軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

祝!『宇宙旅行はエレベーターで』復刊

2013-06-27 21:55:44 | その他の雑記
 そろそろ書店に並ぶ頃のはずですが、だいぶ前に「専門書・論文レビュー」でも紹介したエドワーズ/レーガン共著の『宇宙旅行はエレベーターで』が、オーム社から復刊の運びとなりました。最初の版元がなくなってしまったので、いったん絶版状態になっていたのですが、オーム社が権利を譲り受けたのだそうで、いやあ、もう手に入らない状態などにならなくて良かった良かった。
 宇宙エレベーター協会(JSEA)を通じて献本をいただきまして、早速中を覗いたところ、修正や若干の加筆が行われていました(初版にはけっこう間違いがあった)。で、巻末には翻訳者の関根光宏さんによる解説が追加されているのですが、その中で「次に、宇宙エレベーターや宇宙旅行関連のウェブサイトを列挙する」という369頁になんと、

 軌道エレベーター派のURLが載っとる!

 関根先生には、JSEA発足間もない頃にワークショップで講演を依頼したご縁で、その後も貴重な古い資料のコピーを下さったり、『ポケットブック』の英訳の際にもアドバイスをいただいたりと、お世話になりっぱなしです。このサイトのURLは石川憲二先生の『宇宙エレベーター -宇宙旅行を可能にする新技術-』(これもオーム社)にも載せていただいたのですが、それにしても、こんな個人ブログを載せていただけるとは、何事も続けてみるものですね。こうしてURLを載せていただけるのだから、「う~ん、もっとマジメにやらないといかんなあ」と、なんだかプレッシャーを感じたのですが、「いや、今まで通りやればいいんだ」とすぐに思い直しました。マイペースでやってきます。
 関根先生、本当にありがとうございます。石川先生にも、ここで改めてお礼申し上げます。皆、復活した『宇宙旅行はエレベーターで』を読むべし!

軌道エレベーターが登場するお話(12) 十五年の孤独

2013-06-18 10:12:48 | 軌道エレベーターが登場するお話
十五年の孤独
七佳弁京
『書き下ろし日本SFコレクションNOVA6』収録
(河出書房新社 2011年)


あらすじ 老朽化で廃塔が決まった軌道エレベーターを利用し、15年かけて静止軌道まで人力登攀の企画が実施される。子供の頃、宇宙にいるという「風宇鳥」の話を聞かされた本井は、人力で宇宙へ出る、この人類初の試みにチャレンジする。

1. 本作に登場する軌道エレベーター
 本作では、人類初の静止軌道エレベーター「ツィオルコフスキー塔」と、20年後に建造された「アルツターノフ塔」、さらにその15年後に完成した「アーサー・C・クラーク塔」の3基が存在しています。「シェフィールド塔はないのかっ!?」と思って読み進めたら建造中とのこと。
 いずれも赤道直下の海上に建造されたらしく、最も古いツォオルコフスキー塔は輸送能力も低く実装も簡素な、典型的な第1世代モデル。アルツターノフ塔は自己修復機能を持つ生体カーボンナノチューブをピラーに用い、年間5万tの輸送能力を持つ1.5世代モデルで、クラーク塔はさらに進化した超伝導素材のテザーをリニアで昇降するため、1.5~2.5世代に分類できます。各塔の基礎理論は、エドワーズモデルをベースとしているのが見てとれます。
 アルツターノフ塔は物資、クラーク塔は人員輸送にそれぞれ特化しており、宇宙進出が飛躍的に進んだとのことです。ただし、ツィオルコフスキー塔とクラーク塔の地上基部は数kmしか離れていません。ツィオルコフスキー塔は老朽化して撤去することが決まっており、作中で明言されてはいませんが、クラーク塔はツィオルコフスキー塔を足場にして造られたと考えるのが妥当でしょう。高度500kmで両塔の間にワイヤーが張られている描写が出てきます(これを伝って行き来するのですが、地上500kmの綱渡りって!((((;゜Д゜))))まあ曲芸みたいな渡り方したんじゃないでしょうが)。このワイヤーが臨時的なものか常設なのかはっきりしませんが、ほかにも色んな高さで結合しているはずです。そうでなければ、高度が増すほど逆ハの時になって間隔が開いてしまい、静止軌道においては20km近くも離れてしまうからです。ということは、2基で一つの2.5世代モデルとみなすこともできます。いずれにしても、実利的な発想で面白いです。



 本作の主人公・本井は、老朽化したツィオルコフスキー塔を人力で登攀します。ボブスレーのようなクライマーをピラーに取り付けるのですが、コレ、要するに上向きに取り付けた自転車のようなもので、手足でペダルを漕いで上昇するんです。いや面白い! 最初に「軌道エレベーターを人力登攀」というふれこみを見た時、てっきり昇り棒を昇る感じを想像したのですが、こんなやり方とは、著者の想像力の豊かさがうかがえます。
 このボブスレー型クライマーのすぐ後に、「スパイダー」という電動のサポート用クライマーが随伴します。休息や飲食、排泄の時にはクライマーごとスパイダーに収容され、カプセルホテルのような役割を果たす。スパイダーは地上との間を往復して食糧や着替えなどを運んでくれます。高度に伴う重力低減やヴァン・アレン帯からの防備などのため、スパイダーは交換され大型化していきます。よく練られてますね。本井はこのような装備で、人類で初めて人力で宇宙へ出るという行為に挑戦します。
 もし本作の世界で単座式の宇宙船やクライマーなどがほかに使われていないとすれば、単独で宇宙へ出たのは米マーキュリー計画で1963年に「アトラス9」に搭乗したゴードン・クーパー以来ということになります。ただし特定の筋肉ばかり15年間も使い続けたら、本井の肉体はクライマーに順応したいびつな体格になるでしょう。1Gの重力に耐えられない体になってしまう可能性もありますね。

 ところで上述のように、本作は「ツィオルコフスキー」「クラーク」など、軌道エレベーター史上の大御所や名作の名称をたくさん盛り込んでいます。ツィオルコフスキー塔の静止軌道ステーション「楽園の泉」と本井との間のやりとりがなかなか小粋です。

 「感謝する。<楽園の泉>」
 「マイケルだ。楽園で会おう」
(84頁)

 マイケルカッコよすぎる。ハリウッド映画みたいだ。「リスペクト」「オマージュ」などというパクリが氾濫する昨今、こういう遊びをやり過ぎると「新人作家がおこがましい」などと反感を買いそうですが、本作では自然な感じで鼻につきません。軌道エレベーターが出来たら実際にこんな名前が付けられるんじゃないかと、けっこう本気で思えるんですよね。

 軌道エレベーターを伝って人力で宇宙へ出るというネタは、実は仮面ライダーカブトに先を越されているのですが、運用を終えた後の使い途に着眼したのも実にユニーク。各塔の設定や名称も面白く、これだけでも一見の価値ありです。

2. ストーリーについて
 主人公・本井の父親は軌道エレベーターの事故で亡くなるのですが、本井は幼い頃にその父親から「風宇鳥」の話を聞かされます。重力に打ち勝ち、自力で宇宙に出た人の前に姿を現すという、一種の都市伝説です。風宇鳥への好奇心も手伝い、彼は15年かけて軌道エレベーターを静止軌道ステーションまで人力で登攀するという、放送局の企画に応募し選ばれます。年齢はおそらく20代後半~30代前半くらい。それで15年を宇宙で、それも一人で過ごすんですから、青春も家庭的幸福も完全に放棄してますね、これは。

 しかしながら、『十五年の孤独』と銘打ったタイトルこそ渋くてカッコいいものの、本作は必ずしも本井の孤独な日々を描いた物語ではありません。途中で人恋しくなったり、後悔したり、鬱気味で取り乱したりと、孤独を噛みしめる描写は出てくるのですが、本井は生来のペシミストの印象が濃い。彼の孤独癖と、本作の状況がもたらす孤独は別の問題であり、軌道エレベーターを登ろうが登るまいが、彼はもともと「ぼっち」に違いない。ぼっち? これがスクールカーストものでおなじみのぼっち!?(byエレナ)

 。。。茶化すのはほどほどにして、では何を描いているのかと言うと、本井の人生の宿題を片付ける、仕切り直しの旅といったところでしょうか。30頁ほどの短編からうかがえる限り、彼のメンタリティには名誉欲や金銭欲、自己鍛錬から陶酔感を得たがるチャレンジ精神などは見出せません。彼を宇宙へ駆り立てたのは子供じみた「飢え」であったように見えます。
 明確な言葉で自覚はしていなくとも、軌道エレベーター登攀によって、何かしら自分は変われるという期待を抱いていたことは疑いない。父親を亡くした時、本井は「なにかを強く願ったのだが、これは覚えていない」(55頁)といいます。やがては願いを抱いたこと自体も思い出さなくなりますが、記憶の奥底にしっかり居座り続けていた。それは風宇鳥の伝説と不可分なものとなって、「答えは宇宙にある」という方法論を本井の中に創り上げていたようです。そんな心の作用から、半ば無意識に軌道エレベーター登攀という、図らずも巡り合わせたチャンスに飛びついたのでしょう。
 見ようによっては、本井は精神的な発達が停滞していて、15年という時間をあっさり犠牲にするのも、ある意味未熟で単純な価値観によるものです。これを単にスケールがでかいだけの、(沢木耕太郎の本に感化されてフラリと旅に出るような)安易な自分探しや現実逃避願望と片付けることも可能かも知れません。
 ですが、誰しも「あの日以来時計が止まったまま」という体験の一つや二つは抱えています。得てしてそんな記憶は日常の精神活動の中に埋没させ、なあなあに済ませてしまうものですが、本井はそれをよしとしませんでした。不器用というか、お世辞にも利口とは言えない生き方ですが、彼にとってはそれを得なければ前へ進めないほどの何かが宇宙にあり、何事も得るには代償を支払わなければならない。15年間の孤独はそのために彼が支払った対価です。本作は終始切ない雰囲気が横溢していますが、決して孤独な寂しい物語ではなく、むしろ微かに温かみを感じさせる、再生へ歩みだそうとする人間の物語です。本井は静止軌道までたどり着けるのか? 風宇鳥は本当にいるのか? 顛末はぜひ読んでみてください。

3.滋味深い一作
 本作は密度の濃い一方、無駄の省き方が上手でまとまりが良い。本井がピラーを登りながら成層圏やヴァン・アレン帯などの境目を通過する描写を織り交ぜ、節目のツボを抑えて15年という歳月の経過を冗長なものに感じさせません。また別れた恋人を定期連絡の担当に据え、15年の間に彼女の容姿が劣化。。。いや成熟を増していったり、出産や子育ての報告をするといったファクターを織り込むことでカレンダーの役割を果たさせるとともに、本井のいや増す孤独感を引き立てる存在にしています。
 何よりも、人力で宇宙へ出るなんて、軌道エレベーターだからこそできる、それでいて余人にはなかなか思いつかない使い方のアイデアです。トンデモ小説になりかねないそのアイデアを、空想科学小説として致命的な破綻なく仕上げており、私が考える良質な物語の条件を満たしていて楽しめました。軌道派というのも実に結構。

 本作の末尾には、参考文献としてエドワーズ博士の『宇宙旅行はエレベーターで』(オーム社から再版予定)をはじめ、『軌道エレベーター』(現在は早川書房)、『宇宙エレベーター 宇宙旅行を可能にする新技術』(オーム社)、『楽園の泉』(早川書房)が掲載され(金子先生、石川さん、見てますか!)、そして宇宙エレベーター協会(JSEA)のホームページが挙げられています。
 JSEAのサイトは今年度にリニューアルしたのですが、以前は基礎知識に関するコンテンツの多くを私も執筆しました。もし著者が目を通していてくれたのならうれしいですし、私たちの活動がこうした形で実を結ぶのはスタッフ冥利に尽きます。このような良質な作品が続々出てきて欲しいし、その誕生に少しでも貢献できればと思うばかりです。

エクアドル初の衛星、旧ソ連の宇宙デブリと衝突

2013-06-10 22:29:56 | 気になる記事
エクアドル初の衛星、旧ソ連の宇宙デブリと衝突
エクアドルが4月に初めて打ち上げた衛星が、旧ソ連ロケットの残骸と衝突した模様だ。引き続き軌道に留まっているようだが、送信は途絶え、制御不能となっている。(後略。msn産経ニュース 5月28日)

なんたる理不尽! ヽ(`Д´)ノ
 いやもうお気の毒としか言いようがない。エクアドルには何の非もない、とばっちり以外の何物でもなく、子供向けの教育用キューブサットというのがまた泣けます。まあ軌道投入する際の中国の技術には少々引っかかるものがありますが。
 宇宙条約では、締約国が打ち上げた物体が他の締約国またはその国民に損害を与えた場合には、当該締約国が直接に損害賠償責任を負わなければならないことを定めています(7条)。また宇宙損害責任条約でも過失責任が求められています(3条)。今回の場合両国とも締約国ですし、そうでなくても両条約とも国際慣習や法の一般原則とみなせるので、法的責任の所在に関しては議論の余地がないように思われます。
 じゃあこれで、旧ソ連の国家主権を継承したロシアが、すんなりエクアドルに賠償するのかというと、けっこう怪しいのではないでしょうか。4年前にロシア自身が同じような目に遭っていて、小型の科学衛星が中国の衛星破壊実験で生じたとみられるデブリと衝突し、中国は「ウチの国の衛星(の破片)じゃないもーんだみのもーんた」とゴネて揉めたらしいです(どっちもどっちだぜ少しは反省しろよう)。今回ロシアも同じ態度をとる可能性は決して低くなく、国際法の常として罰則がないので、すっとぼけられても追及が困難なのですよね。ちなみに4年前の件はその後どうなったのかは詳しく知りません。情報をお持ちの方、ご提供いただければ幸いです。エクアドルが保険に入ってるといいんですけど。

 いずれにせよ、ここんとこデブリの被害が深刻化してきているように見えます。もうケスラーシンドローム目前だという指摘もありますから、一日も早い、包括的な取り組みが望まれます。私的には、デブリの根絶には軌道エレベーターしかないと決してネタづくりではなく大真面目に確信しているのですけれども。