軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

ホーキング博士「天国など存在しない。おとぎ話だ」

2011-05-17 22:39:29 | その他の雑記
ホーキング博士「天国など存在しない。おとぎ話だ」

 私たちが天国や来世に召されるという信仰は、死を怖れる人々の「おとぎ話」に過ぎない。スティーヴン・ホーキング博士はこう語る。(中略)「私は脳というものを、部品が故障した時に機能を停止するコンピュータとみなしている。壊れたコンピュータに天国も来世もありはしない。それは闇を怖れる人々にとってのおとぎ話だ」(5月15日付 Guardian紙、摂訳)


 ふむ、ホーキング博士よくぞ言ってくれました。以前、「異星人とコンタクトすべきでない」というコメントを読んだ時は想像力貧困に思えましたが、さすが宇宙論の権威。自身の難病の体験の裏付けもあって、この分野での発言には説得力がありますね(死後の世界について科学的に考える時、宇宙の起源や完結可能性などがかかわってくるので、宇宙論の知識は欠かせない)。

 死後の世界の存在を示す明白な根拠や証拠、蓋然性が見いだせない以上、「そんなものは存在しない」というのが最も合理的な解釈でしょう。生命は死ねば無と言うかゼロ。厳密に言えば、持っていたエネルギー自体は保存されますけれども、死後の生というのはエネルギーではなく意識や記憶、それによって形成される人格の継続という意味ですから。そして意識や心、自我、自意識、あるいは魂とでも呼ぶべきものは、脳の電気的・化学的反応の副産物であるので、肉体が滅べば切り離されて単独で存在する、などということはなく(仮に脳の全データをダウンロードできても、それはコピーに過ぎない)。ましてや別の時空なり世界へ移動するというのはありえない。少なくとも、現時点で死後の世界を肯定するものはありません。
 感情的に決めつけているわけではなく、私も「死とは何か?」について興味(科学的にね)を持ったことがあって、本を読み漁ったりしました。いわゆる臨死体験は個人の死生観に影響された脳内イメージで説明できますし(ようするにただの夢である)、幽体離脱も医学的な原因とみられる現象が発見されています。また、百出する宇宙論の中には、この宇宙以外の時空の存在を示唆しているものはありますが、その場所と地球上の生命が何らかの情報のやりとりをしている根拠も、説明できる原理もない。肉体が活動を停止すれば意識を維持できなくなり、どこかにそれを移すことはできない。
 あるいは量子論的な解釈をもってしても、偏在の消失はありえても、それは常に個に収束しうる一つの状態であって別個の存在ではなく、ましてや肉体と精神の区別ではない。肉体が滅んじゃうんだからトンネル効果もダメ。ある時期(肉体の消滅)を過ぎたら特定の状態(精神)だけが乖離し、別世界で存続するという、一方方向の時間的・段階的なステージが存在するという説明にはならないようです。やっぱり死ねばゼロのようだ。そういう結論になってしまいます。

 こうした考え方はほとんどの宗教の教義の否定にもつながり、宗教が社会に根付いている諸外国では、大っぴらに言う学者はあまりいないようです。ホーキング博士自身は理神論者(人格神ではなく、法則的な造物主の存在を認める考え方の持ち主)だそうですから、独特の世界観があるのかも知れませんが、今のご時勢、これだけズバっと言うのは覚悟がいるでしょう。また、死を恐れる人や、現世で苦しむ人にとってこのような精神安定剤がないと、世間はもっと殺伐として混乱してしまうのかも知れません。約900人もの死に様を書いた山田風太郎の『人間臨終図鑑』を読んだ方おられますか? 非常に面白かったんですが、ほとんどの人が死ぬ時にものすごく苦しんでいる。いやこれは怖い! 救いを求めるのも無理ないかも。

 そんな個人の信仰を理詰めで否定する是非については、非常に迷うところです。ですが死後の世界の肯定は、生も死も陳腐化し、生きる意味を軽視するように思えてなりません。少なくとも、霊能者だのなんとかカウンセラーだの、死後の世界や死者の霊を知覚できるとか嘯いて人の心の隙間につけ込み、金儲けをするような連中は全否定してよろしい。ホーキング博士のように「お前の言ってることはおとぎ話だ、つーかお前の作り話だ!」と言ってやりたいものです。本当は自分が一番死を怖れてるんだろ。

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ふだん言わずにいること

2011-05-13 20:31:09 | その他の雑記
 前回の「宇宙でいちばん丈夫な糸」の感想で、「登場人物が言いたいことを言ってくれた」という意味合いのことを書きました。私は普段、軌道エレベーターについて人様に語る際に言うのを控えていることがあります。それは「人類が地球を捨てる日が来る」ということです。

 この春、ありがたいことに「軌道」のタイトルで電子書籍を出すことができましたが、その末尾は「軌道エレベーターがフロンティアへの架け橋になる」ということを書いて結んでいます。これは嘘ではないんですが、さらにその先に、頭の中で「地球を捨てる」ということを位置づけています。
 「当たり前じゃないか」と思われる方も多少いるとは思うのですが、少なくとも、軌道エレベーターの実現の見通しさえ立たない現状では、あまりにも飛躍し過ぎていてドン引きされてしまうので、控えているのです。あざとい言い方をすれば、軌道エレベーターについて、より多くの人々の関心を得るためには、今はそこまで突っ込むべきではないという打算の結果でもあります。しかし、これは避けられない帰結であろうと確信しています。

 私たち人間が、生まれ故郷の地球を忘れ去るはずがない? とんでもない。それは単なるセンチメンタリズムや願望、あるいは宗教がかった信仰心であり、未知の変化を怖れ、変わらぬ価値にもたれかかることで安堵を得ようとする心の裏返しに過ぎません。人類は、ひとつの処で発展を続けられる生き物ではないことは、歴史を見れば明らかです。
 人類発祥の地や古代文明の都が今も求心力を持っているか? 歴史上栄華を極めた首都が今も世界の中心か? 古代、当時のあらゆる知識を集積していたというアレキサンドリアは? 太陽の沈まぬ帝国を築き上げたスペインは? 栄枯盛衰は歴史の必然。古来からの都市や文化の名の下に今なお続いている例はありますが、それは文明としての生命維持のエネルギーをほかから収奪しているから(言い換えれば、エネルギーの獲得範囲が拡大したから)であり、古きよき生活で自己完結しているのだとか言う人がいれば、それは見たいものしか見ていないだけです。ましてや常に競争によって発展してきた人類は、知識や富、文化の偏在を覆そうという行為と無縁ではいられないし、豊かさの独占は、それにありつけない者を新たな処へ富の追求に駆り立てる、あるいは追いやる。
 私たちはいつまでも古来の文明の拠点にへばりついていることはなく、政治経済や文化の中心は常に変遷してきました。地球そのものが単なる辺境にならないという保証がどこにあるのか?

 以前書いたように、文明は周囲の環境を食んで持続していきます。そんな人類を、地球環境の方だっていつまでも許してはくれないんですよ。「地球にやさしい」なんて笑わせる。私たちの方が地球に優しくしてもらえるうちが華であって、さっさと自立してお暇しないと、いずれ牙をむかれて絶滅に瀕する(わかってると思うけどこれ比喩ね。私は無神論者です)。
 そしてテクノロジーは発展する方向にしか進みません。人類社会が極端なカタストロフに遭遇してあらゆる社会基盤や富が破壊され、文明レベルが先祖がえりでも起こさない限りは、このベクトルは、一時的な停滞はあっても基本的に変わらないでしょう。軌道エレベーターが実現したら、そのベクトルは宇宙へ向かうことになります。
 一般大衆まで宇宙へ出る手段を手にし、地球外へ出ていく人々が、ほかの場所に力をシフトできるだけのある閾値を超えた時、求心力を失ったこの惑星は、辺境と化すでしょう。何よりも、人は手段を手にしたら使わずにはいられない、新しい世界へ出ていかずにはいられないのです。
 
 これは今はSFの世界でしか語ることができないことで、相手がついてこれなくなっちゃうので、あまり言わないようにしています。しかし、その必要もないでしょう。なぜなら、軌道エレベーターに実現の目途さえ立てば、誰が主張しなくてもそうなると考えているからです。軌道エレベーターの認知度や関連技術の発達度がある閾値に達したら、私たちは大小の混乱の果てに、おのずとそのステージに到達するでしょう。それは私よりもずっと後の世代の話でしょうし、ひょっとしたらその前に人類が滅びるかも知れませんが。
 今後もこのようなことを書くことは少ないでしょうが、私はそういう世界を念頭におき、こんなことをやっています。

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軌道エレベーターが登場するお話 (5)の2 宇宙でいちばん丈夫な糸

2011-05-01 21:34:39 | 軌道エレベーターが登場するお話
宇宙でいちばん丈夫な糸
(「妙なる技の乙女たち」文庫版より)
小川一水(2011年 ポプラ社)


 だいぶ前にこのコーナーで紹介した「妙なる技の乙女たち」が今年2月に文庫化されたのですが、「何か変化あるかな?」と思って本屋でのぞいてみたら、書き下ろしエピソードが1編追加されていました。興味深かったので、5回目の追記として紹介します。

あらすじ 巨大企業CANTECの技術部長アリッサ・ハービンジャーは、軌道エレベーター建造のため、多層カーボンナノチューブの連続紡出を実現させた男を訪ねる。俗世間から離れて隠遁し、商業利用を許諾しない変わり者の彼は、想像以上の難物だった。説得を試みるアリッサだったが…

1. 本作に登場する軌道エレベーターの関連トピック
 本作(ここでは便宜上「宇宙でいちばん丈夫な糸」のみを指し、「妙なる技の乙女たち」における本作以外の全短編を「本編」と区別します)には、軌道エレベーターそれ自体は登場しません。その実現の要となるカーボンナノチューブ(CNT)の技術を巡り、主人公が軌道エレベーターへの応用の道を切り開くお話、と言ったところです。

 本作では、バンブラスキ・エイブラムス・チーズヘッドという美味しそうな名前の男が「遠心環状炉CVD法」(CRCVD法)という合成法を確立し、これが軌道エレベーターの実現に不可欠となります。
 少々説明を加えると、CNTは単層構造のもの(SWNCT)と多層のもの(MWCNT)があります。またCVD法とは「化学気相成長法」と言って、触媒を使ってガスの中でCNTを成長させる合成法です。この技術で産業技術総合研究所などは、特にSWCNTの大量合成で進んでいますが、SWCNTにしろMWCNTにしろ、純度や生産能力でまだまだ限界があるようです。バンブラスキは、このCVD法を発展させた技術でMWCNTの大量生産にこぎつけ、こよらせることもできるのだと推測します。

 軌道エレベーターに関する議論は、素材が完成したという前提の下、展開の仕方や力学的な挙動、運用法などについてのものがほとんどで、素材分野はほかに輪をかけて未成熟です。つまりこの私=軌道エレベーター派のような輩というのは、麺の仕入れ先が決まってもいないのに、出来上がるラーメンがいかに美味いかということをふれ回る、ホラ吹きか山師みたいなものなんですよね、今のところ。
 しかし、そうでないと話が進まないので、素材はいずれ必ず出来るというのが一種の了解事項にさえなっていると言えます。軌道エレベーターを扱った物語においてもそれは然りと言え、素材技術の確立に触れた本作は、比較的珍しい部類かも知れません。

 ちなみに本作のバンブラスキという男、グリゴリー・ペレルマン(ポアンカレ予想を解き、フィールズ賞に選ばれたのに辞退して、引きこもりになっちゃったロシア人数学者)みたいな奴で、頭がチーズどころか鋳物で出来ているような頑固者。CRCVD法の軌道エレベーターへの応用を許さず、その理由さえアリッサに話そうとしません。私だったら「お前がウンと言いさえすれば軌道エレベーターが実現できるんだぞ!」と、半殺しにしてでも世間に引きずり出し、協力させようとするかも知れません。
 これが現実の出来事なら、バンブラスキはただじゃ済まないでしょう。(1)国家権力なり巨大企業なりにハニートラップで籠絡されたり、脅迫されて特許を奪われる (2)拉致されて拷問や薬漬けで廃人のようにされ、言いなりに操られる (3)暗殺されて替え玉にすり替えられる。。。こんなところでしょうか。いずれにしろロクな末路をたどりますまい。半殺しどころか全殺しだぞバンブラスキ君。彼は米国人だから、出来上がった製品も戦略物資扱いされ、ワッセナー協約などで禁輸品として規制されるに違いありません。
 軌道エレベーターにおける素材は、それほど重要なわけで、技術的な命題のクリアだけじゃ済まない大問題になることは避けられますまい。この点については、とにかく技術発展の一日も早い進捗と、技術の平和的な公開・普及を祈るばかりです。まあ彼が頑ななのは、「お前な。。。」とか言いたくなる他愛のないもので、私も同類だから気持ちはわからんでもないんですが。

2. ストーリーについて
 本作は、時系列で言うと本編よりも前の、一番最初に来るお話で、いわば「妙なる技の乙女たち」の"エピソードゼロ"とでも呼ぶべき物語です。CNTの応用により、やがて東南アジアのリンガ島に軌道エレベーターが建造され、本編の舞台となるという、すべてのきっかけとなります。文庫化にあたり、そのようなストーリーを一番最後に添えるというのは憎い演出です。
 以前にも書いたように、主人公はあまり相対的に描かれてはいません。しかし全編通してこれが持ち味とも言え、3年ぶりの執筆でも作品の雰囲気は守られています。相変わらず、自信というか不敵な印象を受けるんですよね。それが不思議と好印象になっています。

 本作は30ページ足らずの短編で、さしてヒネリがあるわけでもないのですが、かつて本編を読んだ私にとっては、嬉しい驚きのある一作でした。というのも主人公のアリッサ、この最終章に至るまでのほかのエピソードに、CANTECのCEOとして登場するのです。
 私は前に本編の感想を書いた時、CEOとして登場したアリッサについて「かつての彼女も、この物語の主人公たちのような生き方をしてきたのかも知れません」と書いたのですが、本当にそういうお話を書いて下さったんですね小川一水先生!(別に私のためじゃあるまいが。。。でも嬉しいなあ)
 心理描写はそれほど深くはない(それは従来通り)けれども、アリッサは私好みのキャラで、しかも軌道派ときた。実に結構。彼女は偏屈なバンブラスキに訴えます。
 「エレベーターという手段を体験した人類は、もう二度と惑星の表面になど張り付いていられなくなる(略)それまで数えられもしなかった無数の世界が、開けるでしょう」(395頁)。後にCEOとなる萌芽とでも言いますか、彼女の気性がこの時代から培われていたのだというのが描かれていていいです。それに、自分の言いたいことを代弁してもらっているような快感があるんですよ。前の感想で彼女のセリフに「もっと言ってやってください」と書いたんですが、もっともっと、どんどん言ってやんなさいアリッサ!

 本編は様々な業界で生きる女性たちのオムニバスストーリーですが、本作におけるアリッサは、ほかのすべての主人公たちが活躍する舞台を創り出し、より多くの彼女を生み出した。その意思や強運も含めた生き方が彼女の妙技といったところでしょうか。以前の気持ちを思い出させてもらったようで、嬉しい1作でありました。

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