宇宙エレベーター協会(JSEA)の活動にかかわって2年近く。とにかくやることが多く、今は12月に開く会議の準備や年会報の発行などの準備に追われている。そのこと自体は楽しんでもいる。でも、「何か違う」という気がして仕方がない。
この違和感の正体ははっきりしているし、JSEAに加わった時からわかっていた。こういうことをしていても、おそらく軌道エレベーターの実現は近づかないと考えているからだ。
JSEAは、モーターを備えたクライマーがケーブルをよじ登るモデルの模索に力を傾注している。このこと自体が間違いだとは思わない。競技会形式で楽しめるイベントにしたり、それをレゴブロックで作ったりと、多くの人の関心を喚起して軌道エレベーターを身近にした協会の功績はとても大きい。
これが問題なのではない、「これだけ」という視野狭窄が問題なのだ。JSEAが宣伝しているのは、数ある軌道エレベーターの形態のほんの一つでしかなく、しかも、ひょっとしたら現実には必要ない(実現不可能という意味ではない)モデルかも知れないとさえ私は考えている。
JSEAは色んな媒体から取材を受けているし、最近はいろんな物書きが軌道エレベーターに触れているが、結果として出る記事の多くはJSEA(あるいはエドワーズ)が特化しているこのモデルの受け売りをしているだけで、しかも軌道エレベーターについて一知半解のまま伝えるものばかり(確信犯でやっている媒体もあるが)。JSEAは、「軌道(宇宙)エレベーター」といえばコレ」というたった一つのイメージを固定化させてしまった。
このページの画像は私がデザインを起こし、友人にCGに仕上げてもらったもので、あちこちから使用許諾を求められる。そのことはとても光栄なことだし、アピールのためには一つの集約したイメージを押しだす必要はあると考えたので作ったのだけれども、同時に、詳しくない人たちに固定観念をインプリンティングしてしまった。それは新しく知識に触れる人々の可能性を摘む行為であり、私を含むJSEAの罪だと考えている。
やるべき研究、与えるべき情報、アピールすべき対象はもっとほかにあるのではないのか?
この「軌道エレベーター派」を立ち上げたのも、こうした違和感があったので、自分が重要だと考える多様なエッセンスを温存しておきたいと考えたからなのだが。。。
このほかにも、問題を上げればきりがないし、協会には人的・財政的リソースの不足から、やりたくてもできない課題も多い。しかし、自分たちに疑いの目を向けようとしない限り、ミスリードの危険から脱却できないだろう。
私はJSEAの仲間たちに、とても感謝している。こんなやりがいのある、楽しい思いをする機会を得て、その活動に役立てていることは大変な喜びなのだ。
だからこそ言わなくてはいけない。私たちは何をしようとしているのか?
こうした懸念をJSEA内で解消していく準備も進めてはいるし、独自の構想もあるが、このホームページが、JSEAを客観的に映す鏡になればと思う。
軌道エレベーターへの愛(?)は、協会の仲間も私も変わらないのだから。
この違和感の正体ははっきりしているし、JSEAに加わった時からわかっていた。こういうことをしていても、おそらく軌道エレベーターの実現は近づかないと考えているからだ。
JSEAは、モーターを備えたクライマーがケーブルをよじ登るモデルの模索に力を傾注している。このこと自体が間違いだとは思わない。競技会形式で楽しめるイベントにしたり、それをレゴブロックで作ったりと、多くの人の関心を喚起して軌道エレベーターを身近にした協会の功績はとても大きい。
これが問題なのではない、「これだけ」という視野狭窄が問題なのだ。JSEAが宣伝しているのは、数ある軌道エレベーターの形態のほんの一つでしかなく、しかも、ひょっとしたら現実には必要ない(実現不可能という意味ではない)モデルかも知れないとさえ私は考えている。
JSEAは色んな媒体から取材を受けているし、最近はいろんな物書きが軌道エレベーターに触れているが、結果として出る記事の多くはJSEA(あるいはエドワーズ)が特化しているこのモデルの受け売りをしているだけで、しかも軌道エレベーターについて一知半解のまま伝えるものばかり(確信犯でやっている媒体もあるが)。JSEAは、「軌道(宇宙)エレベーター」といえばコレ」というたった一つのイメージを固定化させてしまった。
このページの画像は私がデザインを起こし、友人にCGに仕上げてもらったもので、あちこちから使用許諾を求められる。そのことはとても光栄なことだし、アピールのためには一つの集約したイメージを押しだす必要はあると考えたので作ったのだけれども、同時に、詳しくない人たちに固定観念をインプリンティングしてしまった。それは新しく知識に触れる人々の可能性を摘む行為であり、私を含むJSEAの罪だと考えている。
やるべき研究、与えるべき情報、アピールすべき対象はもっとほかにあるのではないのか?
この「軌道エレベーター派」を立ち上げたのも、こうした違和感があったので、自分が重要だと考える多様なエッセンスを温存しておきたいと考えたからなのだが。。。
このほかにも、問題を上げればきりがないし、協会には人的・財政的リソースの不足から、やりたくてもできない課題も多い。しかし、自分たちに疑いの目を向けようとしない限り、ミスリードの危険から脱却できないだろう。
私はJSEAの仲間たちに、とても感謝している。こんなやりがいのある、楽しい思いをする機会を得て、その活動に役立てていることは大変な喜びなのだ。
だからこそ言わなくてはいけない。私たちは何をしようとしているのか?
こうした懸念をJSEA内で解消していく準備も進めてはいるし、独自の構想もあるが、このホームページが、JSEAを客観的に映す鏡になればと思う。
軌道エレベーターへの愛(?)は、協会の仲間も私も変わらないのだから。