結衣さんは、テレビで賞品当てゲームを見ています。このゲームは、司会者と挑戦者(賞品を当てる人)で、次のように進められます。
賞品当てゲーム
挑戦者の前に3つの箱が置かれており、そのうち1つは当たりの箱です。司会者はどれが当たりの箱であるか知っています。
[進め方]
① 挑戦者は、最初に箱を1つ選びます
② 司会者は、残った2つの箱のうち、はずれの箱を1つ開けて見せます。
③ 挑戦者は、最初に選んだ箱を「変更する」か「変更しない」のいずれかを選択します。
(学校図書「中学校数学2年」平成31年発行より)
少し前、中学生の教科書に目を通す機会があり、このうち中2の数学の教科書に上のような問題が載っていました。これ、「変更する」と「変更しない」で、どちらが当たる確率が高いでしょうか?
先に答えを言うと、「変更する」方が当たる確率が2/3、「変更しない」は1/3で、変更した方が高い。
これ自体は単純な確率の問題なのですが、この教科書を開いて見た時、「この問題、どこかで。。。?」という気がして、後で確認してみたらいわゆる「モンティ・ホール問題」というやつでした。
モンティ・ホール問題は米国の雑誌に載った、上と同じような問題で、「変更した場合には景品を当てる確率が2倍になる」と載せたら、「間違ってる」という指摘を受け、大学の先生など数学の専門家も巻き込んだ大論争になったそうです。かのカール・セーガン博士も参戦して出題者が正しいことを解説し、多くの人が誤りを認めたのだとか。この問題をテーマにした書籍も販売されています。
こんなことを書いている私も確率問題は弱く、最初は「どっちも1/3じゃね?」と考えてしまいましたが、答えを見て系統樹で整理して考え直したら理解はできた。。。つもり。件のモンティ・ホール問題、Wikipediaで見る限り上記の教科書の問題文と、基本的な条件やルールに差はないように思えるのですが、じゃあ数学界の専門家が侃々諤々の大議論を交わした問題は、中学生に解けるレベルの問題に過ぎなかったのか?
この問題については解説動画などもネット上にたくさんあるので、数学的な本質の追求はそちらにお任せします、っていうか私の能力を超えてますので。
ただ、出題者への反論には、難癖としか思えない感情論で物を言っているものもあって、「ジェンダー問題にまで飛び火した」そうです。そこには「専門家でもない奴が(または女性が)何を偉そうに」という反感や蔑視が混じっているようです。それが見えるものを見えなくして正解の理解を妨げていたのでしょうか。学者がそれをやったらかなり罪深いと思えるのですが。
唯物論的思考が求められる自然科学の世界においても、当事者である人間は、感情の支配からなかなか逃れられないということ、また「何を言うか」より「誰が言うか」という権威主義で物事の正否を判断しがちであることが、この論争の教訓であるように思えます。自分の間違いを認めるのは誰しも勇気がいりますよね。
ちなみに「モンティ」は第二次大戦で活躍したバーナード・モントゴメリー将軍が基だという説があり、全裸を意味する「フル・モンティ」や「空飛ぶモンティ・パイソン」などに使われてます。今回の数学の問題には全然関係ないわけで、モンティもいい迷惑なのでは。
今回は、教科書をきっかけに考えさせられたことを書きました。駄文失礼しました。
関連:中学生の数学の問題 その2
賞品当てゲーム
挑戦者の前に3つの箱が置かれており、そのうち1つは当たりの箱です。司会者はどれが当たりの箱であるか知っています。
[進め方]
① 挑戦者は、最初に箱を1つ選びます
② 司会者は、残った2つの箱のうち、はずれの箱を1つ開けて見せます。
③ 挑戦者は、最初に選んだ箱を「変更する」か「変更しない」のいずれかを選択します。
(学校図書「中学校数学2年」平成31年発行より)
少し前、中学生の教科書に目を通す機会があり、このうち中2の数学の教科書に上のような問題が載っていました。これ、「変更する」と「変更しない」で、どちらが当たる確率が高いでしょうか?
先に答えを言うと、「変更する」方が当たる確率が2/3、「変更しない」は1/3で、変更した方が高い。
これ自体は単純な確率の問題なのですが、この教科書を開いて見た時、「この問題、どこかで。。。?」という気がして、後で確認してみたらいわゆる「モンティ・ホール問題」というやつでした。
モンティ・ホール問題は米国の雑誌に載った、上と同じような問題で、「変更した場合には景品を当てる確率が2倍になる」と載せたら、「間違ってる」という指摘を受け、大学の先生など数学の専門家も巻き込んだ大論争になったそうです。かのカール・セーガン博士も参戦して出題者が正しいことを解説し、多くの人が誤りを認めたのだとか。この問題をテーマにした書籍も販売されています。
こんなことを書いている私も確率問題は弱く、最初は「どっちも1/3じゃね?」と考えてしまいましたが、答えを見て系統樹で整理して考え直したら理解はできた。。。つもり。件のモンティ・ホール問題、Wikipediaで見る限り上記の教科書の問題文と、基本的な条件やルールに差はないように思えるのですが、じゃあ数学界の専門家が侃々諤々の大議論を交わした問題は、中学生に解けるレベルの問題に過ぎなかったのか?
この問題については解説動画などもネット上にたくさんあるので、数学的な本質の追求はそちらにお任せします、っていうか私の能力を超えてますので。
ただ、出題者への反論には、難癖としか思えない感情論で物を言っているものもあって、「ジェンダー問題にまで飛び火した」そうです。そこには「専門家でもない奴が(または女性が)何を偉そうに」という反感や蔑視が混じっているようです。それが見えるものを見えなくして正解の理解を妨げていたのでしょうか。学者がそれをやったらかなり罪深いと思えるのですが。
唯物論的思考が求められる自然科学の世界においても、当事者である人間は、感情の支配からなかなか逃れられないということ、また「何を言うか」より「誰が言うか」という権威主義で物事の正否を判断しがちであることが、この論争の教訓であるように思えます。自分の間違いを認めるのは誰しも勇気がいりますよね。
ちなみに「モンティ」は第二次大戦で活躍したバーナード・モントゴメリー将軍が基だという説があり、全裸を意味する「フル・モンティ」や「空飛ぶモンティ・パイソン」などに使われてます。今回の数学の問題には全然関係ないわけで、モンティもいい迷惑なのでは。
今回は、教科書をきっかけに考えさせられたことを書きました。駄文失礼しました。
関連:中学生の数学の問題 その2