死者の尊厳?

2014-10-01 10:00:47 | タナカ君的偏見
 木曽の御嶽山が噴煙をあげて5日が経過、 噴火した時刻は昼近くて、 晴天に恵まれた当日の頂上付近には多くの登山者が到達していた時刻だったために、 死者・重軽傷者多数が出る大惨事となってしまった。

 その被災者の救出活動に警察・消防・自衛隊などの組織から数百人規模の人数が動員されて活動されていると聞く。

 爆発があった翌日の山頂付近で救助活動に従事する彼らの姿。 「俺だったらあんな場所に出動したく無いものだ」と想いながらTV画面を見つめていました。

 ところで報道される被災者数の情報にはすごく違和感を感じるものもあるし、 救助活動にも違和感を感じる所があります。

< 死亡者 と 心肺停止者 >

 心肺停止と判断しても、 それを死亡者とカウントしないのは何故なんでしょう。 病院に運んで医師による死亡確認がなされないと死亡者として扱わないのでしょうか? そんな区別をする事にどんな意味があるのでしょう?

< 救出活動 > 

 負傷して動けない、 そんな状態の登山者が居たら救助してあげる。 それを第一優先にするべきなのは論を待たない。 だから「当面死亡していると判断される人がいても、 当座は現場に残置しておく」そんな事も有りだと思う。 しかし噴火発生から3日経過してからも相変わらず「死者10名、心肺停止24名」とほとんど変化しない数字が報道されつづけている。

 自分が麓で待つ遺族の一人であったなら 「山小屋に運ぶ荷物の様に、多くの遺体をまとめて網に並べてでも良いから、 手早くヘリコプターに吊り下げて運びおろしてくれないか」そうお願いしたくなる。

 なんで 少数の搬出した遺体(?)をヘリコプターから降ろしたり、 自動車に載せる時、 大勢の人間がブルーシートを持って、その様子を外部から見えない様に手間暇かけて作業しているのか? そんな気持ちでTV画面を見ています。

 動かないで横たわっているいる登山者(多分・死者)が背負っているザックだけでも身体から外して下に下ろしてきてあげれば、 内容物から遭難者の氏名も知れて、麓や自宅で焦燥感をつのらせて待つ家族の気持ちも落ち着くだろうに。 そんな事も考えています。

 兎に角、噴煙を間近にする山頂付近の現場は危険な場所のはず。 「死者の尊厳」なんてこともあるだろうけれど、 少々荒っぽくても良いから、 救助活動されている方々、手っ取り早く作業を済ませ、無事に家族の元に戻られます様に!

 昔読んだ本ですが、 岩壁登攀で事故死した遺体を麓まで下ろす時 「急峻な岩壁からシートでくるんだ状態で投げ降ろした」 そんな手段を取って遺体を麓に降ろしたとの文章を読んだ記憶があります。

 そして最後、木曽の御嶽山と浅間山、 日本百名山登頂を目指していたのに、 その二つの山頂を残して癌のために若くして亡くなった岳友のことを思い浮かべながら、 今回の噴火で倒れた人々の冥福を祈ります。 

 
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