でしょう。なお、反動が極めて小さい銃らしいので、発射の反作用についてはスルーします。これで物語の面白さが損なわれることは決してありませんが。

 第3部「死神永生」では、主人公・程心(チェン・シン)が、太陽-地球系のラグランジュ点(L1)である人物と会合するため、その通り道として軌道エレベーターが使われます。
 この時点で、物語はかなり先の未来を描いており、程心が乗った軌道エレベーターも、トップスピードが時速1500kmの上昇能力を持ち、浴室も備えた「五つ星ホテルの部屋のような(中略)豪華な客室」と、かなり居心地の良い空間が確保できている場面が登場します。乗ってみたいものですね。
 静止軌道ステーションは自転する多重構造のリング状らしく、これでも「世界で最初に建設された」軌道エレベーターらしいのです。ちなみに「三万四千キロの宇宙空間」とありますが、これは単純な数値の間違いだと思われます。

 ただし、作者は軌道エレベーターの大きな利点であり、加速不要で第2宇宙速度までは重力圏外への投射機能がある軌道カタパルトは応用していないようです。
 上述の電磁ランチャーがそれを兼ねているのかもしれませんが、程心が軌道エレベーターからL1へ移動するのには、静止軌道から宇宙艇に乗り換えていますし、第2部でも巨大な宇宙戦艦を脱出に到達させるのに軌道エレベーターの運動エネルギーを利用せず、自推に任せており、それが技術上の課題として扱われてもいます。その意味では、軌道エレベーターを活用し切れていないようで、惜しくも感じます。

 こうした細かい部分気になる点はあるものの、本作では軌道エレベーターを特別な存在にせず、「人類社会にあって当たり前、利用して当たり前のインフラ」として扱っていて、とても好感を抱きます。このような日常の感覚に溶け込んだ姿こそが、軌道エレベーターのあるべき姿の一つでしょう。
 本作は、軌道エレベーターを含む数々のSF作品に登場するガジェットを意欲的、効果的に活用しており、それが本作の面白さの一つであることは間違いありません。ご都合主義が多くツッコミ所も多々ありますが、それを補って余りある面白さに溢れています。次回はそのストーリーについて述べたいと思います。
 (次回へ続く)

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神田神保町書店街の歴史について

2021-09-05 10:00:08 | 気になる記事
神保町の「ランドマーク」三省堂書店が営業終了へ 来年3月、本社ビル建て替えで
 大手書店の三省堂書店(東京都千代田区)は2021年9月2日、東京・神保町にある「神保町本店」をビル老朽化に伴う建て替えのため22年3月で営業を終了すると発表した。
古書店街・学生街として知られる神保町の「ランドマーク」として親しまれてきた大型書店の閉店。ツイッター上では「うそでしょ」「衝撃的すぎて言葉ない」など惜しむ声が広がっている。
(後略。J-CASTニュース 9月2日)

(ここからは軌道エレベーター派の雑記です)
 軌道エレベーター関連の原稿を書きかけていたら、こういうニュースが目に入ったので一筆。
 三省堂書店は、院生時代によく利用しました。その後もよく神田神保町の書店巡りをして、古書を堪能した後に、最新刊はどんなものが並んでいるかを見ようと三省堂に寄るという、最後の締めのような場所でした。



 神田神保町の書店街については、過去に色々調べたことがありまして、三省堂はずっと同じ場所で営業を続けてきたそうです。「三省堂書店百年史」には「明治十四年四月八日、この神田の地に古書店の営みを始め」と書かれています。



 上は「稿本 神田古書籍商史」添付の明治36、37年の地図です。赤い文字は説明のため当方で書き加えたもので、赤い大きな丸は現在の駿河台下交差点です。この地図では、靖国通りの裏側のすずらん通りに三省堂(赤の小さな丸)が面しています。この地図は説明優先で、実際の地形とは相当異なりますが、後述の理由から明治期はすずらん通り側が表玄関だったと思われます。現在も靖国・すずらん両通りのいずれにも出入り口があるし。
 明治期に発行された「東京名所図会 神田区之部」には三省堂の住所を「裏神保町一番地」と記しており、裏神保町は現在の靖国通りとすずらん通りに挟まれた地区だったので、やはりこの場所で良いのでしょう。ちなみに「其名高し」と評価されています。

 大正時代に起きた神田大火と関東大震災を機に、書店街の表玄関はすずらん通りから靖国通りへとシフトし、紹介記事にもあるように、三省堂本店は書店街のランドマークような存在になっていったと言えます。リニューアルとはいえ、その姿が変化するのは少し寂しい気もします。気になっていた地下のレストランのメニュー「アイスバイン」を、閉店前にチャレンジしたいと思いました。


 ところで、靖国通り沿いの書店の大半が北向きであるのは、「日中の大半、通りが日影になって本が日に焼けないから」であると、誰もが当たり前のように挙げる定説となっていますね。ですが私はこれを「都市伝説のようなものではないか」と疑問を抱いています。そのことについて少々書きます。

1.「本の日焼けを避ける」を裏付ける資料がない
 人気コミック「ギャラリーフェイク」で、主人公フジタが「陽のささない方向に向けて店を開ける。結果、道の片側だけに古書店が集まった」(23巻「古書の狩人たち」)と既成事実のように語ってます。また、「北側に空きが出ると、割高でも陽の当たらない側に集まったんです。本は、隣のガラス戸から反射した陽でも焼けるんですね。それで北側に軒をつらねて、相乗効果も測ったんです」(神田を歩く-町の履歴書)という平成期のコメントもあり、これも貴重な証言である以上、店が北向き=日焼け対策というのを一蹴するわけいにいきません。

 しかし、書店街が形成された明治・大正期の歴史を記した資料に、これを裏付ける記述は見つかりませんでした。三省堂をはじめとする老舗書店の社史、「東京古書組合五十年史」、「千代田区史」などなど、公的な記録や史書に、その根拠となる一文が見あたらない。靖国通りの書店が北向きであるのが本の日焼け対策というなら、経営者の立地選びの重要な判断材料として、自社の歴史の一頁に刻んでしかるべきではないのか。

 記録資料以外に目を向けると、「初めて神保町の書肆街形成の歴史として分析した」(神田神保町とヘイ・オン・ワイ)という脇村義太郎氏も、西日対策という立地理由に触れていて良さそうなものですが、著書「東西書肆街考」にもその言及はない。

 散見されるのは、「西日の影響がないように配置したためといわれています」(みる よむ あるく東京の歴史)、「南からの日差しを浴びて本が日焼けしないように、との配慮だそうだ」(本の雑誌 特集=神保町で遊ぼう!)など比較的近年の資料が中心で、しかも「と言われている」といった表現で伝聞の域を出ておらず、出典や一次資料を明示しているものが見いだせない。
 文字文化の宝庫である神田神保町の歴史が、口伝でしか残っていないというのは、どうにも腑に落ちない話です。


2. 南向きの店もある
 もちろん私の調査不足や見落としもあるかも知れません。しかし経験上、事実であるなら文献を集めるうちに活字資料の一つや二つ、あるいはその手がかりくらいはおのずと出くわすもので、調べて書くことをやっている者として違和感を感じました。
 加えて気になるのが、靖国通りの書店の店構えは、確かにほとんどが北向きにそろっていますが、反対側のすずらん通りやさくら通りには、書店街形成期から現在にいたるまで、南向きの書店も意外に存在しているということです。
 そして何よりも、上記の明治期の地図に見られるように、駿河台-神保町両交差点間の靖国通り沿いにはもともと書店がなく、大正期になってから現れました。

 仏文学者の鹿島茂氏は雑誌の対談で「北側は陽が当たって本が焼けるからと言われていますが,南側の方が家賃が安かったらしいですね。明治時代に靖国通りを拡張した時に、先に南側が整備されたからそちらに本屋が集まったようですね」(みんなの神田 神保町 御茶ノ水)と述べています。
 このほかに氏は、著書「神田神保町書肆街考」で、西日を避けることが靖国通り北側への集中の理由の一つと紹介していますが、これも資料ではなく老舗書店の方から聞いた伝聞です。その方の説明では、ほかに靖国通りの拡張と、すでに南側に古書店が集まっていた(注・神保町交差点の西側の方)ので、後続の書店も南側を選んだことも理由に挙げていて、氏は「ある界隈に同業種の店がかたまるという現象は決して珍しいことではない」という見解を示しています。


3. 北向きなのは結果であって目的ではない
 その連鎖反応は何によって起きたか? そもそも、大正初期まではすずらん通り、つまり現在の反対側が書店街のメインストリートでした。当然日光に当たる側であり、当初はこちらの方が好立地とされていたわけです。開業初期の三省堂はまさにその状況にあったとみられます。
 一方、上記の明治時代の地図からわかるように、反対側=現在の靖国通り側はいわば裏通りで、駿河台下-神保町交差点間には、大正まで書店がありませんでした。
 そのため靖国通り側は出店料が不要だったのですが、上述の神田大火で多くの書店が焼失した後、市電を通すために靖国通りが拡張され、市区改正が進んで靖国通り側が表通りになった。これが変化をもたらし、タダで出店できる未開拓地だった靖国通り側に書店が進出したそうです。

 「大火前までは、神保町角より西、すなわち、南神保町が反映の中心で、通神保町(注・現在の三省堂や書泉がある辺り)ではまだ権利金のいらない頃に、すでに百八十円くらいの権利金が必要だったといわれたのが、俄然一変したのである」(東京古書組合五十年史)
 「大火後の区画整理と電車の敷設により神田書店街の地図変わり、その中心は九段寄りから駿河台寄りに移動」(岩波書店刊行図書年譜)
 「この大火は神田古書店街の地図を大きく塗り替えることにもなった。大火前の神保町はすずらん通りを中心に繁栄していたが、市区改正と市電の敷設により現在の靖国通りに賑わいが移動。同時に、九段寄りにあった古書店も靖国通りへと移り、現在の(中略)古書店街の姿が築かれた」(古書肆100年 一誠堂書店)

 いずれも靖国通り沿いが日影になり、本が日に焼けないから出店したとは述べていない。つまりはこれが理由のすべてであって、本の日焼け対策というのは「結果的に好都合」という程度の、後から成立した解釈であり、結果ではあっても目的ではなかった。私はそう見ています。

 長くなりました。言えるのはここまで、推論を脱し切れていませんが、いずれこの点がはっきりすような資料を、ほかならぬ神田神保町の古書店で見つけることもあるかも知れません。その時は続報を書こうと思います。
 今回書いたのはあくまで私的な疑問であって、本が日に焼けないようにというのは、確かに書店ぽくて似合っている気がします。真偽はどうあれ、神田神保町書店街のキャッチコピーとして語り継がれていくことも一興だと思っています。
 神田神保町の書店街は、英国のチャリングクロスにひけをとらない歴史と規模を持つ、世界的にも貴重な古書店街であり、変化はしても存続してほしいと願っています。

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