脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

十戒といじめ

2023-05-11 | Weblog
話は私の知り合いの話になるが昔後輩からある女性に日本人の男性を紹介してほしいと頼まれた。彼女はソウルの優秀な大学を出ている英語と日本語が話せる才女である。そして何よりも気に入ったのが彼女は非常に我慢のできるタイプで、きちんと人の話を理解しようとする。たぶんそれはしつけと学習がそのような人格をつくってきたのだと思うのだが、世の中の裏技が賢いことだと勘違いしているDQNとは全く質が違う。何回か話して彼女は私のことをかなり信用するようになったのだが、私はアドバイスとしてもし国際結婚するのだったらバイリンガル以上がいいと言うこと伝えた。なぜなら一つの言葉しか理解できない、単一民族はもしお互いが壁にぶつかった時にそれを理解しようとする経験や考え方のキャパがせまいので限界がある。しかし言語を2つ以上話す人は考え方や発想がひとつだけではないので理解できるキャパがある。もし国際結婚するのだったらせめて英語が話せるバイリンガルで、家で話す時は英語と言うような家庭のほうがうまくいくのではないかと考えるからだ。
単一民族で一つの言語しか話せない人間にとって人種の壁と言うのは高い、なぜならその壁をこえて理解しようとする能力がとぼしいからで、一つの言葉しか話せない、同じところから出たことがないと考え方が狭くなってしまうからだ。私は人種差別は一番みにくくおそろしいと思っている。もうかなり昔の話であるが、とある外国での話、私の知り合いが母親が日本人だと言うことでつけられたあだ名がイルチェ、イルチェと言うのは日本製と言う意味と日帝と言う意味があるのだが、何かことあるたびに彼は日本人だからとか言われて差別をうけた。彼はその怒りをぶつけてまわりから一目置かれる存在にはなったが、しかしイルチェ(日本製)は所詮イルチェ(日帝)心から信用できる友達などできるはずはなく孤独であるということは何もかわりない。たぶんこういう話は格闘技をやっている奴が好きそうな話だ、逆境を自らの力で乗り越えて最後は強引にサクセスストーリーにしていく、しかし大事なのはこういう人間はまわりが救ってやらなくてはいけないということだ。私は基本的に人は人によって癒されると思っているが、いちいち人種差別などの差別を怒りのエネルギーに変えて憎しみ合うと言うことほどアホなことはない。戦争や内乱なんてまさにそうだが、そういうことは根本的に否定されなくてはならない。しかしマンガしか見ないような格闘技おたくは本当に何が正しいのかと言うことをまともに考えることができない、所謂かっこいいとか目立つとかの刺激でしか動かない、事実未だにやられたらやりかえせ的な発想を持っているような人間がいるが、しかし本当に大事なことは誰かがその人間の友達になると言うことで、そのための正しさや勇気を教えることだろう。そしてその正しさや勇気を教えるのが教育であると思っている。オーストラリアのある学校ではいじめをするのもそれを黙って見ているのも同じいじめだと言うことを子供に浸透させることでいじめをなくしたらしいが、おそらくこの背景には宗教教育があると考えているのだが、聖書の十戒には「汝偽証してはいけない」という言葉がある。これは裁判で偽証するということもそうであるが、相手の命にかかわることなのだから証人は知っていることをすべて話しなさいと言うことで、当時の宗教裁判は証人の証言によって殺されることもあるのだから、そうならないように積極的にかかわりなさいということである。そういう宗教的背景がこの学校のバックボーンにあるのだろう。人間は弱い、弱いから支えあって協力し合わなければならないのだ、自分の力ではなく、いじめや差別は自分たちの問題でもあるのだということを理解し、見て見ぬふりをする人間は同じであると、少し厳しいかもしれないが、ひとりびとりにその責任をおわせることも必要なことであると思う。人に差別されたりいじめられたりしたことをサクセスストーリをつくりあげてごまかしてはいけない、人種差別やいじめというのはあってはいけないことで、言語道断である。英語は共通語だ。英語圏の考え方や発想を学ぶことは非常に大事なことで、特に人権や女性問題と言うのはその発想を持っているのと持っていないのとでは大きく差が出る。英語話せません、つかう機会がないからというのもいいだろうが、しかしこれからのスポーツ団体は積極的に英語をマスターして行くことが求められると思う。
 


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