軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

民間月面着陸 来年再び挑戦

2023-04-29 09:19:34 | 気になる記事
民間月面着陸 来年再び挑戦
 宇宙スタートアップのispace(アイスペース)が民間初を目指して26日に挑んだ月着陸船による月面着陸は失敗した。日本勢の「月面ビジネス」始動はお預けとなったが、宇宙開発に失敗はつきものだ。アイスペースは着陸直前までのデータを収集しており、失敗を糧に民間ならではのスピード感で2024年の再挑戦を目指す。
(日経新聞2023/4/27 一部抜粋)


 注目されていたispaceの月面着陸ですが、発表を見る限り、ランダー(着陸機)が降下中に地表までの距離の測定を誤り、いわば地面スレスレで最後にひと吹きするための推進剤を、もっと高い位置で使い切ってしまい、あとは自由落下して地面に衝突したと考えられるようですね。
 これが大気のある天体なら、パラシュートも併用して軟着陸を図ることができますが、いかんせん月面はほぼ真空ですので、移動は推進剤の噴射で制御するほかありません。いくら月の表面重力が地球のおよそ1/6で弱いといっても、仮に高度100mで最後の噴射をしていったん静止状態になったとして、そこから自由落下したらおよそ時速65km衝突することになると思われます。とにかくも本当に惜しまれます。
 

 9年前にHAKUTO(そのころは「HAKUTO」に「R」がなかった)を取材したことがありまして、現ispaceCEOの袴田武史さんにお話をうかがいました。今やすっかり時の人となり、先方はもう覚えておいでではないでしょうが。
 当時はランダーではなく、着陸後に月面を走り回るローバーの開発がもっぱら話題の中心で、試作機を見せてもらい、その後、会見などで展示される度に段々改良されていくのを興味深く拝見しました。そのころは月への到達が遥かな道のりに見えましたが、事業が拡大して遠い存在のようにもなりつつも、着実に邁進していく様子を応援する持ちも込めて注目しておりました。

 それだけに、本当に最後の一歩で断念せざるをえなかったのは、どれほど無念だったことかと、見ているこちらも非常に残念に感じます。
 同社の取り組みを見ていると、「できることと、できないことがある」のではなく、「できるまでやる」のが大事であり、万事に通底する姿勢だよな、と再認識させられます。
 今回の知見を活かし、報道にある通りぜひ再チャレンジしてほしいものです。

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気球考

2023-02-10 18:38:32 | 気になる記事
中国の偵察気球 米軍が撃墜
 米国のオースティン国防長官は4日、米軍の戦闘機が同日午後、米サウスカロライナ州沖の領海上空で、中国の偵察用気球を撃墜したと発表した。
(後略。2023/2/5 BIGLOBEニュースより抜粋)


 先頃米国で、中国のものと思しき気球が撃墜されましたね。日本に現れたものとすごく似ていて、同タイプのものと指摘されていますね。今回の件で、少し思うところあったので2回に分けて筆を。

 撃墜のニュースが流れた時に、旧日本軍の風船爆弾を思い出しました。今回の気球、仮に中国本土で打ち上げられたのだとすれば、地球をおよそ半周したのですから、相当丈夫に造られていたのでしょう。しかし気球を他国に送り込むというのは珍しい話ではなく、第2次大戦中の日本も気球を使った戦略兵器を開発していたそうです。

 当時は「ふ号作戦」などと呼ばれ、和紙とコンニャク糊を主な材料に直径10m程度の気球を造ったそうです。諸説ありますが9300個くらい造られ、水素ガスを浮力に初期は焼夷弾などを搭載して千葉、茨城、福島の3県から飛ばしたそうです。
 東に向かって吹くジェット気流に乗せて3日程度で北米大陸に到達、本土攻撃を図る。ジェット気流というと高度1万m前後で、直射日光で気球が膨張したり、夜は気温が低下してしぼんだりするから高度が安定しない。このため高度に応じて弁が開いてガス抜きしたり、オモリを落としたりして調整するというスグレモノで、戦争は忌むべき悲劇ですが、日本人ってこういう発想や細工にすごい能力を発揮するもんだと驚きます。



 結局、米国本土に到達したのは数百個程度で、わずかながら死者を含む被害も出したとのことですが、米軍も情報を秘匿したから日本は成果の情報を得られなかったし、どのみち戦局を左右するような結果にならなかったのは歴史の示す通りです。
 しかし戦争末期には、これに生物兵器を搭載して飛ばすつもりだったんだそうです。使用されずに終わったものの、もし実施されていたらどうなっていたのかと気になります。

 今回の米国の気球騒ぎで私が思い出したのはこのことで、もしこの気球が何らかの兵器であったら、とか米軍が想像しないわけがない。それでも撃墜したのは、色々調査して無害だと確証を得ていたんでしょうか?
 宮城県上空などに現れた時に日本が手を出さなかったのは、そういう危険も視野に入れていていたからでしょう。この辺の決断力が、国防に威信をかける米国と日本の違いなのかも知れません。

。。。なんてことをニュースをきっかけに考えたのですが、気球に関してはもう一つ、思い出したことがあるので、それは次回に。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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神田神保町書店街の歴史について

2021-09-05 10:00:08 | 気になる記事
神保町の「ランドマーク」三省堂書店が営業終了へ 来年3月、本社ビル建て替えで
 大手書店の三省堂書店(東京都千代田区)は2021年9月2日、東京・神保町にある「神保町本店」をビル老朽化に伴う建て替えのため22年3月で営業を終了すると発表した。
古書店街・学生街として知られる神保町の「ランドマーク」として親しまれてきた大型書店の閉店。ツイッター上では「うそでしょ」「衝撃的すぎて言葉ない」など惜しむ声が広がっている。
(後略。J-CASTニュース 9月2日)

(ここからは軌道エレベーター派の雑記です)
 軌道エレベーター関連の原稿を書きかけていたら、こういうニュースが目に入ったので一筆。
 三省堂書店は、院生時代によく利用しました。その後もよく神田神保町の書店巡りをして、古書を堪能した後に、最新刊はどんなものが並んでいるかを見ようと三省堂に寄るという、最後の締めのような場所でした。



 神田神保町の書店街については、過去に色々調べたことがありまして、三省堂はずっと同じ場所で営業を続けてきたそうです。「三省堂書店百年史」には「明治十四年四月八日、この神田の地に古書店の営みを始め」と書かれています。



 上は「稿本 神田古書籍商史」添付の明治36、37年の地図です。赤い文字は説明のため当方で書き加えたもので、赤い大きな丸は現在の駿河台下交差点です。この地図では、靖国通りの裏側のすずらん通りに三省堂(赤の小さな丸)が面しています。この地図は説明優先で、実際の地形とは相当異なりますが、後述の理由から明治期はすずらん通り側が表玄関だったと思われます。現在も靖国・すずらん両通りのいずれにも出入り口があるし。
 明治期に発行された「東京名所図会 神田区之部」には三省堂の住所を「裏神保町一番地」と記しており、裏神保町は現在の靖国通りとすずらん通りに挟まれた地区だったので、やはりこの場所で良いのでしょう。ちなみに「其名高し」と評価されています。

 大正時代に起きた神田大火と関東大震災を機に、書店街の表玄関はすずらん通りから靖国通りへとシフトし、紹介記事にもあるように、三省堂本店は書店街のランドマークような存在になっていったと言えます。リニューアルとはいえ、その姿が変化するのは少し寂しい気もします。気になっていた地下のレストランのメニュー「アイスバイン」を、閉店前にチャレンジしたいと思いました。


 ところで、靖国通り沿いの書店の大半が北向きであるのは、「日中の大半、通りが日影になって本が日に焼けないから」であると、誰もが当たり前のように挙げる定説となっていますね。ですが私はこれを「都市伝説のようなものではないか」と疑問を抱いています。そのことについて少々書きます。

1.「本の日焼けを避ける」を裏付ける資料がない
 人気コミック「ギャラリーフェイク」で、主人公フジタが「陽のささない方向に向けて店を開ける。結果、道の片側だけに古書店が集まった」(23巻「古書の狩人たち」)と既成事実のように語ってます。また、「北側に空きが出ると、割高でも陽の当たらない側に集まったんです。本は、隣のガラス戸から反射した陽でも焼けるんですね。それで北側に軒をつらねて、相乗効果も測ったんです」(神田を歩く-町の履歴書)という平成期のコメントもあり、これも貴重な証言である以上、店が北向き=日焼け対策というのを一蹴するわけいにいきません。

 しかし、書店街が形成された明治・大正期の歴史を記した資料に、これを裏付ける記述は見つかりませんでした。三省堂をはじめとする老舗書店の社史、「東京古書組合五十年史」、「千代田区史」などなど、公的な記録や史書に、その根拠となる一文が見あたらない。靖国通りの書店が北向きであるのが本の日焼け対策というなら、経営者の立地選びの重要な判断材料として、自社の歴史の一頁に刻んでしかるべきではないのか。

 記録資料以外に目を向けると、「初めて神保町の書肆街形成の歴史として分析した」(神田神保町とヘイ・オン・ワイ)という脇村義太郎氏も、西日対策という立地理由に触れていて良さそうなものですが、著書「東西書肆街考」にもその言及はない。

 散見されるのは、「西日の影響がないように配置したためといわれています」(みる よむ あるく東京の歴史)、「南からの日差しを浴びて本が日焼けしないように、との配慮だそうだ」(本の雑誌 特集=神保町で遊ぼう!)など比較的近年の資料が中心で、しかも「と言われている」といった表現で伝聞の域を出ておらず、出典や一次資料を明示しているものが見いだせない。
 文字文化の宝庫である神田神保町の歴史が、口伝でしか残っていないというのは、どうにも腑に落ちない話です。


2. 南向きの店もある
 もちろん私の調査不足や見落としもあるかも知れません。しかし経験上、事実であるなら文献を集めるうちに活字資料の一つや二つ、あるいはその手がかりくらいはおのずと出くわすもので、調べて書くことをやっている者として違和感を感じました。
 加えて気になるのが、靖国通りの書店の店構えは、確かにほとんどが北向きにそろっていますが、反対側のすずらん通りやさくら通りには、書店街形成期から現在にいたるまで、南向きの書店も意外に存在しているということです。
 そして何よりも、上記の明治期の地図に見られるように、駿河台-神保町両交差点間の靖国通り沿いにはもともと書店がなく、大正期になってから現れました。

 仏文学者の鹿島茂氏は雑誌の対談で「北側は陽が当たって本が焼けるからと言われていますが,南側の方が家賃が安かったらしいですね。明治時代に靖国通りを拡張した時に、先に南側が整備されたからそちらに本屋が集まったようですね」(みんなの神田 神保町 御茶ノ水)と述べています。
 このほかに氏は、著書「神田神保町書肆街考」で、西日を避けることが靖国通り北側への集中の理由の一つと紹介していますが、これも資料ではなく老舗書店の方から聞いた伝聞です。その方の説明では、ほかに靖国通りの拡張と、すでに南側に古書店が集まっていた(注・神保町交差点の西側の方)ので、後続の書店も南側を選んだことも理由に挙げていて、氏は「ある界隈に同業種の店がかたまるという現象は決して珍しいことではない」という見解を示しています。


3. 北向きなのは結果であって目的ではない
 その連鎖反応は何によって起きたか? そもそも、大正初期まではすずらん通り、つまり現在の反対側が書店街のメインストリートでした。当然日光に当たる側であり、当初はこちらの方が好立地とされていたわけです。開業初期の三省堂はまさにその状況にあったとみられます。
 一方、上記の明治時代の地図からわかるように、反対側=現在の靖国通り側はいわば裏通りで、駿河台下-神保町交差点間には、大正まで書店がありませんでした。
 そのため靖国通り側は出店料が不要だったのですが、上述の神田大火で多くの書店が焼失した後、市電を通すために靖国通りが拡張され、市区改正が進んで靖国通り側が表通りになった。これが変化をもたらし、タダで出店できる未開拓地だった靖国通り側に書店が進出したそうです。

 「大火前までは、神保町角より西、すなわち、南神保町が反映の中心で、通神保町(注・現在の三省堂や書泉がある辺り)ではまだ権利金のいらない頃に、すでに百八十円くらいの権利金が必要だったといわれたのが、俄然一変したのである」(東京古書組合五十年史)
 「大火後の区画整理と電車の敷設により神田書店街の地図変わり、その中心は九段寄りから駿河台寄りに移動」(岩波書店刊行図書年譜)
 「この大火は神田古書店街の地図を大きく塗り替えることにもなった。大火前の神保町はすずらん通りを中心に繁栄していたが、市区改正と市電の敷設により現在の靖国通りに賑わいが移動。同時に、九段寄りにあった古書店も靖国通りへと移り、現在の(中略)古書店街の姿が築かれた」(古書肆100年 一誠堂書店)

 いずれも靖国通り沿いが日影になり、本が日に焼けないから出店したとは述べていない。つまりはこれが理由のすべてであって、本の日焼け対策というのは「結果的に好都合」という程度の、後から成立した解釈であり、結果ではあっても目的ではなかった。私はそう見ています。

 長くなりました。言えるのはここまで、推論を脱し切れていませんが、いずれこの点がはっきりすような資料を、ほかならぬ神田神保町の古書店で見つけることもあるかも知れません。その時は続報を書こうと思います。
 今回書いたのはあくまで私的な疑問であって、本が日に焼けないようにというのは、確かに書店ぽくて似合っている気がします。真偽はどうあれ、神田神保町書店街のキャッチコピーとして語り継がれていくことも一興だと思っています。
 神田神保町の書店街は、英国のチャリングクロスにひけをとらない歴史と規模を持つ、世界的にも貴重な古書店街であり、変化はしても存続してほしいと願っています。

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雷の発生増 27日周期…武蔵美大や極地研チーム

2018-07-06 19:53:25 | 気になる記事
雷の発生増 27日周期…武蔵美大や極地研チーム
「太陽の自転と同調」…古文書などで分析

武蔵野美術大(小平市)などの研究チームが、八王子市に残る江戸時代の文献などを使って雷の発生日を調べた結果、発生頻度が太陽の自転周期と同調して高まっていたことが明らかになったと発表した。研究チームは、「太陽活動が気象に様々な影響を与えていることを示す成果」としている。欧州地球物理学会が発行する学術誌の電子版に論文が掲載された。(後略。読売新聞7月5日付朝刊)

 江戸時代の古典籍を調べたところ、太陽の自転と、雷が頻発する周期に一致が見られるという研究成果です。
 ちなみに「太陽が27日で1回転しても、その間に地球が公転して元の位置から動いてるじゃん」と疑問に思う方がおられるかも知れませんが、以前書いたように、「地球の自転の時間(23時間56分強)+地球の公転の時間(4分弱)=1日(24時間)」なので、この場合は27日周期で良いのです。
 
 太陽の自転が地球の気象、この場合は雷に影響を与えるメカニズムは明確ではないそうですが、一説には海洋の生物の活動への影響が示唆されているそうです。これがまた実に迂遠な話で、

  太陽活動の活発化は地上に届く宇宙線を減らす
→ 宇宙線が減ると、低緯度海域のプランクトンなどの生物活動が活発化する
→ 生物活動が活発化すると、大気中に拡散される微小な有機物が増える
→ 拡散した有機物は雨の核となり、雲の成長が促進される
→ 発達した雲が北上して、やがて日本にも到達する

 という、風が吹けば桶屋が儲かるみたいな現象の可能性があるとか。あくまで仮説の一つですが。何にしても、古典籍からこうした傾向を読み解いて科学に貢献するというのは素晴らしいことで、こうした学問領域を横断した取り組みは、今後も続けてほしいものです。




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俺の妹が減圧なしで宇宙服を着られるわけがない

2017-09-18 12:04:06 | 気になる記事
宇宙服、足りNASA過ぎ 40年使い老朽化
 国際宇宙ステーション(ISS)の船外活動で飛行士が着用する宇宙服が老朽化し、近い将来足りなくなる恐れがあるとの報告書を米航空宇宙局(NASA)の監察官室がまとめた。新型宇宙服の技術開発が滞っているのが理由。NASAの宇宙服は、約40年前に作られた18着のうち11着が使い続けられている。残った11着も設計寿命の15年を大幅に超え、老朽化が激しい。船外活動中にヘルメット内部に水がたまり、飛行士が窒息の危険を感じて急きょISSに戻る例も相次いだ。(後略。毎日新聞6月10日付夕刊)


 結構前の記事なのですが、ずーっと思うところがあったので一筆。現在の有人宇宙開発における船外活動(EVA)で用いられている宇宙服といえば、NASAのEMU(Extravehicular Mobility Unit)とロシアのオーラン(海鷲という意味だって)が双璧です。で、ニュース記事で言及されているのはEMUの方です。新規に採用するのであれば、これを機に大幅改良すべき点がたくさんありますが、特に実現してほしいのが、内部気圧をもっと高めできたらいい、ということです。というのも、宇宙服というのは着るのにものすごい手間と時間がかかるんですね。

 NASAのEMUは中の気圧がおよそ0.3気圧で、EVAをする宇宙飛行士さんは、その前に7~12時間くらい(資料によって差あり)、減圧室で徐々に気圧を下げ、登山家の高度順応と同じことをしなくてはいけません。これ以上内圧を上げるとマシュマロマンみたいに膨らんで操作性が著しく落ちる上、耐久性にもかかわってくるとのこと。あとEMUは分解式で1人では着れない。
 一方ロシアのオーランは0.4気圧で、しかも一体型なので1人で着られるスグレモノですが、それでも30分~1時間くらいの減圧は必要で、水を循環させて体温を維持するインナースーツも着なきゃいけません。あと中国の「飛天」については、帰還時に切り離した軌道船ごと再突入時に燃やしてしまって以来新しい情報もなく、あまり詳細なデータが得られなかったんですが、中国はロシアからオーランや与圧服「ソコール」を購入して参考にしているらしいので、減圧の問題が大幅に改善されたとは思えません。とにかく、サッと着替えて宇宙に出るなんてのは不可能でしょう。
 だから、宇宙船とかステーションの外でEVAやってる人が何かトラブルになったとしても、中にいる人が「今助けに行くぞ!」なんてのは無理なんです。現代では。
 
 宇宙活動をリアルに描いたSF作品は多いけれども、この減圧を描写しているのはほとんどありません。宇宙船とかステーションの中からそそくさと宇宙服来てすぐ外に出ちゃう。もう9割9分「未来だから減圧の必要性が解消されている」という設定みたいで、あの『宇宙兄弟』でさえ然り。弟の日々人がオーランについて言及するシーンがあるんですが、現在月面で活動中の兄の六太が、基地内から減圧せずに宇宙服(バックパック部が開く構造が似てるからオーランの進化系かも)を着ていたし、やはり減圧の必要はないほど宇宙服の技術が発達しているのでしょう。ロシアはオーランをバージョンアップし続けているので、日々人が使うのは今より改良されたオーランに違いない。
(この「宇宙兄弟」への認識は、誤りがありました。作中の設定は不明ですが、月面の居住施設内の気圧がすでに低い数値であれば、減圧調整は不要になるので、指摘は必ずしも当てはまらないことになります。お詫びいたします。詳しくは「その2」をご覧ください)

 これがけしからんというのではありません。物語というのはもとより空想であり嘘なのですから、面白ければそれでいい。だいたい、映画『アルマゲドン』とかで、穴掘り職人たちが小惑星に降り立っていざ本番、って時に減圧してたらテンション下がっちゃうもんね。まあアルマゲドンにリアリティ求める方が間違ってますが、やはり減圧を「省略」ではなく「不要」という設定にしている作品が大半のようです。仕方ないよね。
 
 私の知る限り、EVA前の減圧をきちんと描いているのは、太田垣康男氏の『MOONLIGHT MILE』くらいでしょうか。主人公は登山経験があって、ほかの宇宙飛行士より減圧時間を短縮できていますが、そうではない宇宙飛行士が急な減圧のために意識異常や嘔吐しそうになるシーンもあったりして、この点について逃げずに丁寧に描写していのがすごくいい。太田垣先生、『サンダーボルト』もいいけど、連載中断して随分経つので早く続き描いてください。
 このほかに、別の発想で減圧をクリアしているのが野尻抱介氏の『ロケットガール』。スキンタイトスーツという、実際に研究中の宇宙服を取り入れ、宇宙飛行士1人ひとりにフィットした専用のウェットスーツみたいなものを着ることで体に圧力を与えています。タイトスーツが実現したとして、本当に減圧がまったく不要かどうかはまだわかりませんが、単純に現在の宇宙服が頑丈になって減圧の必要がなくなったという設定よりも、減圧問題を挑戦的に解消していてすごく好きです。ロケットガールはマジで面白いぞ! 早川書房に版権が移って今でも読めるようになったが、ライトノベル版を復活させても売れるのでは? ただしむっちりむうにいさんのイラストのやつね。

 現実の宇宙開発ではタイトスーツ以外にも、潜水作業などに使うのと同じように、外骨格で気圧を維持する外殻宇宙服など、多様に研究は進んではいますが、今、NASAが新規購入してEVAの準備環境が大幅に改善されるようなものはないようです。ちなみに先月、スペースX社が、ガンダムのノーマルスーツみたいなカッコいい「宇宙服」を発表しましたが、これ、ただの与圧服(船内宇宙服)ね。ニュースの書き手も、船外宇宙服と与圧服の区別がついてない人が多いみたいです。
 宇宙遊泳にこだわらず、純粋に作業を目的としたEVAの効率に重点を置くなら、宇宙服の改良よりも、EVA用の遠隔操作ロボットを発達させる方が現実的でしょう。ちなみに『MOONLIGHT MILE』にはそういうのも登場します。軍事技術を応用したジオングみたいな脚のないロボットで、VR用ゴーグルを付けて操作するというもので、これも先取り感バッチリでお見事。宇宙遊泳したければごつい外殻型宇宙服とか、小さいカプセルみたいなもので済ませて、棲み分けするべきかも知れません。

 軌道エレベーターが実現した時に、手軽に宇宙遊泳もできるように、すぐ着られてすぐ宇宙に出られる、それこそSFのような宇宙服の開発が待ち遠しいものです。何、『俺妹』に全然関係ねーじゃねーかって? タイトル詐欺です。すまんな (`・ω・´)


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