脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ボクシングと営業

2012-04-24 | Weblog
以前あげた「考えよ」という本だがサッカーのファンは結構読んでいるらしい。
サッカーに興味のある人はもちろんのこと、スポーツする人にはお勧めの本である。
この本の中で著者は現代のサッカーについて、最近のサッカーはスポンサーなどの問題もあって、勝利至上主義になりつつあるというようなことを言っていた。
実際フィールドでは11対11の選手が戦っているのではなく、スポンサーを通じて闘っている商業サッカーになりつつある。
そういう商業サッカーが支配するともはや古代コロッセウムのように勝利だけが求められ、騎士道のような美しさや、サッカーの中身が問われない、それが現代サッカーのおかれた状況であるというようなことを言っていたが、この言葉はまさに我々がこの先むかっていかなくてはいけない方向性を示唆しているのだと思う。

おそらく21世紀はスポーツの在り方や、かかわり方と言うのも変わってくるのだろう。
スポーツももはや語学なども含めて学力が要求される時代であるということを書いたが、そうなると当然その考え方やあり方、ポリシーも問われるわけで、この著者が言ったことばと言うのは立ち返るべき原点となりうるであろう。

これはあるスポーツ学の先生が言っていたことであるが、アメリカではスポーツを競技する時、そのスポーツを日本のように刹那的にとらえるのではなく、長い人生の中で今自分はどの位置にいるのか、そしてそのスポーツを通して将来自分はどうなりたいか、あるいはどうあるべきかと言うことを問うと言っていたが、たぶんこういう考え方はまだまだ今の日本は浸透していないように思える。

私は時々若い人にボクシングは遊びだというが、それはボクシングを軽く見ろということではない。
実際それに付けくわえて「たかだかボクシング、されどボクシング」だということを言うが、それはそのスポーツが競技の仕方とかかかわりかたによって、それがかけがえのないスポーツになりうるからだが、遊びと言うのは夢中になれることである。
その夢中になれることで、日常のいろいろなことから解放されて豊かになっていく、スポーツには本来そういう目的があると私は信じている。
スポーツと言うのは所詮遊びである。プロスポーツはどうかわからないが、アマチュアスポーツはそれが本来やるべきことではなく、ほかにもっとやるべきことがある。それは社会人であったり、学生であったりと、立場は違うがそれぞれのおかれた状況の中で精一杯力を尽くして努力し、楽しむことができるからこそそれが生きてくるのではないだろうか。

これは私の友人の話だが、彼は学生時代にボクシングをしていたらしい。
競技したと言っても彼は才能がなく試合もしても連敗続きで、勝った試合などひとつかふたつぐらいである。
しかし彼はボクシングが好きで、その話を営業の相手にするそうだ、話す内容はそういう負けの話ばかりであるが「ほら自分こんなにリーチがないんですよ。これじゃあぼこぼこにされるのは目に見えてるじゃないですか」と言うような感じではなすのだが、その彼の負けっぷりの良さと、楽しそうに語る姿にひかれて格闘技好きのお客さんは、楽しそうに話を聞いてくれるそうであるが、中には「俺もがんばらなあかん」と言う人もいるそうだが、この時ボクシングと言うスポーツはその競技をこえて人を喜ばせ励ましている。皮肉であるが自分はボクシングを競技してよかったと思うそうだ。
しかしおそらくこれがいくらチャンピオンになったと言っても、本当に彼が勝つことだけに価値を見出していただけならば、それは単なる自慢話で、チャンピオンだから何なんだという話になるが、結構何も考えずにそれだけをやった人間はたとえそれがたいしたことがなくても、何とかチャンピオンとか何とか何位とかにこだわり、これみよがしに自慢するが非常にみじめで、逆にそういうことを自慢するような素振りを見せるならば、かえってそいつの価値を落とすようなものである。
しかし彼のように勝つことだけではなく、スポーツを競技することに普遍の価値を見出したならば、スポーツはその枠をこえて我々に意味をもたらすものであり、自分の人生に価値を与えてくれるものとなりうると信じている。
彼が負けても負けても競技し続けたのは、単に勝つということに価値を見出したのではない。
おそらく彼はその将来のことを考えて、そのことを見据えたうえで精一杯ボクシングを競技して思い出を作ったのだと思うが、その思い出が彼をひきたてる人生のスパイスになっているのだと思う。
スポーツの原点は遊びだ。スポーツが素晴らしいと言えるのは、それを競技すれば何もかも忘れて没頭できるからであり、そういう休息を得ることができるからである。ボクシングでも仕事でもそうだがインターバルをどう使うかで、次のラウンドが決まってくるが、このインターバルを生かすも生かさないも本人次第で、それはこのスポーツに自分がどうかかわるかと言うことから見えてくるのではないかと思っている。

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