はじめに断っておくと、私が表題のような考えを持っているのではありません。私ほど、生きている間に地球外生命とのコンタクトが実現することを切望している人もそうはいないと自負できるほどです。今回の話は「こういう立場に立てば、地球外生命は存在しない方がいいいという見方もある」という意味です。これをいくつかのSF作品をひもときながら述べたいと思います。
地球外知的生命とのファースト・コンタクトを描いたストーリーで、世界的に知られているのは映画『未知との遭遇』(1977年)と『E.T.』(1982年)でしょう。特に後者は、主人公エリオット君とE.T.(Extra Terrestrial=地球外生命の意味)の交流を描いた感動作で、指先で触れ合う場面はあまりにも有名です。内容を貶める意図はありませんが、エイリアンと物理接触を果たしたエリオット君は実際にはどうなるのか? この疑問を念頭におきつつ他作品に触れていきます。
『宇宙戦艦ヤマト2199』では、呼吸可能な大気や適度な重力を備え、水や森林などの環境が豊かで、かつては知的生命も生存していた惑星「ビーメラ4」が登場します。別の星へ移住する「イズモ計画」(ヤマトがイスカンダルに行くことになったので頓挫した)のスタッフだったヤマト随一の美熟女・新見薫一尉は、
「大気成分に、人体に有害な物質は検出されません。
素晴らしいわ、これなら第二の地球として…」(16話)
と浮足立ち、航海の目的を移住計画に変更させようと図るのですが、
大気成分程度で安心してはいけない(まー移住したってどのみちガミラスが攻めてくるだろうしな)。
あるいは、大ヒットした映画『アバター』。舞台となる惑星「パンドラ」特産の鉱物を目当てに人類が進出し、大気が呼吸不可能なために人類はマスクを付けています。ジャングルの動植物の危険性は認識しているものの、マスクで済ませちゃってます。しかし「地球と同じ生態系に恵まれた環境=移住に向いている」というのは幻想であって、実は似てれば似ているほど、移住に適さないと断言していいでしょう。
理由はシンプルで、ミクロサイズの未知の生命の存在にほかなりません。この危険性を描いた最も有名な作品が、映画化もされたH.G.ウェルズの『宇宙戦争』ですね。地球を侵略してきたエイリアンが、終盤で地球土着の細菌かウイルスに侵されて死に絶えます。昔は「アホ過ぎるわリサーチ不足だろ」と思ったものですが(今でも「気密服くらい着ろよ」とは思う)、目に見えないサイズの生命は、全てを把握するなどとうてい不可能です。
地球上でさえ、外来種が原住生物を駆逐した例や、あるいはエボラウイルスのように開拓を進めた末に、致死性病原体と遭遇してしまうといった例は、歴史上枚挙に暇がありません。宇宙飛行士はフライト前に隔離され、帰還後も厳重な検査を受けます。ましてや未知の生命をや、というわけです。特にウイルスのような生命と物質の中間的存在は、時間が経ってからも条件次第で増殖を再開する可能性もありますし、遺伝子の半分を宿主からもらって絶えず変異します。どれだけ科学が発達しても、ひとつの惑星上に存在する全病原体を特定などできっこない。
ちなみにパンドラの生命は地球と並行・同列の進化を遂げたらしく、パンドラ人と地球人の遺伝子とミックスしてハイブリッド種を造り上げます。つまり遺伝的同位性が近似しているわけで、それだけ私たちの肉体への親和性・浸食性が高いということであり、ベースとなる器質が共通していながら、なおかつ異なる環境で独自の進化を遂げた生命が一番厄介です。ことほどさように、地球外生命は私たちにとって危険極まりない代物なのです。
こうした見方を、極めて適切に描いているのが岡崎二郎氏のコミック『宇宙家族ノベヤマ』です。この作品では、地球外知的生命を人類が訪問するのですが、異星人の居住地からは隔離された場所で会見し、高度に発達した防疫シールドを介して接触します。たったひとりの異星人持ち込んだウイルスで、ひとつの星の住民が全滅したケースがあったとのこと。主人公は直接握手できないことを残念がるのですが、
「人類は一度も地球外病原体を経験していない」
「僕たちはそいつを、恐れすぎてはいないですか?」
(略)
「野辺山さん、もしあなたが異星人と触れ合ったら…
地球に戻っても、一生隔離スペースの暮らしですよ」(下巻59頁)
↑エリオット君はこれをやってしまった (ノ∀`)アチャー これが彼の末路です。ちなみに劇中で実際に隔離されているが、2度と出られないでしょう。
悲しいかな、生命が見つかったら、そこには足を踏み入れてはならぬとさえ言ってよく、地球と似た生命が住む惑星に移住するなら、生態系を全滅させ、全土を焦土にして消毒するくらいでないと、地球と同じスタイルの生活はできないでしょう。「地球とそっくりで緑豊かだバンザイ!」というのはファンタジーであり、多くの人が、この間違った認識を抱いています。
人類が宇宙進出を図るのなら、私たちは孤独である方が安全なのです。でも、つまんないよね。生命を探すという進出の動機の一つが失われてしまうし、これは辛いジレンマです。地球外生命はいて欲しいし、できれば直にコミュニケーションを交わしたい。このジレンマが解消される未来が訪れて欲しいものです。『ノベヤマ』のように、E.T.がエリオット君のことをちゃんと考えて、未知の技術で防疫を施していたことを祈ります。
地球外知的生命とのファースト・コンタクトを描いたストーリーで、世界的に知られているのは映画『未知との遭遇』(1977年)と『E.T.』(1982年)でしょう。特に後者は、主人公エリオット君とE.T.(Extra Terrestrial=地球外生命の意味)の交流を描いた感動作で、指先で触れ合う場面はあまりにも有名です。内容を貶める意図はありませんが、エイリアンと物理接触を果たしたエリオット君は実際にはどうなるのか? この疑問を念頭におきつつ他作品に触れていきます。
『宇宙戦艦ヤマト2199』では、呼吸可能な大気や適度な重力を備え、水や森林などの環境が豊かで、かつては知的生命も生存していた惑星「ビーメラ4」が登場します。別の星へ移住する「イズモ計画」(ヤマトがイスカンダルに行くことになったので頓挫した)のスタッフだったヤマト随一の美熟女・新見薫一尉は、
「大気成分に、人体に有害な物質は検出されません。
素晴らしいわ、これなら第二の地球として…」(16話)
と浮足立ち、航海の目的を移住計画に変更させようと図るのですが、
大気成分程度で安心してはいけない(まー移住したってどのみちガミラスが攻めてくるだろうしな)。
あるいは、大ヒットした映画『アバター』。舞台となる惑星「パンドラ」特産の鉱物を目当てに人類が進出し、大気が呼吸不可能なために人類はマスクを付けています。ジャングルの動植物の危険性は認識しているものの、マスクで済ませちゃってます。しかし「地球と同じ生態系に恵まれた環境=移住に向いている」というのは幻想であって、実は似てれば似ているほど、移住に適さないと断言していいでしょう。
理由はシンプルで、ミクロサイズの未知の生命の存在にほかなりません。この危険性を描いた最も有名な作品が、映画化もされたH.G.ウェルズの『宇宙戦争』ですね。地球を侵略してきたエイリアンが、終盤で地球土着の細菌かウイルスに侵されて死に絶えます。昔は「アホ過ぎるわリサーチ不足だろ」と思ったものですが(今でも「気密服くらい着ろよ」とは思う)、目に見えないサイズの生命は、全てを把握するなどとうてい不可能です。
地球上でさえ、外来種が原住生物を駆逐した例や、あるいはエボラウイルスのように開拓を進めた末に、致死性病原体と遭遇してしまうといった例は、歴史上枚挙に暇がありません。宇宙飛行士はフライト前に隔離され、帰還後も厳重な検査を受けます。ましてや未知の生命をや、というわけです。特にウイルスのような生命と物質の中間的存在は、時間が経ってからも条件次第で増殖を再開する可能性もありますし、遺伝子の半分を宿主からもらって絶えず変異します。どれだけ科学が発達しても、ひとつの惑星上に存在する全病原体を特定などできっこない。
ちなみにパンドラの生命は地球と並行・同列の進化を遂げたらしく、パンドラ人と地球人の遺伝子とミックスしてハイブリッド種を造り上げます。つまり遺伝的同位性が近似しているわけで、それだけ私たちの肉体への親和性・浸食性が高いということであり、ベースとなる器質が共通していながら、なおかつ異なる環境で独自の進化を遂げた生命が一番厄介です。ことほどさように、地球外生命は私たちにとって危険極まりない代物なのです。
こうした見方を、極めて適切に描いているのが岡崎二郎氏のコミック『宇宙家族ノベヤマ』です。この作品では、地球外知的生命を人類が訪問するのですが、異星人の居住地からは隔離された場所で会見し、高度に発達した防疫シールドを介して接触します。たったひとりの異星人持ち込んだウイルスで、ひとつの星の住民が全滅したケースがあったとのこと。主人公は直接握手できないことを残念がるのですが、
「人類は一度も地球外病原体を経験していない」
「僕たちはそいつを、恐れすぎてはいないですか?」
(略)
「野辺山さん、もしあなたが異星人と触れ合ったら…
地球に戻っても、一生隔離スペースの暮らしですよ」(下巻59頁)
↑エリオット君はこれをやってしまった (ノ∀`)アチャー これが彼の末路です。ちなみに劇中で実際に隔離されているが、2度と出られないでしょう。
悲しいかな、生命が見つかったら、そこには足を踏み入れてはならぬとさえ言ってよく、地球と似た生命が住む惑星に移住するなら、生態系を全滅させ、全土を焦土にして消毒するくらいでないと、地球と同じスタイルの生活はできないでしょう。「地球とそっくりで緑豊かだバンザイ!」というのはファンタジーであり、多くの人が、この間違った認識を抱いています。
人類が宇宙進出を図るのなら、私たちは孤独である方が安全なのです。でも、つまんないよね。生命を探すという進出の動機の一つが失われてしまうし、これは辛いジレンマです。地球外生命はいて欲しいし、できれば直にコミュニケーションを交わしたい。このジレンマが解消される未来が訪れて欲しいものです。『ノベヤマ』のように、E.T.がエリオット君のことをちゃんと考えて、未知の技術で防疫を施していたことを祈ります。