軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

『インターステラー』観ました

2015-04-29 10:11:24 | その他の雑記
 映画『インターステラー』を、レンタルで観ました。環境汚染が進む地球からの脱出の可能性を探るべく、移住可能性を秘めた惑星の探索に向かうお話。劇場で観られなかったので楽しみにしてましたが、いやあ面白かったよI内君! 今回は、この作品で楽しめたSF設定などについて少々。

 自転速度の速い惑星にアプローチや着陸をすることで、地球の主観時間とどんどん差が開いてしまうというネタ自体が私好みです、はい。で、ウラシマ効果を演出に上手に取りこんでいて、物語の道具としての時間を使いこなしていて、非常に興味深くもあり、ストーリーも楽しめました。
 ちなみに、本作にはブラックホールが出てきます。ネタバレになるから詳しいことは控えますが、本作のブラックホールは、SFによく登場するシュヴァルツシルト型ではなく、カー・ブラックホール(特異点がリング状になっているそうです)なのかな? と思いました。これまたシブい。

 全編に横溢するどよーんとした雰囲気は、どこか『2001年宇宙の旅』などの古典名作を意識しているようにも感じるのですが、私にはグレゴリイ・ベンフォードの『タイムスケープ』を思い出させました。この小説で破滅に瀕した未来の人類が、タキオンで20世紀へ警告のメッセージを送るというお話で、環境汚染で破滅に瀕した地球の、諦観に満ちた空気が似ていました。小説自体はすごくつまんないんだけどね。
 あとユニークだったのが、自律思考型のロボット。最初銀色の四角いライターみたいなデザインを見た時は「ゴールドライタン? 2030年未来への旅?」などと突っ込んでしまったのですが、これが面白い。ポコポコ変形して動き回り、人命救助するわ、ヒネた対話を交わすわ、宇宙船などの制御を引き受けるわ、非常に愛すべきキャラに描けています。このデザインも、どこか古典作品へのオマージュのように感じますね。

 そして、この映画で何より評価したいのは、音です、音! 宇宙空間の描写にウソの効果音を入れていない! この無音描写が作品の雰囲気をものすごく高めている。クリストファー・ノーラン監督わかってるな! 過去に何度か宇宙での無音描写について書きましたが、やっぱりこれでないと。本作の場合は、この無音のお陰で非常にリアルに見えます。ホント、世のSFクリエイターたちに言いたい。宇宙を描くのに無音を恐れるな、と。こういう作品がどんどん増えていってくれれば、いつか音のある描写の方がおかしく見える時代が来るかもしれません。そうなってほしいものです。『インターステラー』、観るべし。

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月まで軌道エレベーターを架けるには?

2015-04-15 13:56:48 | その他の雑記
 更新滞っていて申し訳ありません。今月4日に短時間の皆既月食がありましたが、東京は天気が悪くて見えませんでした。きょうはこの月に、軌道エレベーターを届かせる話を少々。
 地球と月の間に、軌道エレベーターを架けることは可能でしょうか? 月面は将来有望な資源採掘地になる可能性を秘めていますし、地球の1/6の引力からであれば脱出は容易で、月面進出が叶えば外宇宙への前線基地となるでしょう。
 地球-月系のL1に軌道エレベーターを設ける発想は昔からあります。しかしこれは、途中に近道を設けるような感じで、地球と月の間に固定した橋を架けるわけではありません。また、LiftPortが打ち出した、月面からのびる軌道エレベーターの構想はL1エレベーターを延長したものですが、これは同L1を少し越えて佇立する長さのケーブルをのばし、月面からぶら下げるという感じの代物で、やっぱり地球には届きません。
 もとより、地球の自転と月の公転の速度が違うし、軌道傾斜角、いわゆる白道も赤道とは誤差があるのですから、両者の間をつなげっぱなしにするのは、基本的には不可能なんですね。。。が、一つ方法がないわけではない。それには、

 140億年待つのだ! (`д´)/

 月が地球の角運動量を奪いながら、日々遠ざかっていることは以前にも書きました。ジャイアントインパクトによって生まれた月が、太古にはもっと地球に近かったことは天文好きの常識とも言っていいでしょう。かつては月の自転と公転の周期も一致しておらず、今では見えない月の裏側が、こちらに向くこともあったと考えられています。これは、上述の作用によるもので、また幾何学的中心が偏っているために、重い方の半球が地球に引っ張られた結果でもあります。そして同時に、地球の方も自転が少しずつ遅くなっていっています。
 で、これがどんどん進行すると、地球の自転と月の公転が一致する時が来ます。それが、およそ140億年後だそうです。そうなると、相対位置が安定するので、地球から月に軌道エレベーターを架けることが可能になるわけです。ちなみに、これがさらに進むと、今度は地球と月と太陽がほぼ一直線上にピン留めされる(同じ面を向ける月と地球の関係が、地球と太陽の関係にも及ぶということ)時代も訪れることになります。
 これを描いたSF作品もあって、ブライアン・W・オールディスの『地球の長い午後』は、地球の自転と月の公転が一致した遠い未来、地上から月まで網がかかっていて、それを昇る様子が描かれています(数値的には近年の予測とズレがあるように読み取れる)。この作品は、以前紹介した『宇宙エレベーターの本』で、初稿ではサブカル作品リストの筆頭に挙げたのですが、厳密にはエレベーターシステムではないので削除した経緯があります。しかし、この特徴ある内容はやっぱりリストに加えるべきだったと反省していて、重版がかかったら加えるつもりです。

 ともかくも、ずーっと待てば条件がそろうんですが、人類絶滅してるわな。万が一生き残っていても、とっくに地球を離れているでしょうし、その前に40~50億年後くらいには太陽が赤色巨星化して、地球が呑み込まれている可能性もあるんですよね。そんなに待ってられないですね、はい。
 そのように地球から遠ざかって行っている月ですが、現代は地上からの見かけ上の大きさが、太陽のそれとほぼ同じで、皆既日食やダイヤモンドリングが楽しめるという、奇跡的な時代でもあるのですね。宇宙の神秘を感じ取る知性や感性を得た人類が生きる時代に、このような条件が重なっているという事実を考えると、人間原理などを唱える人がいるのも、無理のないことかも知れないと思うことがあります。

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6周年

2015-04-04 13:17:38 | その他の雑記
 毎度のことですが、4月1日はエイプリルフールなので、「○周年」という記事は2日以降に更新しています。また、例年目次を載せているのですが、半年に1回くらいが良さそうだと考えるようになったので、7月頃がいいかということで見送りました。
 
 とにもかくにも、6周年です。細々とでも続けてこられたのは、ご覧くださっている皆様のお陰であります。軌道エレベーター業界(?)を振り返ると、メディアの露出度などは増えて話題としては結構定番化した。。。のですが、「冬の時代が来ようとしているのかしらん?」という空気を感じるのは私だけでしょうか?
 これは以前から何度も触れていることですし、今現在、その明確な兆候があるわけではないのですが、自分の中の直感的な部分がそう感じ取っているとしか言いようがありません。しかし、世間に流布する「宇宙エレベーター」とやらの話題は、そこそこ一巡したのも事実ではないかと思います。夫婦の倦怠期みたいなもので、むしろここからが正念場かも知れません。

 ひるがえって、この「軌道エレベーター派」の運営はどうかというと、最近ちょっと感じたのが「早いうちにサイトURLの"orbitalelevator"のドメインを獲得しておいたことは正解だったな」ということです。こういうキーワードはもうほとんど誰かがとってしまっているので。反面、最近あれこれ手を広げすぎて更新が薄くなっていること、深く反省して皆様に平謝りするばかりです。こんな単なる個人ブログをやっているだけの自分など、発展に取り残されていってしまうのではないかという不安や緊張感と、常に背中合わせでもあります。
 この1年は試験的にニュースを少し増やしたつもりでしたが、どうも反動があって、3~4回に1回くらいはフザけたことを書かないと息が詰まる。これは性でしょうか? 軌道エレベーター派も、ここいらで原点に返ってみるべきかも知れません。マジメなことを書く時は真摯に、フザけたい時は思い切りフザけて、自分も楽しくやっていかないといけません。未だ試行錯誤ではありますが、こんな感じで続けていければと思っています。何卒よろしくお願いいたします。

 そして最後に悔しい年次報告。この6年、必至に闘ってきましたが。。。

軌道派、減少の一途をたどってます! (´д`)

 私の周りにも「軌道」と言う人ほとんどいなくなりました。非力の限り、誠に申し訳ありません。「軌道」を愛していたみんなはどこへ行ったんだ! こうなったらもう、「宇宙」派に対してテロでも起こすしかないのでしょうか? ますます孤独になっていく軌道エレベーター派ですが、それでも闘いを続けていきます。何卒よろしくお願いいたします。

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ツッコミの研究史

2015-04-01 12:10:47 | その他の雑記

 真のツッコミは、対象への「愛」と「探求心」からできている。
 愛なきツッコミはツッコミにあらず。


 古代ギリシアの哲学者で数学者、トコミマス(またはトゥクォミマス。B.C.433年頃~?)はこのように述べたと伝えられています。当時は「ツッコミ」などという言葉は当然ありませんから、今風に訳すとこのようになるらしいですが。彼はピタゴラスの一門であり、ツッコミに欠かせない「愛」と「探求心」の最適のバランスを発見したそうです。女流詩人サッフォーの詩の朗読に、このバランスでツッコミを入れたところ、詩よりも喝采を受けたという逸話もあるのだとか。
 ご存じの方も多いと思いますが、ピタゴラス学派というのは数秘術や、幾何学の数理が見せる比率などを教義とする密教のような性格を持っていて、その教義は外部には堅く秘匿されていました。このため、彼が見いだしたツッコミのバランスも、教団の衰退とともに失われてしまいました。教団の聴講生は最大5年間、「沈黙」を守るというルールがあったことも影響しています。一説には、古代エジプトのアレキサンドリアにあった大図書館には、その研究書が収蔵されていたそうですが、B.C.47年(異説あり)の火災で焼失してしまいました。

 中世に科学・哲学の分野で隆盛を遂げたのは、ヨーロッパではなくイスラム社会だったことは、西洋史を学んだ方ならご存じでしょう。医学や天文学でも名をはせたイブン・アル=ハイサムなどが有名ですが、彼と交流のあったイブン・クリボッタ(生没年不明)が、古代ギリシア以来再びツッコミにおける愛と探求心のバランスを見いだし、その比率を「5:8」と著しました。彼は古代ギリシアの成果に負うことなく、独自のアプローチで同じ回答にたどりついたようです。
 しかし、当時としては進んだ数理であったものの、その比率は近似値でしかなく、このいわばツッコミの最終定理とでも言うべき、数的バランスの最適解が正確に求められるのは、20世紀も後半まで待たねばなりませんでした。
 日本の在野の研究者・都込珠恵(1921~1990)は1980年代に、過去の文献などを丹念に検証し、くだんの比率を細かい数値まで求め、それをx-y軸に投影した時に線分が無限分割できることを証明しました。すなわち無理数であり、その比率は1:1.618...古代以来研究者を悩ませてきたツッコミの最適比は、いわゆる黄金比だったのでした。アンドリュー・ワイルズによる「フェルマーの最終定理」の証明よりも先の成果であり、この結果は90年代にディープ・ブルーの演算により証明されたとか。

 こうした先人の積み重ねにより、現在ではツッコミ成分の「愛」の部分は「ここが最高に好き」「ここは嫌い」に、「探求心」は「もっと知りたい」「本当はこの部分はどうでもいい」にそれぞれ分割できる。さらに「ここは嫌い」は「でもやっぱりここは好き」「いやここだけは許せん」に分けられる。。。という具合に、いくらでも言い訳分割できるようになり、ツッコミ文化とその研究の基礎となっています。
 近年、古代ギリシア期に別の格言があったことがわかってきました。

 ツッコミは対象の世界に入るべし。その世界の理に従うべし。
 理に敬意を払わぬツッコミは、ツッコミにあらず。
 それはただの言いがかりである。

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