脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

We owe Kids one.

2020-05-12 | Weblog
今日近くのショッピングセンターが営業を再開、朝型であるが小さい子供がマスクをしながらお母さんと買い物に来ていた。すごく楽しそうに歩いていたが、久しぶりに子供の笑顔が見れた様で少しほっとした。
私は府民でもないし、政治家の人にけちをつけるわけでもない、本当に為政者は今日本のために頑張ってくれていると心から思っている。
がしかし最近理解できないことがある。それは大阪府が医療関係者に20万円相当のクオカードを配ることだ。為政者が感謝の意味でと言う理由で、お金を配るのは権力の私物化ではないのか。私はなぜこういう時に給料が保障されている人たちにお金を配るのか理解できない。偉そうに言うが本当のリーダーシップは何も言わず黙ってその職務を全うさせることではないのか、意味のない気配りをしたり、よくやったからお金を配ると言うのはよくわからない。まず頑張ったと言う尺度があいまいだし、そんなことを言いだしたら他にも頑張っている人はたくさんいる、そうなると鶴の一声で頑張ったものを決められると言うのはある意味差別ではないのか。今必要なのは報酬ではなく保証だ、自粛させられて仕事もなくなり、疲弊して明日生きるのもたいへんな人もたくさんいる、忙しいけど仕事があって給料も保証されている人々に国があえて報酬を与えるのはある意味格差であると思う。

ドイツ語で仕事をあらわす言葉はberuf(ベルーフ)である。この言葉のもともとの意味は導かれるとか召されると言う意味である。宗教学的に言えば仕事は神によって与えられたもので、あなたが今ついている仕事はあなたが選んだものではなく、神によって与えられ、あなたはそこに召されと言うこと、もう少しわかりやすく言えば日本で言うところの天職である。少し失礼であるかもしれないが、仕事と言うのはまさに与えられたもので、我々はその与えられた自分の仕事を自発的に行いそれを全うしているに過ぎない。医療と言うのはプロフェッショナルな仕事である、その誰もができるわけでもないプロフェッショナル的な仕事を誇りをもってやっているのだから、そこになんら余計な気配りをする必要なんかない。むしろお金を配るのだったら心から労いの言葉をかけてあげたほうが私は正しい選択だと思う。20万円なんてすぐになくなるし、なくなればそれでおわりである、しかし本当に心からねぎらいの言葉をかけることでその言葉が職務を全うする上での支えになりうる、それがすべての人ではないとしてもひとりでもその言葉に感化されより一層職務に誇りが持てるとしたら、それはやがてひとりひとりと実をむすぶこともあるだろう。
日本の政治家は言葉のこわさを知っているが、しかし言葉の力を知らないと思う、こういう時日本の政治家は哲学を持っていないことがよくわかる。個人的にはそんなことよりも学校や保育園とか学童保育など子供のためにお金を使う方が納得がいく。医療関係者もたいへんだろうが、ウイルスによって笑顔を奪われた子供たちをもっともっと顧みてあげたらいい、小さい子供が遊びたいさかりに家の中でじっと自粛、それは我々が思った以上に大きなストレスであったと思う。私は本当に日本の子供が偉いと思うのはみんなそういうことがわかって協力して耐えているところである。先生や親に言われたことを素直に聞いて、やりたいことをおさえて行動することは小さな子供には大きなストレスである。さらにそれを支えるお母さんや保育園や学校、学童保育もそうである。今回本当に称賛されなくてはならないのは子供たちである。出口の見えない自粛生活を子供たちは何も言わずに大人と同じ行動をとって、この困難な時期をたえて、協力してくれていることは本当に心から称賛できることだと思う。日本人は哲学がないが、しかし教育レベルが高い民族だと言うことはこの子供たちを見たら理解できる。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私は세종的人間 | トップ | 私の好きな歴史上の人物 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事