軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

君はガンダムエースを読んだか

2010-04-28 20:26:50 | その他の雑記
 角川書店から出ている「月刊ガンダムエース」をご存じの方は多いことでしょう。500頁以上ある内容のすべてがガンダムに関係したテーマという、ものすごい雑誌なのですが、今発売中の2010年6月号に、富野由悠季監督と、宇宙エレベーター協会(JSEA)副会長の青木義男教授の対談が収録されています。
 
 実は、わが軌道エレベーター派も画像提供で協力しております。内容は8頁に及び、これまでの青木教授のインタビュー記事などと比べても、熱や摂動の問題など、語りきれなかったことなどが述べられている感じがしました。具体的な内容は、ぜひお買ってご覧ください。

 ただ、今回読んで驚いたのは、富野監督が、軌道エレベーターについて思った以上にご存じないらしいということです。対談だから、ゲストへの質問者として、そういう役回りをある程度演じているのかも知れませんが、青木先生に聞くと、純粋に質問をぶつけてきていた部分も多かったようです。

 私、以前JSEAのサイトで、初作の「機動戦士ガンダム」を「科学的に破綻しかかっている」と書いたことがあります。その理由の一つがヘリウムです。宇宙世紀の世界ではモビルスーツなどの核融合炉を動かすヘリウムを、木星まで採りに行っているという設定なのですが(そんなに苦労して手に入れたものを、戦争に使うというのも。。。)、これまでこのサイトでも何度も述べたように、月の表面のレゴリスには大量のヘリウム3が吸着していることがわかっています。
 1979年に放映されたガンダムに、それが反映されていないのはしかたないですが、今回の対談で。。。

 富野「でも、月に行ってどうするんですか? 資源なんてないでしょ」
 青木「今、月の資源は注目されているんですよ。
    実は月には核融合の燃料となるヘリウム3がかなりあるらしいって」


 富野監督。。。今まで知らんかったんかいな? (´・ω・`)
 大体、ガンダムのスペースコロニーだって、月の鉱物資源で造られているという設定だったでしょうに。
 ちなみに、ロケットで大量の移民を宇宙へ送り出すのに無理があり過ぎることも「破綻」と私が見なす理由の一つですが、軌道エレベーターのことも嫌っていてほとんど知らなかったらしいし(その割には「ターンエーガンダム」に残骸が出てくるから、まったくご存じないわけでもない)、これで数々の作品をものしていたとは、ある意味やっぱりすごい。ガンダムエースで連載されている「ガンダム創世」ではまるでヤクザだし。。。
 

 とはいえ、次回作には軌道エレベーター(ご本人は「宇宙」派らしいが)を登場させるらしいし、JSEAもお役にたてれば素晴らしいなと思います。もちろん軌道エレベーター派も全面協力しますよ! 足手まといになるかも知れないけど。
 何はともあれ皆さん、書店へ走ってガンダムエースを買うべし!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

軌道エレベーターが登場するお話 (7) 最終定理

2010-04-25 23:38:31 | 軌道エレベーターが登場するお話
最終定理
アーサー・C・クラーク & フレデリック・ポール
(早川書房 2010年)


 軌道エレベーターを世に知らしめた名作「楽園の泉」のアーサー・C・クラーク御大の遺作です。7回目になるこのコーナー、当初は別の作品を扱う予定で、すでに半分読み終えていました。しかし書店で本作を見かけ、興味本位で買ってみると、軌道エレベーターが登場するではありませんか。予想外のことに驚きつつ、ここで取り上げることにしました。

あらすじ スリランカの寺院に生まれたランジット・スーブラマニアンの関心事は信仰ではなく、フェルマーの最終定理の証明だった。彼は既存の証明とは異なるアプローチを追究するが、思わぬ事件に巻き込まる。同じ頃、宇宙の幾多の知的生命体を司る「グランド・ギャラクティス」は、好戦的な地球人が宇宙に進出することを懸念し、これを殲滅するために船団を差し向ける。やがてランジットの行く末と、異星の侵略が交錯していく。ランジットがたどった数奇な人生の物語。

1.本書に登場する軌道エレベーター
 主人公は後半まで直接かかわりを持たないのですが、本作に登場する軌道エレベーター(以下OEV)は次のようなもの。
 世界銀行の融資の下、国連主導で建造するという設定らしく、この作品世界ではOEVのほかにも、各地の紛争に介入したりし、国連がかなりの力を持っているようです。国連を完全に誤解していますが、これは近未来ということで納得しておきましょう。
 建造中は「アルツターノフ・エレベーター」などと呼ばれ、完成するとおおむね「スカイフック」と呼ばれるようになります。この区別の意味はよくわかりません。
 青年時代のランジットが事件に巻き込まれている間に「世界銀行が(略)10億ドル(略)供給を決定した」(128頁)、その後結婚してアメリカに引っ越すと「(OEVが)スリランカの空に向かって、のびはじめたところだ」(179頁)という具合に、彼が歳を重ねていくにつれ、OEVが次第に出来上がっていく様子がちょこまかと書かれています。
 

 OEV自体の構造は1.5世代の静止軌道エレベーター。「ターミナル」と呼ばれる地上基部がスリランカに造られ、ここから、おそらく最低でも20人程度が乗れる「カプセル」(貨物用のものは「ポッド」と表現している。具体的な区別は不明)が、ケーブルを行き来します。平均時速は300kmくらいのようです。軽量の特製ウエアを着て搭乗し、ヴァン・アレン帯を通過する間は3重の壁に囲まれたシェルターに避難します。
 乗り心地の描写はあまりないですが、「旅の最終行程をたどり、窓の外の月がぐんぐん大きくなっていく」というあたりはうらやましいですね。
 このほか、アルツターノフ・エレベーター=スカイフックが実現した後は、これを足掛かりに月面開発も飛躍的に進みます。このほか、地上から資材を持ち上げ、宇宙空間の付帯施設で宇宙船を建造するようになり、低軌道上のデブリを回収し、資源として利用するあたりは、なるほど、面白いと思いました。また、静止軌道ステーションをスタート位置として、ソーラーセイルのボートレースが開かれ、このレースが物語の大きな変節点となります。

 クラーク氏は、本サイトでも紹介した「楽園の泉」をはじめ、「3001年 終局への旅」や「太陽の盾」などにたびたびOEVを描き、本作でも、「一般人が宇宙へいける望みをつなぐためには、アルツターノフのスカイフックが必要」(89頁)といった具合に、登場人物たちの口を通じてその意義を強調しています。「(OEVは)絶対にできるんだ!」という、著者の叫びのようなものを行間から感じずにはいられません。まるで、その実現を見ることができずに世を去ったクラーク氏の、呪詛のようにすら感じるのは私だけでしょうか。

2.物語とフェルマーの最終定理について
 さてこの作品、OEVの描写はスマートで結構なものの、ストーリーやSFとしての面白さは。。。 私は最後まで興味を失わずに読み切れましたが、ほかの人にはいかがなものか???
 そんな本紹介するな、と言われそうですが、宇宙エレベーター協会のサイトならまだしも、ここは私の個人サイトですので、正直な感想をズケズケと書いてしまおうと思います。

 まずはタイトルにもなっている(フェルマーの)最終定理について簡単に説明を。ご存じの方も多いでしょうが、フェルマーの最終定理とは、大雑把に言うと「nが2を超える自然数である場合、X^n+Y^n=Z^n を満たす自然数X、Y、Zは存在しない」というもの。17世紀、フランスの弁護士でアマチュア数学者だったピエール・ド・フェルマーが、本の隅っこに「オレ証明できちゃったぜ。でも長すぎてここには書けないヨ~ン」みたいなことを走り書きし、人騒がせなことに、肝心な証明を示さないまま世を去ったのでした。
 で、本当かどうか解き明かそうと大勢が証明に取り組みましたが、公に認められる証明がなされたのは300年以上後の1994年、プリンストン大のアンドリュー・ワイルズによってでした。
 本作の主人公ランジットは、ワイルズの証明は美しくないと考え、独自のアプローチで証明を試みます(ちなみに、フェルマーの最終定理の証明自体は物語のキーにはなりませんし、彼の証明は具体的に述べられていません)。

 何年か前に読んだフェルマーの最終定理に関する本が大変面白く(本当にノンフィクションなのか、このドラマチックな展開は!)、私はこれにちなんだ本作に強い興味を覚えました。この気持ちがあったので、最後まで読み通せましたが、それがなければ途中で放り出していたかも知れません。
 というのも、物語が陳腐すぎる。一体何を書きたかったのか、読後しばらく経った今でもよくわかりません。心理描写が浅いのは毎度なので仕方ないにしても、SFとしてオリジナリティのある設定もなく、クライマックスの盛り上がりやオチ、ヒネリにも欠けるんですよね。
 グランド・ギャラクティスの存在にしても、「3001年─」の感想でも述べたように、クラーク御大は、私たち人類には認識困難な、超越的な知性を描くのがお好きで、今回もしかり。それゆえに新鮮味がない。

3.笑止な教条主義
 一番鼻につくのは、「私たちは善き存在であれ」と言わんばかりの、中途半端で底の浅い偽善的価値観の押しつけが全編にまかり通っていることで、非常にお説教くさいのです。地球へやってきた異星体にいかに臨むか? この問いが、本作のいわば"最終定理"でもあるのですが、主人公たちは「人にしてもらいたいことを人にしなさい」という考えの持ち主で、これが異星人にまで通じると考えます。
 この思想がどのような結果になるかはお読みください。ですが、善悪や正邪、福祉の観念というものは、心理というコインの裏表、あるいは多面体のサイコロのようなものです。時と場所、条件、文化など、担う人々の主観や伝統などによって容易に違う面を見せる。言い方を変えれば、善は瞬間にしか存在しない。
 そんな常に揺れ動くものを、想像力の豊かさこそが見どころであるSF作品で、こうも薄っぺらに描こうとは、一体どういう了見なのか?

 「グランド・ギャラクティスが悪しき地球人を滅ぼそうとしている。にもかかわらず人類は、愚かにも共食いにふけっている」という構図を描くために、ランジットの視点を通じて混沌とする世界情勢を折々説明するのですが、これもこじつけ臭くて相当な無理がある。
 彼が都合のいい時だけ世界情勢に心を痛めるのがわざとらしく、脈絡もない。彼と妻はブロック化していく世界の行く末に心を痛めるのですが、その割には政治的見識がどうしようもなく浅い(まあ、それが普通ですかね。。。ある意味リアルなのか?)。

 ついには、そのグランド・ギャラクティスに対してまで、隣人愛にもとづく浅薄な価値観を持ち込もうとすることが、超越的存在であるはずの彼らを、我々と同レベルの思考回路を持つ偏狭な存在に貶め、物語の幅を狭めています。
 そして何よりも、そんな思いやりの精神を持ち合えないがゆえに、世界から争いがなくならない。それこそが問題なのに、結局思いやりを発揮すれば解決するなどという本末転倒な思考は、物語のテーゼの破綻ではないか。金ないから困っているのに、「金を払えば解決するよ」と言われているようなものです。つまりランジット、君は実は何の答も出していない。定理を示しておいて証明してないんだよ。そんなとこだけフェルマーの真似すんなよう!

 本作はクラーク氏と「マン・プラス」などで知られるフレデリック・ポール氏の合作ですが、数々の名作をものしてきた大御所が、最初で最後の合作において描いたのがこんな安っぽい帰結だとは、残念でなりません。
 ここまでひどいことを書いたのは初めてで、心苦しいです、でも。。。

 ゴメン! この作品、フォローのしようがないわ ( ̄□ ̄;)

 せめて、「ここまでボロクソに言うとはどんな小説なのだろう?」などと思って読んでみてくれたらめっけもの、というのが精一杯です。前述したように、私は予備的な関心があったので、最後まで意欲を失うことなく読み終えました。ほかの方がどうなのかはわかりません。もし本作の面白さや醍醐味を語れる方がいたら、ぜひ意見交換してみたいものです。
 他人が楽しめないかも知れないものを紹介して、ごめんなさい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙人はいるか・補足

2010-04-24 11:02:49 | その他の雑記
 4月20日の雑記「宇宙人はいるか」で、米国で受信された「ウー信号」なるものに触れました。
 このウー信号、金子隆一氏の「ファースト・コンタクト」(文芸春秋)を取り上げたので、文中の表記を尊重したのですが、実際はこの本以外には見たことがありません。ですので、いちおう話題づくりも兼ねたフォローをしておきます。

 さてこのウー信号、原語では"Wow!Signal"と呼ばれます。1977年8月15日、地球外知的生命探査(SETI)の一環で、宇宙からの電波を拾っていた米オハイオ州立大学のアンテナが、通常入ってくる電波の最大30倍という強力な信号を受信しました。記録紙に記されたこの信号を見て、担当者が興奮のあまり「Wow!」と走り書きした。これが Wow!Signal の由来です。
 ちなみにこの Wow!Signal は自然界の現象とは考え難く、また、地球外知的生命体がメッセージを送る場合に使用するであろうと考えられる波長であったことなどから、「地球外知的生命体からの信号か?」と物議をかもしたのでした。しかし二度と受信することはなく、今も謎のままです。
 この辺の話にご興味のある方は、「ファースト─」のほかにも鳴沢真也氏の「宇宙から来た72秒のシグナル」(KKベストセラーズ)などをお勧めします。かなりセンチメンタルですが読みやすい1冊です。この本によると、オハイオ大のアンテナは壊されてゴルフ場になったとか。なんて勿体ない事するんだ!

 本題に戻りますが、この「宇宙から─」では、そのまま「Wow!シグナル」と呼んでいますし、ウィキペディアでもしかり(読みがなには「わう-、または わお」と書いてあって、なんか可笑しい)。どうやらウーと呼んでいるのは「ファースト─」くらいらしいんですが、私は結構いいと思うんですけどねえ。金子先生には大変お世話になっていますし、「ウルトラマン」にこんな名前の怪獣が出てたし、内田春菊氏が新聞に連載していた「シーラカンスOL」は、やたらマンボを踊っては「ウ!」と叫ぶ脱力感が良かったし。。。関係ないか。
 全然本題に戻ってませんが、何はともあれ、ご興味を持たれた方は、「ウー」ではなく「Wow!」でお調べください。

 それにしても、ウーにしろWow!にしろ、その信号を見出した人の驚きと感動、興奮はどれほどのものだったでしょう。ひょっとしたら人類最大の発見かも知れないと思えば、いてもたってもいられなかったであろうし、間違いだったらという不安もあったでしょう。
 分野やスケールの差こそあれ、新しい発明をしたエンジニアや傑作のインスピレーションを得た作家、特ダネをつかんだ記者などなど。。。結局、何かを追究する行為というのは、すべからくこうしたプリミティブな歓びや感動を得たいがためにやっているのではないでしょうか。
 私などは遠く及びもしませんが、世間になかなか理解されない軌道エレベーターの普及なんてのをやっている身としては、その感動のカケラくらいは、理解できるつもりです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペースシャトルの功罪 その2

2010-04-21 22:57:43 | その他の雑記
 山崎直子飛行士の乗るスペースシャトル「ディスカバリー」、無事に帰還できて何よりです。このことは喜ばしく思っています。

 1週間前に書いた「スペースシャトルの功罪」という記事で、触れるのを忘れていた点があります。それはシャトルの軍事利用についてです。
 前回私が書いたことは、シャトルの「表の仕事」についてでした。しかし軍事利用されているのはもはや常識とも言っていい。ミッションの半分以上が軍事衛星の軌道投入であるという記述も読んだことがあるので、実はこっちの方では大活躍して重宝されていたのか? という疑問が残ります。だとすると、一概に失敗作と決めつけるのは早計だったでしょうか。
 それどころか、大衆受けしやすいシャトルのイメージを隠れ蓑に、せっせと軍拡競争にいそしんでいたのだとしたら、アッパレな策略と言えるかも知れません。
 これは推測ですが、日本人宇宙飛行士たちが搭乗した時に軍事上のミッションが行われた場合は、当然守秘義務のようなものを負うのでしょうね。少なくとも、彼らがまったく知らない、関与していないなどというのはありえないでしょう。ですが、別にけしからんとは思ってるわけではありません。世間の事業は、すべからく裏の事情や利益が動かしているんですから。私だって「シャトルに乗せてやる」なんて言われようものなら、大概のことは見て見ぬふりしますワ。

 このシャトルの軍事利用に日本が関与していたのが濃厚な件といえば、某国営放送肝入りのハイビジョンカメラを「エンデバー」に搭載したSTS-99のミッションが有名でしょう。ニュースでアナウンサーが「災害予測に役立つ」などということをしつこいまでに連呼していたのがイタかったです。
 ちょっと宇宙開発に興味を持っている(でもって、私のようなスレッカラシな性格の)人で、そんなことを真に受ける奴なんかいない。百歩譲って安全のためにデータを利用するとしても、それだけで終わるはずがなかろう。
 レーダー観測も行ったこの時のミッションで、ミサイル誘導などのための地形データ作成といった戦略目的や、当時緊張が高まっていた朝鮮半島の偵察などに重点が置かれていたことは疑いようがなく、そんなに無理をして、美辞麗句の厚化粧を施さなくてもいいだろう、と思った記憶があります。

 スペースシャトルが、こうした「裏の仕事」でどれだけ役立ったのかはわかりませんが、私自身の結論は前回と変わりません。ようは上っ面にしか目を向けなくていいのか? ということです。今回こんな興ざめなことを書いたのはそのためであって、シャトルの外見に魅入られてはいけない。
 人命を盾にしてものを言うのは本意ではありませんが、列車のラストランみたいに「さよならスペースシャトル、ありがとうスペースシャトル」なんて、安っぽい幕引きで終わらせるのは、犠牲者に対する恥知らずな冒涜ではないのでしょうか。
 良くも悪くも、スペースシャトルが宇宙開発の中心となって活躍し、様々な失敗をしたという経験と歴史から教訓を得ようとしなければ、きっと同じ失敗を繰り返すのではないでしょうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙人はいるか

2010-04-20 23:48:01 | その他の雑記
 先日、宇宙エレベーター協会のサイトの方で書いた記事で、宇宙人や異星人=地球外知的生命体のことについてちょっと触れたのですが、きょうはこちらで「真面目な宇宙人考」を一筆。以下、本文では、くどいですが地球外知的生命体に統一します。

 この手の話題となると、「墜落したUFOから遺体が回収された」とか「火星の岩」なんてのが巷で取りざたされますが、あまりにも陳腐でツッコむ価値すらないです。
 現実問題として、宇宙の広さや移動・交信能力の相対論的な限界を考えると、地球外知的生命体がいる、いないとかいう以前に、地球に我々がいることを発見し、メッセージを送ってくれる可能性があまりにも低い(仮に、光速を超える通信手段を持っていたとしても、それを知らない我々には感知のしようがない)ので、望み薄ではないかと思われます。ましてや直接の来訪をや。
 でも、C級ネタまがいのタワゴトの影に隠れて、本当に「地球外知的生命体の痕跡か?」と思われたケースは確かにあるのですよね。

 有名なのは1977年、米国で1回こっきり受信された、謎の巨大出力の電波(ウー信号と言うんだそうな)ですが、私が特に興味をそそられるのは、ウー信号から遡ることおよそ半世紀、1928年のオランダでの出来事です。
 「軌道エレベーター」(早川書房)の著者の1人でもある金子隆一氏の「ファースト・コンタクト」(文芸春秋)によると、地上からの電波のエコーが宇宙から返ってくる現象が、20年代に頻繁に観測されたとか。
 そこでオスロ大学が実験をしたところ、こちらから発信した電波のエコーが返ってくる間隔が、3~15秒とランダムで、何者かが返信の間隔を意図的にずらしていることを示しているとのことでした。このような自然現象は知られておらず、当時は人工衛星はおろか、弾道飛行すらできていない時代です。

 地球外知的生命体と接触(交信)するとしたら、言葉の通じない相手に対し、最初のあいさつは何を伝えればいいか? 様々な研究がありますが、そのひとつに、自らの発信する情報が自然現象ではなく、知性によるものであることを示すため、相手の発信した情報=信号パターンをそのまま返すという説があります。その説に立ち、本書では謎のエコーを返してきたのが、地球外知的生命体の探査機ではないかという研究者の見解を紹介しています。故カール・セーガン博士の小説「コンタクト」(新潮社)でも、素数の連続の後に、地球から出たテレビ電波が返ってきたところから始まりましたっけ。
 もし、これが21世紀の現在の出来事なら、ハッブルを向けたり、探査機を飛ばして調べたりして得られる情報があるだろうし、何か返信して対話できたかも知れない。。。と惜しまずにはいられません。このほかにも、85年の「メタ計画」で受信した信号なども謎のままですね。仮に何らかの自然現象や偶然の重なりだとしても、一体原因は何だったのか、興味が絶えません。

 「なんだデンパかよ」「たったそれだけ?」と思われるかも知れません。しかし、世界に対して何の発言力もない凡人を誘拐して手術や説教したり(ほとんど本人の妄想か嘘だけど。そっちの方がよっぽどデンパだよ)、ミステリーサークルつくったり(イタズラだけど)と、犯罪者みたいな真似。。。ていうか立派な犯罪ばかりしている妄想上のエイリアンより、地味でもこうした事実の方が、想像力をかきたれられて、ずっと面白い。自分が生きているうちに、答えが見つかって欲しいものです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする