軌道エレベーター派

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「日本沈没」と時代背景

2021-11-14 10:06:33 | その他の雑記
 面倒だった衆院選とその後始末が終わり、( ゚д゚)ポカーン と脱力状態なところに、今頃になって疲れが襲ってきました。なんかすごくだるい。宇宙科学技術連合講演会が今年も開かれたので、それをまとめようとしているところですが、今回はつなぎの駄文でお目汚しを。

 小松左京氏の「日本沈没」(以下、この原作を「本作」と呼びます)がドラマでリメイクされて放送中ですね。以前当サイトで「復活の日」を紹介したことがありますが、「日本沈没」も没頭して読んだものです。小松先生には、いちファンとしだけでなく、宇宙エレベーター協会の活動で献辞をいただくなどお世話になりました。

 本作は1973年に上梓されて大ヒットし、当時映像化もされて小松先生もひと財産築いたそうです(それを「さよならジュピター」映画化でほとんど遣ってしまったらしい)。本作が当時、多くの読者の共感を得たのには、日本が第二次大戦における敗戦から、復興が成って間もないという時代背景が大きく影響していたと思っています。
 
 日本は1952年に主権回復して再び独立し、64年には東京五輪開催。その4年後にはGNP(=国民総生産。当時はGDPではなくこちらが経済成長の指標だった)で世界第2位に躍り出ました。72年には領土返還も果たしましたが、国を引っ張る世代はまだまだ戦争の惨禍を記憶に残していたという時代です。そんな中で本作が世に出て、作中で未曾有の天変地異が国土を襲う。
 日本が沈むということを知った、名もないサラリーマンの独白が、本作で一番心に残っています。長いですが引用します。

 この生活を築き上げるために、三十年近く重ねてきた。思い出すだけで脂汗のにじむ苦労、犠牲にしなければならなかった青年期の夢や希望、否、青春そのもののたのしみを、暮夜、ふと思い出すと、どうにもたえかねて、一人冷たい酒で、そのぎちぎち音をたてるほどこりかたまった疲労とつらい思い出をまぎらし、ときほぐすほかなかった。
 生意気ざかりの子供に、その贅沢な物の使い方を説教し、ついでについ「戦争中は……」といいかけると、「関係ない」などと軽蔑したようにいわれて(中略)--でもいいのだ。あのつらさ、あの苦しさ、人の心が一筋の芋をめぐって豺狼のごとくいがみあうあの地獄を味わわさないために、自分が--自分たちの世代が、多くのものを犠牲にし、苦しいことを我慢しつつづけてきたのは、結局よかったのだ。
 子供たちに、あの地獄が、まるで理解もできないのは、おれたちががんばってきた「成果」なのだ。おれの子供は、絶対にあんな目にあわせたくない、と思い続けたことが、今、達成されたではないか、とーー(中略)
 その「やっと豊かにととのってきた暮らし」が……また一場の夢と化し、この先、眼前に、またあの「悪夢と地獄」がはじまろうとしているのか?

(読みやすくするために改行を加えてあります。文中の傍点は表記できないので省略)

 この名もなき人物の行く末は描かれていませんが、上記の独白の後、それでも家族を守って生き延びようと心に決める下りが続きます。映画「三丁目の夕日」で堤真一さん演じる鈴木オートの社長と同じくらいの年代でしょう。あの人も豊かになることに邁進しながら、戦争を振り返り涙していました。本作はこういう世代の心に響いたのではないかと。

 「日本が沈むわけねーだろ」と、本作をSFの邪道のように批判して馬鹿にする人がいました。しかしそういう批判の仕方は愚かで的外れもいいとこです。
 沈むわけないの当たり前じゃん。本作は祖国喪失のシミュレーションがテーマであって、日本沈没はその仕掛けに過ぎない。その事態に直面する日本人がいかに立ち振る舞うのかが作品の本質なのですから。
 それでも列島が沈むメカニズムを、気象のメタファで説明する架空の理論を構築していて、SF作品としても非常に読み応えのあるものになっています。高気圧の下に低気圧が潜り込むのに似た現象を、地殻内部でマントルプリュームの動きが示すという発想の面白さ、さすが世界で最初に軌道エレベーターが登場する小説を書いた小松左京先生。ちなみに何億年か後には、日本列島の大部分は大陸にくっつくか沈むかするんですけどね。

 聞くところによると、小松左京氏が特に書きたかったのはその続編の方だったそうです。いわば第二のユダヤ人となって世界中に散り散りになった日本人が、どのように生き延びていくのかを描くのが「本番」だったとか。
 院で難民問題を学んでいたこともあり、個人的にもその続編に期待していました。ちょうどその頃に谷甲州氏と共筆の「日本沈没 第二部」が刊行されたのですが、前半はとても面白いものの、私的には後半はあまり楽しめない内容になっていました。小松先生のプロット通りではあるそうですが。

 翻って今回のドラマの設定をみると、21世紀の現代情勢に合わせてかなりアレンジされていますね。時代背景として、東日本大震災から10年という節目を狙ったことは間違いない。その意味ではタイムリーです。震災の教訓や最新の災害対応の仕方、津波の脅威や原発事故などがクローズアップされるかも知れません。
 また環境問題への関心は半世紀前とは比較にならないほど大きく、ドラマでは主人公が環境省の官僚であることからも重要視しているのがうかがえます。こうした要素を取り入れて、独自の持ち味を出せる可能性を持っていると思います。それをどこまで生かして描けるか。

 ただ今回のTV版、いやーな予感がするんですよね。。。今回のドラマでは、架空のエネルギー資源が登場します。消費しても二酸化炭素を発生させないという設定で、メタンハイドレートや液化天然ガスのクリーン版ですね。これが日本近海に存在するらしく、日本は次世代のクリーンエネルギーとしてこの資源の採掘に注力するのですが、この行為が沈没の一因になります。
 その後地震が起きてすっかり忘れ去られてますが、これ、最後の最後で、列島沈没にブレーキをかける切り札になるだとか、そんなオチになるのではないか? この資源の持つ特性がプレートの動きを抑制できるとかメガリスを分解できるとかなんて話がでてきて、「脱炭素エネルギーへの取り組みが、日本を救う切り札になった」という美談で締められる気がして仕方ない。
 東日本大震災の規模はマグニチュード9.0。エネルギーにすると2×10^18ジュールで、2019年の世界の総発電量の30分の1くらいに匹敵します。列島をまるまる沈めるエネルギーなんてこれじゃ済まないでしょ。このような力を人工的にコントロールできるという話になるとしたら、それは結局自然の営みを陳腐化し、かえって人間の傲慢さを表す結末になってしまう。
 勝手に想像してしまいましたが、そうなると決めつけちゃいけませんね。とにかく今後の展開を見届けたいと思います。

 本作はこれまでに何度も映像化され、アニメにもなっていますが、2006年の映画版のような仕上がりにはしないでほしいものです。今のところまだ何とも評価できず、「ふむふむ」と観ておりますが、令和版「日本沈没」が、東日本震災の記憶が残っている私達の世代の心に響く作品になるかどうか、小松左京先生を偲びつつ、今後を注視していこうと思います。

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