軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

軌道派アイデアノート(2) Orbital Shield

2010-08-25 23:40:49 | 軌道派アイデアノート
今月から始めたアイデアノートの2回目です。
 今回も、私のこだわり部分であり、軌道エレベーターの本体に、いかに付随施設を設けるか、力学的に可能かという点についてです。

 当サイトをご覧下さっている方の多くはブラッドリー・C・エドワーズ氏らの「宇宙旅行はエレベーターで」(ランダムハウス講談社)をお読みになっていると思います。本書のモデルで設けられている中間ステーションは、静止軌道の「ジオステーション」と末端付近の「ペントハウスステーション」のみ。ペントハウスでもプレイボーイでもいいですけど、これはカウンター質量の一部を成していて、低軌道や高軌道の任意の位置にはステーションがない。
 つまるところ、第1世代のモデルで完結しているエドワーズプランでは、本体に軽量でペラペラのケーブルを使用しているので、負荷に耐えられず、静止軌道以外にステーションが造れない。現実問題として低軌道や高軌道にステーションを設けるのは不可能です。これでは、軌道エレベーターのあるべき価値の半分も有していないのではないか? なんか違うよ! ずっとそう考えてきました。
 当サイトや宇宙エレベーター協会で使用している私が作った図でも、低軌道部や高軌道部にステーションを設けていますが、私なりに考えがあってやっているのです。前回述べたFontain工法によって、大きな荷重に耐えられまで一気に太くしてしまえ! というのがその一つの答えのつもりなのですが、これに加えて、今回もう一つのアイデアを紹介します。
 簡単に言うと、低軌道ステーションをはじめとする、低─高軌道域に設ける様々な付随物を、静止軌道を挟んで力学的にシンメトリーにして独立させてしまうという方法です。今回の案も、軌道エレベーター学会コーナーの「Fountain式(工法)とOrbital Shield」で紹介した案を簡略化、多様化して紹介するもので、「学会」で述べたのはその一つの完成形のようなものだと考えていただければ嬉しいです。

 以下、いくつかのプランを段階的に紹介します。ここでは、軌道エレベーター本体の建造方法は前回のFontain法で造るものとして話を進めます。



(1) 低軌道と高軌道のステーション同士をケーブルで繋ぐ
 OEV建造の初期の段階から、低軌道と高軌道にステーションを設けることは求められと思われます。ここでは各1基ずつ設けるとします。 
 低軌道と高軌道のステーションを、本体とは別のケーブルで繋ぎ、静止軌道を挟んでお互いに引っ張り合う構造を持たせます。静止軌道からの距離はそれぞれ異なりますが、大きさや高度の調節、必要に応じて大小のステーションを増やしたりするなどしてバランスをとります。
 これにより、各ステーションの高度維持は本体に依存せず、負荷をかけずに済みます。

(2) 低軌道部と高軌道部を繋いだケーブルを筒状に成長させる
 前述の「学会」で紹介したのは構想の中心はこれです。建造方法は異なりますが、どちらでもいい。とにかく、いったん低軌道部と高軌道部をケーブル等でつないでバランスをとる構造を実現したら、線を面にして、本体に負荷をかけないまま筒状にする。本体はトンネルの中を通るような構造になるわけです。理論上は、素材の量に応じた強度に見合う範囲であれば、無限に大きくすることが可能なはずです。
 筒状になって、その筒自体が様々な負荷に耐えられるほど成長したら、耐放射線構造や耐衝突構造を持たせる。これにより、軌道エレベーターの大きな課題でもある、デブリの衝突やヴァン・アレン帯に対する放射線対策を施すことを目指します。

(3) 力学的に対称性を持つリニアレールを設ける
 シールドが成長する一方で、本体も成長を続けてどんどん太くなっていきます。本体が、内部を中空にするほどの太さや強度に達したら、この空洞の中に、シールド同様、静止軌道を挟んで力学的にシンメトリックな構造で、電磁気推進システムを設ける。
 大きなメリットを生む軌道エレベーターの機能として、位置エネルギーの利用による電力の回収が期待されるリニア昇降システムがありますが、これを導入する最大の問題は、電磁気推進の機構自体がものすごい重さになるため、とても本体に取り付けられないという点にあります。電磁誘導体を備えたレールを敷かなければならないからです。いま一つは、ただでさえ重いリニアの乗り物を垂直方向に動かすには、相当な技術発展が必要だという点です。これは、本体を相当太くしてもなかなか解決できない問題でしょう。遠い未来でもない限り、1Gの地上からリニアで昇るというのは不可能だと思われます。
 そこで、ひとまずリニアを使用するのは、重力と遠心力がが十分に小さくなる高度の間とし、この間に設けるという構想です。シールド同様、このレールもまた、本体内部にありながら、本体に負荷をかけない構造になっています。そして、素材の改良やリニアの軽量化の発展に応じてその範囲を広げていくということを想定しています。リニアを使わずして何の軌道エレベーターか!

 このリニアを、シールドの方に設けても構いません。ここでの要点は、静止軌道を挟んだ力学的な対称構造によって、本体に負荷をかけずにOEVを大型化、多機能化していくことですので、色んなバリエーションが考えられます。シールドを二重三重の構造にすることも可能ですし、高度に応じて退避施設や武装、非常時に本体を補強する材料の保管庫やその展開装置などを備えることも夢ではないはずです。多様な広がりをもつものであろうと自負しておりマス、はい。

 おわかりいただけると思いますが、上記(1)から(3)はすべて、設備が本体に負荷を与えない構造になっています。位置を保つために多少なりとも接続(べつにベッタリくっつけちゃってもいいですが)するでしょうが、基本的には力学的に依存していません。
 つまり別の見方をすれば、地上から高軌道に達する長大なモデルと、静止軌道を挟んだ短いモデル、大きさの違う複数の静止軌道エレベーターが、力学的にそれぞれ独立した状態で同居しているのです。
 上記をひとくくりにして、またまた勝手に"Orbital Shield"と名付けたわけですが、センスの悪さで失笑を買うのは覚悟しております。
 軌道="Orbital"ってのをどっかに入れたかったんだよう(´Д`)

 とはいえ、このオービタルシールドは、長年軌道エレベーターの情報を集め、その特有の問題点について、自分なりに思考を重ねた末、自分で考え出した一つの回答です。私はこの方法にけっこう自信を持っていて、このやり方であれば、第1世代の段階から、様々な展開や利用ができるはずだと考えています。
 もちろん、高度に応じた重力と遠心力の増減率はそれぞれ異なりますし、数万kmもある軌道エレベーターは屈曲が避けられませんし、口で言うほど簡単ではないのはわかっています。ですが、前回のFountain式にしろ今回にしろ、エドワーズプランのよりも基本原理がシンプルであろう、と自負しています。シンプルな計画ほど成功率は高く、実現が早いと思うのです。
 実は今回の案は、今度更新する予定の「豆知識」のテーマとリンクしています。そちらもぜひご覧ください。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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軌道エレベーターが登場するお話 番外編 (2) イリヤッド -入矢堂見聞録-

2010-08-23 00:40:14 | 軌道エレベーターが登場するお話

イリヤッド -入矢堂見聞録-
原作:東周斎雅楽 作画:魚戸おさむ
(小学館 2002年)


 番外編最後の1作です。本作は考古学がテーマで、軌道エレベーターまったく登場しません、ごめんなさい。イメージ的にちょっとだけ近いというものが出てくるので、それにこじつけて語ろうという魂胆です。

あらすじ 考古学界を追放され、生き甲斐を失って古道具屋を営んでいた入矢修造は、かつての自分の支持者から、プラトンの書に記されたアトランティス文明の探索を依頼される。しかしアトランティスの手がかりを探ろうとする者が、その秘密を隠蔽しようとする組織に次々と抹殺されていく。やがて入矢も命を狙われるが、危険をくぐりぬけながら謎に近づいていく。

1. 本作に登場する軌道エレベーター(もどき)
 本作は、古代文明の謎をサスペンス仕立てで解き明かしていく物語ですが、「柱」が一つのキーワードになっていて、14巻の「夢を見たフクロウ」というエピソードでは、天の果てまで届く柱が登場します。天上にいる神から夢を授かろうと、フクロウが柱に沿って昇っていきますが、いくら昇っても届かず、やがて神に会うことを諦めて命を落とすという寓話が紹介されます。これは作者の創作で、このような昔話とか伝承はないらしいですが、物語の大事なエピソードです。
 今回はこの柱に無理矢理こじつけたわけですが、少々真面目に言うと、古代の神話や昔話、伝承などには、天へ届く柱や樹、糸などが非常に多い。聖書のバベルの塔やヤコブの階段は言うまでもなく、北欧神話のユグドラシル、南米のアウタナ、童話の「ジャックと豆の木」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」などなど。。。人は天へ向かわずにはいられない、という本能的な衝動を持っているように思えてなりません。
 ひとつには、すべての人を見下ろせる高い場所へ行けるということが、権力欲と直結したエゴイズムでもあるのでしょう。いまひとつは、神との邂逅を図ろうとする行為であり、土着の宗教観が色濃く反映されているわけですが、共通しているのは未知への好奇心(「蜘蛛の糸」は地獄から逃げ出したいけだけどね)ですよね。知る喜びというのは、人にとって精神を賦活させる不可欠のエッセンスなのでしょう。

2. 物語とアトランティスの謎について
 本作では、入矢が様々な遺跡や文献を調べたり、研究者から話を聞いたりしてアトランティスの場所を突き止めようとしますが、「山の老人」という古代から存在する秘密結社が邪魔をし、入矢や仲間の命を狙います。「山の老人」は、アトランティス文明について知ることが、あらゆる宗教に根差した根源的なタブーに触れてしまい、私たち人類のよって立つ礎のようなものが崩れてしまうと考えているようです。
 アトランティスがどこにあったのか? 「山の老人」はなぜそれを秘密にしようとするのか? といったお話は、読者を引き込む重要な謎であり、秘密結社が暗躍するあたり、明らかに「ダ・ヴィンチ・コード」の影響を受けていますね。しかし、アーサー王の伝説やマルコ・ポーロの旅行記、秦の始皇帝、果ては日本の昔話など、実に沢山の歴史や伝承を織り込んでいて(中には強引だったり、完全な創作もあるし、んなアホな、という強引な展開もあるんですが)、これらがアトランティスにつながっていくあたりは、ダン・ブラウンのホラよりずっと面白いです。それに、人類最古の文明の所在や、そこに至るまでの過程というのは、学術的にも非常に興味深い。
 
 アトランティスの場所って、実はものすごいたくさん候補があるんですね。日本人にはアトランティスはなじみが薄いかも知れませんが、海外では19世紀にブームになり、たいていは一体何を根拠に? と言いたくなる候補地が、世界中あっちこっちに出てきたんだそうな。かのナチスの前身だったトゥーレ教会(協会)も一種のオカルトマニアの集まりで、アトランティスも探索の対象だったと聞きます。日本では「ムー大陸」の方がメジャーみたいですが、スペースシャトルの名前になるほどですから、欧米人にはかなり親しい伝説のようです。
 私は子どもの頃、知ったかぶりの兄に「アトランティスは地中海にあった。サントリーニ島はその一部だというのが定説なんだゼ」みたいなことを吹きこまれました。本作によればこれも信憑性薄いそうです。プラトンの「ティマイオス」「クリティアス」は、アトランティスはアテナイと戦争したと述べており、理想国家を説く上で、ギリシアの引き立て役として創作された可能性が濃厚という記述を読んだこともあります。これ以外にも様々な文献でアトランティスが示唆されてはいるけれども、本作では比較的お話に都合のいい部分だけを取り上げているようです。結局は、3巻で入矢が諦め気味に語る「アトランティスはなかった……これが定説だ」ということなのかも知れません。

 しかし、仮に、仮にですよ、アトランティスが実在したとして、同心円状の運河がある都市王朝で、地震と洪水で沈んだという文明がどのようなもので、なぜ簡単に沈んじゃうのか? その考察は本作でも色々出てくるんですが、ふと思ったんですよ、「埋立地だったんじゃねーの?」。
 阪神大震災で人工島が液状化現象でグシャグシャになってしまったのを思い出し、そんな想像をしてしまいました。これに近い説は本作でも、入矢たちがヴェネチアを訪れた時に登場しますが、だとすればかなりの灌漑技術を持っていたわけで、やっぱりすごい文明だったのかな? などと、物語を読みながら空想するのはけっこう楽しいです。
 余談ですが、前述の「ムー大陸」の方は、提唱者のチャーチワードの完全なホラだったということで結論が出ています。

 あと、本作で興味深いのは、ネアンデルタール人とクロマニヨン人の関係などについて、人類学的な考察も豊かな点です。ネアンデルタール人は新興勢力に追われて絶滅したのか? 混血や闘争の痕跡が乏しく、遺伝学的にも、同位性が低いというか稀らしいので結論が出ていないわけですが、本作では登場人物たちが、ネアンデルタール人は「種の寿命が終わった」、クロマニヨン人を「我々とは異なる絶滅種」などと、いろいろ説を述べています。
 作者の見解なのか、それとも物語のネタのための創作なのかはわかりませんが、非常に興味深い。我々人類学者(嘘)としては、たとえばヒトがどのように言葉を編み出して行ったのか? 石器や金属器の使用と言葉の使用はどっちが先だったのか? 野性的な生態から、定住や道具の使用、文字や言葉の発明などの段階の間にどのようなプロセスがあったのか? 不思議でなりません。私はそもそも、そのイメージ作りの方向性に何か間違いがあるのではないかとさえ思っているのですが。。。ともあれ、前述の「知る喜び」というものを刺激してくれます。

 本作の物語は日本、欧州、中国などあちこち舞台が移ります。これは憶測ですが、次は中東が予定されていたのが、打ち切りになったのだと思います。その方面の学者が登場するのですが、なんか扱いが中途半端なままでしたし、最後は駆け足でアトランティスの核心に近づいていく感じが否めません。最後の謎解きも、いま一つ曖昧な感じが残るので、本当に打ち切りだったとしたら非常に残念です。

3. 失敗した人々
 そんな、色々ツッコミどころというか矛盾のあるストーリではあるのですが、やはりこのお話も人のドラマが秀逸なんですね。 特に、夢を追うことと、失敗から立ち直るエピソードが多い。

 遺跡の出土物を捏造した疑いをかけられ、考古学界を追われた入矢は、登場当初は「(俺のように)二度と夢など見るな」と、ふてくされて世をすねていましたが、アトランティスの探索を依頼されたことを機に、夢を追う心を刺激され、本来持っていた考古学者としての才知や勇気を発揮するようになります。
 前々回も書いたように、「夢」という言葉を浪費するのは好みません。「夢」とか「理想」というのは麻酔薬のようなもので、何の努力もしてないのに語っただけで何かを成した気にさせてしまうんですよね。本当に夢を追っている人は、その努力を持って夢を語れるから、安易にそんな言葉は使いません。ですが、本作は夢そのものが謎ときのキーワードでもあるので、決して心地の悪いものではないです。かつて勝鹿北星作 浦沢直樹作画「MASTERキートン」(小学館)という作品がありましたが、同じテイストを感じます。特に2巻の「復活のキリスト」という話などは、「キートン」の「屋根の下の巴里」を思い出します。

 もう一つは、失敗した者へのまなざしがいい。人は間違えて失敗して、ようやく人になると言っているかのようです。入矢自身もそうであり、アトランティスを追い求めながら、彼は多くの失敗してトラウマを抱えた人々に出会います。彼はまるで、落ち込んでいた間の負債を払おうとしているかのように軽く言いうんですよね。「失敗しただけだ」
「失敗した…だけ?」事業に失敗して借金を遺し、死んだ父を嫌う少年は、入矢に問います。
「キミのお父さんは人生に目的を持って生きていた(略)たいていの人は目的もないまま死んでいくんだぞ。成功か失敗かはただの結果で、たいした問題じゃない」(6巻)
 そうは言っても本人には大問題であろう。「他人に何がわかる!」とか言われそうですが、入矢が言うとなんか憎めず、そういうものかもな、という気になります。

 そんな入矢ですが、クライマックスへ向かう前に再び挫折しかけます。色んな手がかりを総合した末、彼はアトランティスの場所について自分なりの結論に達しますが、そこで「山の老人」の関係者から、まったく別の場所であることを明かされます。
 困惑した入矢が、第二次大戦中にアトランティスを研究していた、いわば自分の先達である老学者に意見を求めに尋ねると、老学者も「その(略)人物は正しい。アトランティスは(略。言っちゃいかんよね)だ」と告げます。かつてスキャンダルで学界を追われ、学者としての道を断たれた挫折感がよみがえり、すっかり自信をなくす入矢。自分の過去を語り、「立ち直れないほどの挫折でした。アトランティスがなければ、今でも立ち直っていなかったかも」と意気消沈します。
 「君は間違っているよ」老学者に言われて入矢は顔を上げます。もちろん学説のことではありません。「一度人生で大きな失敗を犯した人間は、また失敗しても必ず立ち直れる。そういう気概を学ぶべきじゃないのかね」老学者は入矢を一喝します。
 「何度でも何度でも失敗する勇気が持てなくて、何が人生だ!」(15巻)
 鼓舞された入矢は自説を貫き、証明しようと挑みます。この先迎えるクライマックスは、直接ご覧ください。
 
 かなりセンチ(死語?)な文章になってしまいましたが、やっぱりこの作品好きなんですよ。リアリティに欠けるとしても、そこから得るものが確かにある。そうでなければしょせんは空想にすぎない物語を生みだす意味などないでしょう。アトランティスは本当にあったのか? 人類のタブーとは何か? 入矢たちは夢を果たせるか? 学術的好奇心と、人のドラマの両方を楽しめる逸作です。
 強化月間の遊びのつもりで書いた3回の番外編はこれでおしまいです。ここまで読んで下さり、ありがとうございました。次の更新は軌道エレベーター本来のテーマに戻り、アイデアノートの予定です。

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軌道エレベーターが登場するお話 (8)銀河英雄伝説 (OVA版)

2010-08-18 23:37:01 | 軌道エレベーターが登場するお話
銀河英雄伝説
原作 田中芳樹(徳間書店 1982年)
OVA版(徳間書店 徳間ジャパンコミュニケーションズ らいとすたっふ 1988年)


 原作は言わずと知れた田中芳樹の人気SF小説。間もなく初刊から30年経とうという今も、内容が時代遅れに感じない。つまりそれだけ普遍的なテーマを描いているということでしょう。今月「番外編」で取り上げる予定の3作のうちで唯一、本作にはレッキとした軌道エレベーターが登場します、それも「軌道」で。ただしOVA版のみ。ですので、ここではOVA版に重点を置いて紹介します。今回は決定的なネタバレが沢山ありますので、物語を未見の方はご注意ください。
 ちなみにコミック版の紹介はこちら。

あらすじ 宇宙に広がった人類社会は銀河帝国と自由惑星同盟に二分され、両者は長きにわたる戦争を続けていた。勝敗のつかない一進一退の戦況が慢性化していた中、帝国にラインハルト・フォン・ミューゼル(後にローエングラム)、同盟にヤン・ウェンリーという稀代の戦略家が時を同じくして現れ、歴史が変わっていく。

1. 本作に登場する軌道エレベーター
 帝国と同盟は広大な暗礁宙域で隔てられており、宇宙船は二つの細いトンネル状の回廊を抜けて行き来するほかありません。その一つは「イゼルローン回廊」で、この回廊の途中には帝国軍が建設した要塞が鎮座ましましています。もう一方が「フェザーン回廊」。回廊の中に位置する惑星フェザーンは、宗主権こそ帝国に属するものの、帝国と同盟の間で中継貿易を行って経済的に発展しています(物語前半の状況)。
 原作には登場しませんが、OAV版ではこの惑星フェザーンに、軌道エレベーターが建造されているのです。詳しい設定情報が乏しいので推測を交えますが、地上基部は湾の中の小島のような場所にあり(人工島?)、遠目には白い漏斗状の煙突か長ネギのような、近くで見ると軽く直径数kmはありそうな図太い柱が宇宙へ伸びています。末端には、見たところカウンター質量らしき小惑星のようなものがくっついていて、港や管制ステーションを兼ねているようです。惑星全体を見た時に、この軌道エレベーターも見えるのですが、惑星の大きさに対してデカ過ぎてなんか縮尺がおかしいような気がします。でもこれは単なる記号化でしょう。

 銀英伝の世界では重力制御が実現しているので、宇宙へ出るのに軌道エレベーターは必ずしも必要ないですが、経済効率が異なるのでしょうか? 本体の中を行き来する昇降機は周囲が半透明(映像?)になっていて、銀座のアップルストアのエレベーターみたいな感じで外が見え、なかなか美しい。OVA第2期ではフェザーンを訪れたヤンの養子ユリアンが軌道エレベーターに乗り、上昇しながら、帝国軍の軍艦が外を降下していく様子が見えます。それを見て連れのフェザーン商人が鼻白むあたりを見ると、あえて軌道エレベーターを使うのは環境や人心への配慮もあるのかも知れません。
 ちなみにこのフェザーン、物語中盤で帝国軍に制圧されてしまいます。その際に、帝国軍は真っ先に軌道エレベーターの管制室を掌握するので、かなり重要な役割を担っていることうかがえます。後半では帝都がフェザーンに遷都されることになるのですが、軌道エレベーターは「ここはフェザーンだよ」という説明的背景画として以外には登場しません。

2. OVA版銀英伝の傑作、イゼルローン要塞
 はい、軌道エレベーターについてはここまで。それよりも、銀英伝(のOVA版)でもっともアイデア豊富で美しいのは、何といってもイゼルローン要塞ですぜ、あなた!
 直径約60kmの人工天体で、建造したのは帝国軍ですが、ヤンが無血で奪取し、その後も所有が二転三転します。原作版はスーパーセラミック製のカチカチな球体らしいのですが、OVA版は表面が流体金属で覆われています。遠目にはパチンコ玉みたいですが、軽度の光学的攻撃ははね返し、少々の傷がついても液体だから自然回復する。艦艇が要塞に入港する時は、流体金属層の下から誘導灯がプカと浮いてきて、艦艇は鏡の海に潜るように入港していきます。これが美しい!「浮遊砲台」が表面を自由に泳ぎ回って攻撃し、主砲「トールハンマー」も流体金属を磁場で湾曲させ、凹面鏡にして射程を調節するという凝りようです。

 さらに、「要塞対要塞」のエピソードでは、イゼルローン要塞を奪還するため、帝国軍は同じく流体金属で覆われた(ただし一部は個体の部分が露出している)「ガイエスブルク要塞」に推進装置を取り付けて回廊まで運び、要塞同士差し向かいで闘うのですが、この時の帝国軍の作戦がすごい。
 戦線が膠着した刹那、ガイエスブルクが突然、イゼルローンに衝突しそうな勢いで急接近。同盟軍は「共倒れを覚悟で!?」と驚き、トールハンマーを連射するのですが、トールハンマーの砲台が流体金属層の中に水没し、発射不能になってしまいます。しかも、ガイエスブルク要塞正面の流体金属層が厚みを増していく。
 何事かと言うと、要塞同士の引力で満ち潮が起きたのですな。これにより帝国軍はトールハンマーを封じた上に自軍要塞の防御を強化し、この間に別働隊が回廊を大きく迂回してイゼルローン要塞の背後に周り、流体金属層が薄くなった後背から攻撃をしかけたのでした。重力制御ができるなら接近しなくてもいいんじゃないか? そうでなくても普通は反対側も満ち潮になるんじゃないのか? などとツッコミそうになりますし、そもそも温度差の激しい宇宙空間でこのような粘性を保つ物質があるとは疑わしいですが、その程度のことは十分目をつむれるほど、オリジナリティあふれる設定です。ぜひ観てください(それにしても、ガイエスブルク要塞の残骸はどうなったのだろうか? 全部消滅ということはなかろう) 今回は軌道エレベーターよりこれを書きたくて取り上げたようなもんでして、勝手御免!

3. ストーリーと人物について
 物語については、ファンも多いし解説する必要もないかもしれませんが少々。
 銀英伝で私にとって興味深いのは、同盟側の主人公ヤン・ウェンリーなのですが、一見、彼は戦争ドラマによくいる自然体の賢者タイプに見えます。本作の分析や解説には「銀河英雄伝説研究序説」(三一書房)という良書があり、非常に読み物としても面白い。その中で著者が、真の変人はラインハルトとオーベルシュタイン(ラインハルトの側近の1人)だけと述べています。ですが、私はヤンこそ一番の変人だと思うのです。
 彼は、人格、才能、視野、精神力どれをとってもスケールが大き過ぎ、さらに無欲で偏りや裏表がなく、バランスがとれ過ぎているんですよ。それゆえに、1人の人間にしては有するエネルギーが大きすぎるように思えてならないのです。イゼルローンという辺境にいる一軍人のくせにあまりにも視野が広く、弱い部分をまったく見せず(彼が本気で落ち込んだり、投げやりになったりした場面は親しい人々が死んだ時くらいで、全部他人のためだった)、予測が当たり過ぎる。
 彼にくらべたら、ラインハルトもオーベルシュタインも、色事や娯楽にまったく興味を示さないなど、戦争や政治に長けている分だけ、ほかの方面に相当な欠落があって人間的です。
 過去を描いた外伝でも、ヤンの朴訥さは昔からのもので、上官が敵前逃亡しようが捕虜収容所に左遷されようが泰然自若としていて、「こいつは自分を見失うことがないのか? 寂しくないの?」と言いたくなってしまう。普通ならこういうキャラには魅力を感じない私ですが、本質を射抜いた(でもって妙に洒落の利いた)発言が多く、その視野や戦術・戦略眼に歴史が影響しているのも興味深いです。
(ストーリー知らない人は、数行空けるのでこの先絶対読まないこと!)









 そして、そのヤンは第3期で暗殺され、世を去ります。「『銀河英雄伝説』読本」(徳間書店)によると、これを嘆くファンは多かったらしい。そりゃそうでしょう。私も最初に原作を読んだ時、一瞬呆気にとられてしまいました。OVA第3期リリース後にヤン役の富山敬さんも亡くなったのも象徴的だった。しかし、少し経って咀嚼すると、彼は物語を退場しなければならなかったのだということがわかります。銀英伝は、専制政治と民主主義の相克を描いたドラマでもあるのですから。
 物語の折り返し点でラインハルトは皇帝の座に就き、ローエングラム王朝を開闢。後半ではほぼ全宇宙を征服し、善政を施いて民衆の絶大な支持も得るのですが、それでもなお、ヤンと彼の部下たちは民主共和政治を標榜し、イゼルローン要塞に立てこもって抵抗を続けます。
 この時、ヤンの部下たちは、専制君主に従うことを拒否し、「自分たちのことは自分たちで決める」という信念を貫いている。。。と思い込んでいます。しかし実は、彼等は自主独立を標榜しながら、考えることも、決断することもすべてヤンに任せ、彼を盲信してくっついてきただけでした。この時ヤンは皮肉にも、彼自身が専制君主のような存在、あるいは新興宗教の教祖のような立場になってしまっていた(本人にそのつもりがなくても)。
 ヤンがいなくなって初めて、彼等は自分の頭で考え、ヤン亡き後も帝国に反旗を翻し続けることを、苦悩の末選択します(戦略的には暴挙に近いですが)。ヤンの死は、彼等、とりわけユリアンの独り立ちには不可欠なプロセスだったのでしょう。ヤンは非凡過ぎたために、舞台を降りざるを得なかった。これこそが、彼の変人たる証左ではないかと。

 その後ヤンの後を継いだユリアンの奮闘ぶりは、ここまで読んでくださった方はご存じでしょう。最後は帝国軍の総旗艦に突入して白兵戦をしかけ、ラインハルトに直談判するという危険な賭けに出たユリアンでしたが、相手が銀河帝国の皇帝でも、ひるまず媚びずに毅然と向き合い、伊達と酔狂で民主共和政治の旗を最後まで守り続けました。それはとりもなおさず、ヤンの見識と、よくも悪くもヘンな精神性を享受していたからなのは言うまでもありません。イイ子過ぎるユリアンでしたが、根っこはやはりヤンの一番弟子(ムライ中将談)でした。

 いやー、今回は要塞とヤンの話でものすごい字数を費やしてしまいました。最初に原作を読み、またOVAを観てから相当経っても語れることが沢山あるってことですね。銀英伝は、世代交代を経てもなお新しいファンを獲得し続けています。そして一度(私ゃ何度も読んだけどね)目を通した私たちも、時を経て視点や感性が変化した今でも、たっぷり楽しめると思います。
 ここまで書いたなら番外編じゃなくてもいいかな? と思い始めてますが、とりあえずは番外編のまま続けて、今後の再編の時に改めて決めます。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。次回は軌道エレベーターとはまったく関係ないお話の予定です。

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軌道エレベーターが登場するお話 番外編 (1) 宇宙兄弟

2010-08-15 23:38:23 | 軌道エレベーターが登場するお話
 「軌道エレベーターが登場するお話」、強化月間中ということで少し趣向を変えたものを掲載します。まあぶっちゃけた話、たまには軌道エレベーターに全然関係ない(けど個人的に好きな)物語を扱ってみようという、いわば「つまみ食い集」です。

宇宙兄弟
小山宙哉
(講談社 2008年~)

 (2011年4月9日付記)映画化が決定したそうです。おめでとうございます!
 週刊モーニングで連載中の人気作品。本作のどこに軌道エレベーターが登場するのか? 描かれているんですよ、単行本3巻172頁右上のコマ! 地球から棒のようなものが2本伸びて、中ほどに昇降機らしいものがくっついている。主人公は「そのうち宇宙が近い時代が来て 誰も文句言わなくなるよ」と語っている。これは軌道エレベーターに違いない。ですよね、小山宙哉先生!? ていうかこの絵、SEVGの映像を参考にしていませんか? 間違ってたらごめんなさい。
 。。。すみませんこのひとコマだけです。これにこじつけて取り上げます。

あらすじ 南波六太と日々人の兄弟は、幼い頃、共に宇宙飛行士になることを約束する。時は流れ、六太は勤めていた自動車会社をクビになり、一方日々人は本当に宇宙飛行士になり、日本人初の月面着陸に挑む。引け目を感じる六太だったが、日々人にかつての想いを呼び起され、宇宙飛行士選抜試験に挑戦、遥か先で待つ弟を追い越そうと動き出す。

1. シャトル後の宇宙開発
 本作の宇宙開発計画では、コンステレーション計画の見直しで、扱いが微妙になっている「アレス」が使われているんですね。月着陸船「アルタイル」なんかも登場して、実物より早く活躍しているわけです。想像というより予想と呼ぶべきですが、設定のベースとなっている宇宙開発の技術は非常にリアルです。
 また、宇宙飛行士の選抜過程などは詳しく知りませんが、密室に入ったり、単色のパズルを組み立てたりするなどの課程は「ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験」(光文社新書)でも紹介されていますし、しっかりとした取材や作者の理解の深さがうかがえます。
 アポロ計画当時、月のレゴリスが飛行士の目や肺に入ってメチャメチャ痛かったらしいとか、月面の望遠鏡構想(太陽─地球系のL2に打ち上げられるはずだったという「ウェッブ」と、どっちが効率的なのだろうか?)などのエピソードや構想も「ほお~」なんて非常に興味をそそられました。
  
2. 似てない兄弟
 しかしこの作品は、やっぱり物語とキャラが面白い。自分が先に宇宙飛行士になって弟を引っ張っていくことを目指していた六太でしたが、宇宙飛行士になったのは日々人の方。六太はサラリーマンとなり(でもってクビになり)、弟へのコンプレックスを抱えながらすっかり宇宙を諦めてぐずぐず病状態になってました。日々人は、遅れてでも兄が宇宙に来ることを信じて(願って?)いて、そんな六太を何かとアオります。

 「宇宙行くの夢なんだろ 諦めんなよ
  もし諦められるんなら、そんなもん夢じゃねえ」(2巻95頁)
 
 あんまり「夢」と言う言葉を多用したくないのですが、それを捨てたことに負い目やコンプレックスを持つ人には、かなりキツい言葉ですね。うん、あまりにも君は特殊な立場からモノを言ってるよ日々人君。世界で1億人に1人くらいしかいない職業に就いてるんだぞお前は!
 しかし、こういうセリフにギクリとする人は、図星の部分があるからこそ琴線に響くのでしょう。日々人の言わんとしているのは、「本当に今のままでいいのか、自分自身に訊いてみろよ」あるいは「本当にやりたいことなら、出来るまでやれよ」と換言できるのではないでしょうか。

 この兄弟は全然似てなくて、六太はセンシティブで気にしいで、他者への観察力が豊か。おそらくは他人が気になるからでしょう。時々相反するように大胆になりますが、二面性は感じません。一方日々人は、困難な課題を楽々こなして宇宙飛行士になり、世事に無関心でいつも飄々としている人物。。。という芝居をしているように見えます。マスコミの前ではちゃんと道化を演じ切っているだけに、その印象が強い。それぞれ自覚していないだけで、実は現実に対する割り切りがよく、自分と向き合うことが多いのは六太の方ではないか?
 決して物語からそう類推するのではなく、このコーナーは登場人物が本当に存在しているような感じで書くように心がけているので、そんな目で見た時に、日々人は人格や能力の重心がかなり偏っていて、内面の矛盾を未消化の負荷にしたまま隠し持つタイプに見えるんですよね。まあ、兄に対しては虚心になれないのでしょうが。もちろんそんな人格設定はされていないと思います。物語が六太の語りで展開するせいで私にそう見えるだけでしょう。私にはそれが面白かったりするんですが。


3. 作品の空気
 そんなこんなで、妙運珍運に背中を押されつつ、宇宙飛行士を目指すようになる六太なのですが、選考終盤でほかの受験者たちと話が弾みます。宇宙や天文学の話題をおそらくは初めて共有でき、「今まで……こんなこと一度もなかった」と感慨にふける六太。

 「ここにいたんだ 誘ったら喜んでついて来てくれそうな連中が…」(4巻193頁)

 わかる、わかるよ六太! 軌道エレベーターなんてモノを追いかけ続け、どれだけ浮きまくってきたことか。ようやく友人というか同志が増えて、色々語り合えるようになった喜び。やっぱりこの道を捨てずに良かったなあと思うきょうこの頃。宇宙飛行士の選抜なんて世界にはとうてい及びませんが、つい自分たちの経験を重ね合わせてしまいます。もっとも私、軌道派だからその友人たちの中でさらに浮いてるんですけどね。

 ところで本作の空気というかノリについて、読み始めた頃からずーっと「この感覚。。。どこかで。。。」と感じていました。大分読み進めるまで気づかなかったのですが、ある日突然思い出しました。。。「スラムダンク」です。
 六太が何かとふてぶてしい表情で根拠のない自信を見せては、いつも間が悪くてトホホな表情になるところや、同僚の女性宇宙飛行士候補を「せりかさん」と呼んで憧れたり(スラムダンクでは「ハルコさん」だったっけ。なんか印象も似ているような)するあたり、「スラムダンク」の桜木花道を連想せずにはいられません。4巻では六太が「ホワチャー──!!」と、訳あって選抜試験中にブルース・リーのモノマネをするのですが(今回の書影もそのイラストね)、私は真っ先に陵南高校の福田(「ほわちゃあ」とキレて監督をボコボコにする)を思い出しましたし。。。私だけかなあ? まあ、両作を併せ読んでも全然意味ないですね。
 
 何はともあれ、スペースシャトル後の宇宙開発を描いた作品としても興味深い上、ストーリーは掛け値なしに面白いです。今後も見逃せません。 

 当初、この「つまみ食い集」は、軌道エレベーターにほとんど、あるいはまったく関係ない3作品をまとめて扱うつもりだったのですが、つい書き過ぎてしてしまいました。番外編として、今月中にあと1回か2回掲載するつもりです。次回も、軌道エレベーターにはそんなに関係ない作品を扱うつもりですが、なにとぞよろしくお願いいたします。

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君はNHKニュースウオッチ9を観たか

2010-08-09 23:38:05 | その他の雑記
 一昨日からきょうまで、千葉で開かれた宇宙エレベーター協会(JSEA)主催の技術競技会に参加してきました。昨年より1日多い3日間、暑い上に早朝から始めたので体力的にもしんどく、けっこうトラブルも多く大変でした。
 で、その様子を、きょう午後9時から放送されたNHKの「ニュースウオッチ9」で10分近く特集(?)で流していました。参加チームに密着してドラマっぽく仕上げてました。登場するのはよく存じ上げているあの顔この顔。
 カッコ良かったぜ吉野君! アンドレアス君相変わらず知的! エイミも英語でインタビューに答えて、なんとまあパリッとして!(私と話した時はあまりの暑さで寝転がってたのに) でも一番こそばゆかったのは、私自身が3回くらいチラっと映ってたことでしょうか。
 私自身は、この形式でのクライマー実験は、技術面ではどれだけ意味があるか少々懐疑的ではあるのですが、300mまでバルーンを掲揚して競技をするというイベントは、ダイナミックでPR性が高いので得るものがあると考えています。

 それにしても、上記で述べたように、今回は二つあるうちのバルーンの片方が裂けるわ、リタイヤが続出するわ、クライマーがいくつも地面に叩きつけられてぶっ壊れるわ、その他あれやこれや。。。とトラブルが多発しました。
 ですが、私はこれで良かったのだと思っています。JSEA内では以前から言っていたことですが、昨年順調に行ったことも含めて、JSEAは失敗の経験則が少ない=いざという時に打たれ弱いのではないか、と思っていたのです。教訓というのは失敗を経て経験で覚えないと身につかないものなんですよね。事実上のボランティア団体でカツカツでやっているので、正直な話、大失敗するといつ運営が危うくなるかわかったものではないのですが、少なくとも今回は、トラブルシューティングの経験則を得たのではないかと。JSEAは、その意味ではいい経験をしたのだと思います。

 話を戻しますが、長いこと馬鹿にされ続けてきたけれども、全国放送で長尺とって扱われるとは、「こんな時代になったんだなあ」と感慨を抱かずにいられません。皆様お疲れ様でした。いやホント疲れたね。
 山登りの仕事も競技会も終え、ようやく余裕ができそうです。強化月間に見合う更新を目指します。どうぞよろしくお願いします。
 身内ネタが多く失礼しました。

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