よく小学生ぐらいの子供を持つ親からの見学のアポイントメントがある。子供に自信をつけさせたいのでここがいいと思って来たとのことである。確かに子供にスポーツをさせることはいいことであると思うのだが、しかし自信をつけさせたり、そこで成長させると言うことはその群れに目的と考え方があるかどうかということが必要である。ただ試合に出したり、しんどいことをさせるだけではサルに芸を仕込むのと同じである。厳しくしたりそこだけのルールをしこめばある程度従順にはなるだろうが、しかしそれは本当の意味での成長とは言えないだろう。「啓蒙」と言う言葉がある。英語では「enlightenment」ラテン語の「illustratio」光をあてると言う言葉が語源で、もともとは無知な民衆に学問の光をあてて大事なことを気づかせると言うことで、アウグスティヌスは真実の光をあてると言ったニュアンスで使っていたと思う。私の考えでは人間の群れと言うのはお互いが啓発される群れでなくてはならないと思う。アドラーは人間は自らをかえていく力があると言っているが、人間は社会的集団であるので、大事なことはどういう群れにつながっていくかと言うことで、お互いが啓発できるよりよい群れに帰属し、自分の未来をよりよい方向に選択できると思う。成長とは自分自らが生まれ変わると言うか変革していく力であるが、そのことを繰り返し人間は個として確立し成長していくのではないかと思っている。私からみたら運動部出身の人、特に厳しい部活を経験した人たちは人の顔色を見て判断する傾向がある。監督や先輩そして力のある人間にはペコペコするがしかし我々のようなおとなしい利害関係のないような人間にはとたん勇ましい態度をとるのは何回も見ていることである。人間は人から命令されたり、稚拙なルールを押し付けられることで成長しない、ただ言うことを聞くロボットになるだけであるが、そのことを今までの社会は求めてきたと思う。
けれども人間はある特定の人や集団で言われたことに従順になるのではなく、いろいろな人から受ける影響や刺激によって成長していくことが必要であり、その自らが変革し、成長していくことが個をつくり自信につながっていくのだと思う。
アドラー心理学では家族地域そして職場などでの自分はその一員なんだと言う共同体感覚を養うことが大事だと考えているが、共同体感覚と言うのは啓発と言う言葉にもあるように無知で無学な親玉を中心としてとというようないわゆる仲間程度のレベルではないと言うことは理解できると思う。アドラー心理学において共同体感覚をそなえた人の特徴は「仲間が興味を持っていることに興味を持っている」「自分は所属グループの一員だと言う感覚を持っている」「積極的に共同体の役に立とうとする」「かかわる人たちとお互いに尊敬、信頼し合っている」「すすんで協力しようとする」、たぶんうちの群れがそれに近いと思っている人も少なくはないと思うのだが、こういう群れをかたちづくっていくのはお互いが啓発できる力があるからで、やはりそういうレベルで関わることができる人間が多く、トレーナーたちのああそういうことかと気づかせるような教え方もまさに啓発的である。こういうベースがあるから雰囲気も良く、環境もいいのだと思っているが、ここに子供が長くいればいろいろな刺激をうけていい意味で成長する、価値のあるコミュニティだと思っている。
参考文献 「性格を変える心理学」 岸見一郎 NHK出版