おねえちゃんの独り言

「おねえちゃんの独り言」のブログ版
(・・・って、そのまんまだけど)

5年

2022-05-13 10:46:15 | Weblog

お風呂上がりのモル(本文とは関係ありません)

 母が、東京の実家で孤独死してから丸5年が過ぎた。今でも何だか現実味がない。亡くなったこと自体を嘆いているわけではない。人間1回しか死なないのに、どうしてあんな風に死なせてしまったのか。私自身が死ぬまで一生消えないトラウマだ。
 しばらく前に、父親を孤独死させてしまったことについて書いているサイトを共感しながら読んでいたら、「孤独死の何が悪い?」というようなコメントを書きこんでいる連中が結構いて、非常に不愉快だった。
 こういうことをわざわざ書く連中って、妻子を交通事故で殺された男性に「被害者ヅラするな」とか「金目当てだろ」などと誹謗中傷する連中と同じ匂いがする。他人の気持ちを思いやることができないクズどもである。(てめぇがそう思うのなら自分のサイトにでも勝手に書いてりゃいいわけで、わざわざ嘆いている相手に向かって、わざわざ苦しんでいる相手の目につくように、わざわざ悲しんでいる相手をさらに傷つけるような形で書く必要はまったくない)
「孤独死の何が悪い?」などと書いている連中は、きょうだいなり両親なり、誰か親しい家族に孤独死してもらってみたらいい。そして何日も発見されず、遺体に虫が湧き、ドロドロに溶けて、体液が床下までしみ出して、とんでもない異臭を放つ現場にでも立ち会ったらいい。修復不能になった畳や床、臭いの染みついた遺品、事故物件と化した不動産を前に、一度途方に暮れてみたらいい。
 もちろん、嫌な思いをさせられるのは家族親族に限らない。孤独死は「不審死」だから、必ず警察が立ち会うし、多くの場合は司法解剖にも回される。仕事とはいえ、警察だっていい迷惑だ。警察の現場検証だって、司法解剖だって、税金が使われる。家が家族の持ち物なら修復費用は自分持ちだが、賃貸だったりしたら家主もいい迷惑である。集合住宅だったりしたら、他の部屋の住人にとってもとんでもない迷惑だ。
「孤独死の何が悪い?」などと書いている連中には、逆に孤独死の何がいいのか、教えてもらいたいもんだ。
 そりゃ、死んだらすぐに誰かが発見してくれるのなら、まだマシだろうよ(それにしたって、警察は入るし、司法解剖だってされる確率が高い。どちらも医師の立ち会いの下で亡くなった場合には必要ないことだ)。しかし、孤独死してもなかなか発見されないのが現実だろ。現実を見ろ、現実を。
 母の場合、比較的早く発見されたし、真夏でもなかったので、おそらく死後1週間近く経ってからようやく対面した遺体は、驚くほど痩せてはいたものの、目立った痛みはなかった(発見されるまでに数日、それからアメリカの私に連絡がつくまでに時差もあって丸1日、どんなに急いでも翌日の飛行機になるからまた2日、結局、対面できるまでに1週間近くかかってしまう)。もちろん発見された後は冷蔵保存されていただろうが。そんな「マシ」な場合ですら、家の中はなかなか大変な状況だったのである。
 最後に母に会ったのは、2013年末から14年お正月にかけて、子どもの冬休みに家族で日本に行った時。そして亡くなった2週間後には、3年半ぶりに子どもを連れて日本に行くことになっていた。母は、3年半ぶりに孫に会える直前だった。母が生前、最後に送ったメールは私の娘宛、「あとちょっとで会えるね。待ちきれないね」といった内容。
 亡くなる数日前から具合が悪かった様子だし、現場の状況からして倒れて即亡くなったというわけでもなさそうなのに、どうして自分で救急車を呼んでくれなかったのか。永遠に解けない謎。
 私も、見守りサービスでも利用していれば、せめて娘と母と毎日1回は必ずメールのやりとりをする約束にでもしていれば、などなど、今さら考えても何の意味もない、先に立たない後悔は尽きない。
 百歩譲って(?)孤独死は仕方なかったとしても、せめて2週間待ってほしかった。3年半ぶりに孫に会って、楽しく過ごした後で亡くなったのなら、少しは気が楽だったのに。

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