脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

라스트 카니발 Last carnival

2019-11-08 | Weblog
ハワイの米軍基地でカーニバルが開催された。ここにはジウンとピーターなどの東洋人のグループと一緒に行ったのだが、確かここは軍隊のことでジウンとすごい激論になった場所だ。ここでは夜野外リングでアーミー主催のボクシングマッチが行われていたのだが、花火がうちあがる中、アーミーVS一般の連合軍みたいな感じの試合でかなり盛り上がっていたことを思い出す。私のボクシング人生は楽しい思い出ばかりであった。キャプテンとか言っているわりにはたいした実績もなかったが、しかしそれなりに全力でぶつかっていって、本当に充実した競技人生であったと言える。才能もセンスもないたいしたことがない人間が本当に全力でぶつかっていったからこそ思えるのだが、その才能もセンスもない人間が一生懸命全力でいくからこそ、何か大きなものを得れるのだろう。
けれどもたとえ一生懸命やっても才能やセンスがなければ負けてしまう。でも負けても次こそはやってやると言う気持ちをおこさせてくれた偉大なトレーナーが私には存在した。そして本当にボクシングがおもしろくなってくるのはここからで、負け惜しみではないが負けたからこそもっともっと上手になりたいと言う強い意志が生れさらにまたトレーニングするようになるのだと思う。そしてボクシングの醍醐味はお互いが力をつくして戦ったことを心からリスペクトできることだ。その一生懸命やることが相手に対しての敬意であり、その敬意が友を生むのだ。ボクシングはへたをすればけがをするスポーツだ、だからこそそこで全力をつくし相手をリスペクトしないとだめだ。試合でもかならずジョージが思いきり行け、ぶちのめしてこい(英語ではもっとひどい表現であるが)と言っていたが、ボクシングにおけるリスペクトは競技者として相手に対して全力を尽くすことだとヨーロッパ系の監督も言っていたことである。かっこよく言えばスポーツのよさは人と仲良くなることではなくてリスペクトされることである。だからこそ魂を込めて思い切り全力で相手に向かっていくことが求められるのだと思う。

権威だけで威張るバカ、賞をとるとかそういうはかない自慢よりもボクシングは平等だ。才能もセンスもない人間であっても一生懸命競技していることが幸せで楽しいこと、そしてリスペクトされるべきことであることを伝え、ひとりびとりを認め尊重する。そのことを競技者には伝えていきたい。たとえ練習試合のような小さな試合であっても努力をおこたらずに、全力で挑めば本当に自分の人生の価値観が変わることもある、そういう体験をしてもらえたらなおさらうれしいことである。人にゆずったり、負けを認めることができない人生なんてしんどいことだ。よく自分の競技人生に悔いがないようにというようなことを言う人間がいるが、しかし私は思う、本当に一生懸命頑張って自分の限界が見えたら、自分を受け入れることができて生き方が楽になる。悔いがないとかそんなんじゃなくてその達成できない不完全な自分を受け入れて、新たな一歩を歩むことができると言うことである。

今日久しぶりにあげた動画はラストカーニバル、当時北朝鮮との緊張関係にあったので、そういうことにあまりふれてはいけない時代、ハワイと言う遠くと遠く離れた土地でひとりのアメリカ系韓国人と韓国人もどきがカーニバルで激論した。


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