軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

地球外生命はいない方がいい?

2014-03-23 21:35:37 | その他の雑記
 はじめに断っておくと、私が表題のような考えを持っているのではありません。私ほど、生きている間に地球外生命とのコンタクトが実現することを切望している人もそうはいないと自負できるほどです。今回の話は「こういう立場に立てば、地球外生命は存在しない方がいいいという見方もある」という意味です。これをいくつかのSF作品をひもときながら述べたいと思います。

 地球外知的生命とのファースト・コンタクトを描いたストーリーで、世界的に知られているのは映画『未知との遭遇』(1977年)と『E.T.』(1982年)でしょう。特に後者は、主人公エリオット君とE.T.(Extra Terrestrial=地球外生命の意味)の交流を描いた感動作で、指先で触れ合う場面はあまりにも有名です。内容を貶める意図はありませんが、エイリアンと物理接触を果たしたエリオット君は実際にはどうなるのか? この疑問を念頭におきつつ他作品に触れていきます。

 『宇宙戦艦ヤマト2199』では、呼吸可能な大気や適度な重力を備え、水や森林などの環境が豊かで、かつては知的生命も生存していた惑星「ビーメラ4」が登場します。別の星へ移住する「イズモ計画」(ヤマトがイスカンダルに行くことになったので頓挫した)のスタッフだったヤマト随一の美熟女・新見薫一尉は、

「大気成分に、人体に有害な物質は検出されません。
 素晴らしいわ、これなら第二の地球として…」
(16話)

と浮足立ち、航海の目的を移住計画に変更させようと図るのですが、



大気成分程度で安心してはいけない(まー移住したってどのみちガミラスが攻めてくるだろうしな)。
 あるいは、大ヒットした映画『アバター』。舞台となる惑星「パンドラ」特産の鉱物を目当てに人類が進出し、大気が呼吸不可能なために人類はマスクを付けています。ジャングルの動植物の危険性は認識しているものの、マスクで済ませちゃってます。しかし「地球と同じ生態系に恵まれた環境=移住に向いている」というのは幻想であって、実は似てれば似ているほど、移住に適さないと断言していいでしょう。
 理由はシンプルで、ミクロサイズの未知の生命の存在にほかなりません。この危険性を描いた最も有名な作品が、映画化もされたH.G.ウェルズの『宇宙戦争』ですね。地球を侵略してきたエイリアンが、終盤で地球土着の細菌かウイルスに侵されて死に絶えます。昔は「アホ過ぎるわリサーチ不足だろ」と思ったものですが(今でも「気密服くらい着ろよ」とは思う)、目に見えないサイズの生命は、全てを把握するなどとうてい不可能です。

 地球上でさえ、外来種が原住生物を駆逐した例や、あるいはエボラウイルスのように開拓を進めた末に、致死性病原体と遭遇してしまうといった例は、歴史上枚挙に暇がありません。宇宙飛行士はフライト前に隔離され、帰還後も厳重な検査を受けます。ましてや未知の生命をや、というわけです。特にウイルスのような生命と物質の中間的存在は、時間が経ってからも条件次第で増殖を再開する可能性もありますし、遺伝子の半分を宿主からもらって絶えず変異します。どれだけ科学が発達しても、ひとつの惑星上に存在する全病原体を特定などできっこない。
 ちなみにパンドラの生命は地球と並行・同列の進化を遂げたらしく、パンドラ人と地球人の遺伝子とミックスしてハイブリッド種を造り上げます。つまり遺伝的同位性が近似しているわけで、それだけ私たちの肉体への親和性・浸食性が高いということであり、ベースとなる器質が共通していながら、なおかつ異なる環境で独自の進化を遂げた生命が一番厄介です。ことほどさように、地球外生命は私たちにとって危険極まりない代物なのです。

 こうした見方を、極めて適切に描いているのが岡崎二郎氏のコミック『宇宙家族ノベヤマ』です。この作品では、地球外知的生命を人類が訪問するのですが、異星人の居住地からは隔離された場所で会見し、高度に発達した防疫シールドを介して接触します。たったひとりの異星人持ち込んだウイルスで、ひとつの星の住民が全滅したケースがあったとのこと。主人公は直接握手できないことを残念がるのですが、

「人類は一度も地球外病原体を経験していない」
「僕たちはそいつを、恐れすぎてはいないですか?」
 (略)
「野辺山さん、もしあなたが異星人と触れ合ったら…
 地球に戻っても、一生隔離スペースの暮らしですよ」
(下巻59頁)

 ↑エリオット君はこれをやってしまった (ノ∀`)アチャー これが彼の末路です。ちなみに劇中で実際に隔離されているが、2度と出られないでしょう。
 悲しいかな、生命が見つかったら、そこには足を踏み入れてはならぬとさえ言ってよく、地球と似た生命が住む惑星に移住するなら、生態系を全滅させ、全土を焦土にして消毒するくらいでないと、地球と同じスタイルの生活はできないでしょう。「地球とそっくりで緑豊かだバンザイ!」というのはファンタジーであり、多くの人が、この間違った認識を抱いています。

 人類が宇宙進出を図るのなら、私たちは孤独である方が安全なのです。でも、つまんないよね。生命を探すという進出の動機の一つが失われてしまうし、これは辛いジレンマです。地球外生命はいて欲しいし、できれば直にコミュニケーションを交わしたい。このジレンマが解消される未来が訪れて欲しいものです。『ノベヤマ』のように、E.T.がエリオット君のことをちゃんと考えて、未知の技術で防疫を施していたことを祈ります。

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OEV豆知識 番外編その2 軌道エレベーターの本当の価値と問題

2014-03-09 15:07:43 | 軌道エレベーター豆知識
 昨今、軌道エレベーター(以下OEV)という構想も一般的になってきました。ただし大抵「宇宙」だけどね。それは結構なことですが、巷に流布するニュースや紹介記事などは、我が軌道エレベーター派の考える「OEVの意義」と、かけ離れていることがあまりにも多い。
 そこで今回は、豆知識の番外編として、軌道派による「本当に重要なのはココだろ!」というポイントを紹介します。過去に述べたことのまとめでもありますので、重複する部分も多いのでご了承下さい。

1. エネルギーの回収こそOEVの神髄である
 OEVで地上から宇宙へ昇るには電気を消費しますが、宇宙から地上へ戻る時は、ブレーキをかけながら落下すればいいので、基本的に電力は要りません。この時に発電し、昇りに供給する。つまり上り電車の運賃の大半を、下り電車が支払ってくれるわけです(この上下関係は静止軌道を境に逆転します)。過去の豆知識でも述べました。
 これは、往路で獲得した位置エネルギーを、復路で戻しているのですが、仮に、往路で消費するエネルギーと、復路で取り戻せるエネルギーの差(もしくは、静止軌道を通過する前と後のエネルギーの差)を、太陽光発電などで埋め合わせることができれば、完全なゼロコストでの宇宙到達が可能になる。

 「宇宙エレベーター」なるものが取り上げられたニュースも、可能な限り目を通してはいますが、「コストがロケットの何分の一にもなる」とは言っていても、なぜかを説明できているものは皆無と言っていい(そもそも原理や基礎を理解しているのか疑わしいものも多い)。
 大林組の構想も、全体構想のように紹介されることが多いけれども、あくまで建設技術を検証した各論の一つであり、昇降技術とそのコストは専門外として考察を除外しているので、世間で報じられる際には触れられることがない(なお同社はその点を文中できちんと明言している)。

 初めてOEVの知識に触れた時、力学的構造のシンプルさと並び、もっとも感動したのが、このエネルギーの回収という発想でした。「軌道」が主流だった時代は、常識とさえ言ってよかったのですが、まるで「失われた知識」のようになってしまった。
 この点に関しては、私も活動をしている宇宙エレベーター協会(JSEA)の罪は大きいでしょう。「宇宙エレベーターチャレンジ」(SPEC)などクライマーレースに注力し、メディアも絵になるから、こればかり取り上げる。一応、「まず地上からのクライマー上昇技術に力を入れる」という理由はあるのですが、実際はゲームであり、わかる人は本当はわかっている。
 もちろん意義は認めていて、皆が楽しめて続けられるイベントは大賛成です。このイベントがなければ、JSEAも「宇宙エレベーター」もここまで有名にならなかったでしょう。しかしそれはそれとして、対流圏でのクライマー自体に意味がない以上、少なくとも現状、クライマー技術の開発はOEVの研究とは本質的に別物だと言っていいでしょう。

 位置エネルギーを利用しないで何のOEVか? この点に触れずして「コストが下がる」と語るなど、ちゃんちゃら可笑しい。発電した電気をどこに蓄え、どう伝えるかとか、熱を逃がす方が先決だとか、多くの課題はあるのですが、解決は可能です。各論はともかく全体像として、
 これを目指さない中途半端なシステムの名前なぞ、
「宇宙エレベーター」とやらにくれてやるわ! (((゜Д゜)))クワッ!

 限りなくゼロコストに近い宇宙への移動手段。この技術に達することが、人類の本格的な宇宙進出のブレイクスルーになることは疑いありません。誰が何と言おうと、エネルギーの回生こそOEV実現の最大の意義なのです。


2. 最大の問題はデブリではない
 これまで何度も述べてきたように、OEVは、ほんの一部の例外を除く、衛星軌道上のあらゆる物体と衝突する運命にあります。ゆえに、OEVの障害として、誰もがデブリに注目するのはやむを得ないことかも知れません。
 しかし、OEVの本当の敵はデブリじゃない、運用中の衛星なのだ! 単なるデブリであれば、OEV側が避けるか耐えるかすれば、デブリがどうなろうと知ったことではありませんし、これまでに解決策も提示してきました。しかし生きた衛星はぶつかったら機能が喪失してしまいます。その補償を誰がするのか?
 上述の例外とは、回帰周期が地球の自転(すなわちOEVの公転)周期と同期、もしくは準同期している衛星か、OEVより高い位置を周回する衛星だけです。事実上、静止衛星と準同期の観測衛星以外はぶつかると考えていいでしょう。もっとも数の多い低軌道の衛星は、ISSをはじめほぼ全滅です。
 人工衛星なしで私たちの生活はもはや成り立たない以上、それをことごとくハタキ落としてしまうOEVに賛成するお人好しの国や企業がどこあるのか? この利害問題は、OEVの実現可能性が高まるほど、それを阻む圧力となって、いつか立ちはだかることになるでしょう。これこそが、OEV実現の上での最大の問題です。


3. 軌道カタパルト
 OEVが発揮するもう一つの真価は軌道カタパルトです。当サイトではこれまで「投射機」とか単に「カタパルト」などと呼んできましたが、東海大の佐藤実先生が著書で「軌道カタパルト」と呼んでいて、すごくカッコいいので、こちらでも今後常用させていただきたいと思います。用語として定着を目指しましょう。

 さて、OEVの、高度約4万7000km以上の位置から質量を放出すると、地球引力圏を脱出するスピードが与えられ、もう地球に帰ってこない。これを利用して、月への有人宇宙機、「はやぶさ」のような小惑星探査機はおろか、ボイジャーなどの太陽系外へ行く探査機も楽勝で打ち出せます。それも単機じゃなく、サポート物資や機器類なども続々送れるわけです。
 細かい軌道修正や、目的地によっては加速も必要ですけれども、地球の角運動量をおすそ分けしてもらうので(その分地球の自転が遅くなるんだけど、別に不都合はない)、これもまた、基本ゼロコストで可能です。軌道カタパルトは、OEVが実現したら必ず取り付けられるであろう設備であり、大林組構想にも取り入れられています。
 またこの機能は、放射性廃棄物の投棄などにも利用できることは、言うまでもありません。

 世間はOEVを、単に「宇宙へちょっと行ってこれる」という程度で見ている。そして、多くの人が意味する「宇宙」というのは、ISSの高度か、せいぜい月しか想像しない。あまりにも想像力貧困ではないか。そして、OEVの能力を見くびってはいないか。
 OEVは、『軌道エレベーター -宇宙へ架ける橋-』のタイトル通り人類の「架け橋」であり、通過点、道具でいいのです。それがOEVのあるべき立ち位置です。

 

 ――以上の点を上げました。昨今、「宇宙エレベーター」を紹介するニュースと、あまりにもかけ離れていると思われる方も多いかも知れません。しかし、OEVを語る時、もっとも重要なのはこの3点である。いくらズレていようと、これが「軌道エレベーター」であり、こうしたことを訴えていくのが、この軌道エレベーター派が自らに課した役割でもあります。多くの情報と比較検証しながら、基礎知識として吸収していただければ幸いです。長くなりましたが、ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 本日のまとめ
(1) 軌道(宇宙)エレベーターは有名になってきたが、大事な点について理解されていない。
(2) それは「エネルギーの回収」「軌道カタパルト」「生きた衛星との衝突」である。
(3) エネルギーの回収と軌道カタパルトは軌道エレベーターの最も重要な価値であり、衝突は最大の問題である。

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JpSECを終えて

2014-03-02 19:55:03 | その他の雑記
 先週の宇宙エレベーター学会(JpSEC2013)を終え、この1週間は、少しゆとりを持って過ごせました(お陰で、ずっと観たかった「大浮世絵展」にやっと行けたぜい)。宇宙エレベーター協会(JSEA)の今年度会報の制作再開など、後回しにして溜め込んでたことを消化しなければならないですが、とにかく疲れた。

 今回のJpSECでは、金子隆一氏を追悼するミニ講演のような企画を仰せつかり、2年ぶりに登壇。2日間の大トリみたいなものだったので、ビビッったビビッった。とはいえ、金子先生は私にとって目標のような方であり、その事績を紹介する役を担うのは光栄でもあり、恐れ多くもありました。 

 2日間の内容において、すべての登壇者が「宇宙エレベーター」と呼んでいましたが、自分の番では、あえて「ここでは『軌道』と呼ばせていただきます」などと断らずに、何の説明も、遠慮もせず「軌道エレベーター」の呼称で発表しました。
 これは私が軌道派だからではなく、金子先生が終始一貫、「軌道」の名を使い続けていたからです。JSEAに配慮して、協会活動を紹介する記事で「宇宙」の表記をした例がほんのわずかにあるだけです。そもそも、ここで軌道エレベーター派を名乗っていますが、このブログ自体、金子先生の事績の後を追いかけるような気持ちでやってます。金子隆一先生こそ、軌道エレベーター派の開祖のような存在であり、真の軌道派です。
 いつものこのブログなら、「ふふん、最後は『軌道』で締めてやったぜ!」などと調子づくところですが、今回はご冥福をお祈るばかりです。

 JSEAの皆さんお疲れさまでした。ご協力いただいた方々、貴重な発表やディスカッションをしてくださった登壇者の方々、そして来場者の皆様、誠にありがとうございました。らしくもなく生真面目な更新が続きましたが、次回からは平常運転に戻りたいと思います。よろしくお願いいたします。

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