脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

その時はおごってくれ

2014-06-05 | Weblog
AIBAのランキングを見たらおもしろいことがおこっていた。
ランキングに上がっているのがほとんど中東やロシア、中国特にカザフスタンという国は昔のキューバのようにランキングに名前をつらねていたが、これらの国はアムネスティという人権擁護団体でも問題になっている国、私はだいぶ前にボクシングはもはや西から東に移行しているとブログで書いたががまさに私の言った通り、欧米が小さいころからボクシングを競技させることに躊躇する中、人権に疎い国が子供のころからばんばん頭をたたかせて競技レベルをあげていく、まさにこう言ったことは人権に疎いからできるともいえる。

私の友人で日本によく出張に来る韓国人がいる。
彼女は某有名大学の国際政治学科を卒業後、とある企業の海外事業部で主任として働いている3国語を話す非常に優秀な人材だ。そのせいかよく海外に行くそうだが特に日本にはしょっちゅう来ていて、大阪なんかは私よりもよくわかっているのではないかと言うぐらい詳しい。
この前連絡があって今度大阪に行くのでその時会えませんかと言ってきたが、しかしあいにく行く機会が今のところ少なくなっているので行けないというといつも残念そうにそうですかと言ってくるのだが、私は両方のことをよく理解しているので日本人を相手に仕事をしている彼女にとって話しやすく、一般の日本人に聞けないことでも聞けるので頼りにしている人間の一人らしい。
今度夏にプライベートで来た時にここに来たいと言っていたが、しかし私も大阪に行く用があるので、もし日程が合えば大阪で会おう、でもその時はおごれってくれと言ったら、いいですよと言ってくれたが久しぶりに会うことになると思う。

私が韓国人で仲良くなった人間には言っていることがある。
それは韓国人いや朝鮮民族が大嫌いだったこと、こいつら消えてなくなってしまえぐらいに思っていたということだ。こういう話をすると一瞬ぎょっとするが、しかしその後怒りをばねにかえて「お前らのおかげでボクシングが強くなった」と言うとどっと笑うのだが、わたしにとって過去の話は昔の話はっきり言って笑える話だ。
人間は笑っていてもそれがすぐに怒りや憎しみに感情がかわることはたやすいことだ。
しかし怒りや憎しみの感情を笑いにかえていくことは困難なことだ。
たぶんそういった怒りや悲しみの中に自分が立ちどまって、ただ同情してくれる人間だけを求めたとしても何もかわらない、怒りや憎しみは怒りや憎しみのままである。
しかし外の世界に出て行っていろいろなことを経験することで見えてくるものがたくさんある。
いろいろな人間と話そこでいろいろな経験をすればいかに自分の考えていることが小さいことかということがわかる、俺はマイノリティだなんて思っていたが、しかしマイノリティなんてたくさんいるし、ボクシングというスポーツはむしろそういうマイノリティが生き生きと競技している、こりゃ笑わなくちゃしかたがないと思えるほど自分の生き方や世界が小さかったということがわかるのだが、自分があったいやなことや怒りを肯定して生きていたら、とんでもない了見のせまい人間になっていたかと思う。
私が英語を話せ、いろいろな人間と出会って話をして自分の世界を広げろと言うのはそういう経験を通して人間はキャパを広げていく必要があると思うからだ。
人間には否定できない事実がある。否定できないから受け入れていくしかない、だからそのためキャパをひろげていかなくてはならない。


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