軌道エレベーター派

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軌道エレベーターが登場するお話(23) 三体 その1

2021-09-12 12:13:07 | 軌道エレベーターが登場するお話

三体
劉 慈欣
(日本語訳は2019年 早川書房)


あらすじ 世界各国の有能な物理学者の自殺が相次ぎ、科学界が混乱する。それは、かつて極秘裏に進められた、地球外知的生命との交信の試みが招いた事態だった。

 話題の「三体」です。とてつもないスケールの大作で、とにかく面白い。軌道エレベーターも登場するので、読み通したら扱おうと思っていました。今回は重要なネタバレもありますので、未読の方はご注意ください。
 なおこのコーナーは、これまで1回1作のペースで扱ってきましたが、軌道エレベーターの考察から感想その他まで、我ながら毎回長ったらしく、読んで下さる方に飽きられてしまうと危惧し、実験的に3回に分けてアップします。3回掲載後、一つに編集し直すか判断するつもりです。その2とその3はこちら
2. ストーリーについて
3. 人物描写について

1. 本作に登場する軌道エレベーター
 本作は“人類存亡年代記”とでもいいましょうか、非常に長い時間をかけた、いくつもの世代にわたる物語です。軌道エレベーターも構想から建造途上、複数完成して運用されるまで、折々で登場します。

 第1部では、いずれ実現するというくらいで直接登場はしませんが、主人公はナノ素材の研究者で、クライマックスの場面でその素材を使い、敵対勢力と決着をつけるエピソードが描かれています。
 ちなみに第1部は「軌道エレベーター」と「宇宙エレベーター」の呼称が混在しており、「宇宙エレベーターは、まさに運河だ。(中略)地球と宇宙をつなぐことになる」といったセリフも出てきますが、第2部以降はすべて「軌道」です。うむ。
 その後第2部、第3部では軌道エレベーターを舞台にしたシーンがあり、この二つを中心に取り上げようと思います。

 さて、第2部「黒暗森林」では、「天梯(ティアンティ)」と名付けられた軌道エレベーター3基が建造され、試験運行の様子などが、ニュースや登場人物の会話で語られています。ほかにも世界各地で色々なタイプの軌道エレベーターが建造されていると推測されますが、今回はこのうちの「天梯Ⅲ」を図示します。細かい情報がないのでざっくりした図で失礼。



 天梯Ⅲは赤道上にあり、海上のフローティング基地「ヴェルヌ島」が地上基部になっています。このため自力推進で地上基部を移動させられるそうです。軌条=ガイドライン(ピラー)は試験段階で1本、やがて4本になることが示唆されています。
 「運搬キャビン」は時速500kmに達し、68時間で静止軌道に到着するそうです。末端には「電磁ランチャー」というのがあって、太陽系脱出速度で質量を発射できるそうです。

 この天梯Ⅲなのか不明ですが、第2部中盤で章北海(ジャン・ベイハイ)という軍人が、軌道エレベーターの静止軌道よりちょい上の、カウンター質量を兼ねた「黄河宇宙ステーション」で船外活動をしている人々を銃で狙撃し、暗殺するというエピソードが登場します。そこで以下のように書かれています。

 弾丸は真空と無重力のおかげで、まったくなんの干渉も受けずにまっすぐ進む。
 照準さえ正確なら、弾丸は安定した直線の弾道でターゲットに命中する。


 残念ながらこれは間違い。弾丸はまっすぐ飛ばず、決して狙ったポイントには当たりません。章北海は"無"重力でその場に留まり漂っているわけではなく、重力にとらわれて地球周回軌道上を公転=楕円運動をしている状態にあるからです。こういう誤解を招きやすいから、無重力ではなく「無重量」の方がいいと書いたんです。
 ようするに章北海自身が一つの衛星なわけです。その状態から運動速度が変化すれば、重力の影響=位置エネルギーも変化し、軌道が変化します。軌道上から弾丸を発射するのは、宇宙機が軌道速度+弾丸の初速度の⊿v(速度)で軌道遷移するのと同じ行為です。
 結果として、軌道上のある1点から進行方向(本作の場合は東)に銃を撃てば弾道は上方へ逸れ、逆方向(同西向き)に撃てば下に逸れます。左右(南北)の方向に撃った場合も、通常の弾丸の速度であれば下に逸れます。

 ついでに言うと、黄河宇宙ステーションは静止軌道より300km上にあるので、そもそも無重量状態でもありません。章北海がステーションから一定の距離を保ったまま宇宙遊泳することは不可能です。次第に軌道エレベーターから距離が離れていきます。
 ただし宇宙服に推進装置があるので、それで解消している可能性はありますが、そんな姿勢制御をしながら銃の狙いを定めるのは至難の業でしょう。なお、反動が極めて小さい銃らしいので、発射の反作用についてはスルーします。これで物語の面白さが損なわれることは決してありませんが。

 第3部「死神永生」では、主人公・程心(チェン・シン)が、太陽-地球系のラグランジュ点(L1)である人物と会合するため、その通り道として軌道エレベーターが使われます。
 この時点で、物語はかなり先の未来を描いており、程心が乗った軌道エレベーターも、トップスピードが時速1500kmの上昇能力を持ち、浴室も備えた「五つ星ホテルの部屋のような(中略)豪華な客室」と、かなり居心地の良い空間が確保できている場面が登場します。乗ってみたいものですね。
 静止軌道ステーションは自転する多重構造のリング状らしく、これでも「世界で最初に建設された」軌道エレベーターらしいのです。ちなみに「三万四千キロの宇宙空間」とありますが、これは単純な数値の間違いだと思われます。

 ただし、作者は軌道エレベーターの大きな利点であり、加速不要で第2宇宙速度までは重力圏外への投射機能がある軌道カタパルトは応用していないようです。
 上述の電磁ランチャーがそれを兼ねているのかもしれませんが、程心が軌道エレベーターからL1へ移動するのには、静止軌道から宇宙艇に乗り換えていますし、第2部でも巨大な宇宙戦艦を脱出に到達させるのに軌道エレベーターの運動エネルギーを利用せず、自推に任せており、それが技術上の課題として扱われてもいます。その意味では、軌道エレベーターを活用し切れていないようで、惜しくも感じます。

 こうした細かい部分気になる点はあるものの、本作では軌道エレベーターを特別な存在にせず、「人類社会にあって当たり前、利用して当たり前のインフラ」として扱っていて、とても好感を抱きます。このような日常の感覚に溶け込んだ姿こそが、軌道エレベーターのあるべき姿の一つでしょう。
 本作は、軌道エレベーターを含む数々のSF作品に登場するガジェットを意欲的、効果的に活用しており、それが本作の面白さの一つであることは間違いありません。ご都合主義が多くツッコミ所も多々ありますが、それを補って余りある面白さに溢れています。次回はそのストーリーについて述べたいと思います。
 (次回へ続く)
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