社会人選手権が宮崎で開催、佐藤代表率いる兵庫チームが健闘しているようです。その様子などはフェイスブックからも見れるのでみなさん応援してください。
こう見えて私も昔は競技者であった。もちろんトーナメントにも出たことがある。今考えたらはずかしい話だが私はこともあろうかトーナメントで優勝宣言をしたことがある。それはたいした大会ではなかったが、しかしそれでも5回ぐらいは勝たなくては優勝できないトーナメントだったのだが、私はそのトーナメントで「もし優勝できなければお前らの視界から消えてやる。I'll be gone」と言ったと思う。これを聞いて一同唖然としていたが、しかし私は本気であった。負けたら本当にそこから去るか、少なくともボクシングをやめる気持ちでいたことは確かなことであった。でもそういう意気込みでやったらトレーニングが変わる。何がかわるかというのは気持ちだ。まずシャドウなども実戦を想定するし、スパーなどは強い相手に打ち勝つぐらいでなと優勝できないと相手に求める基準が高くなる。アドレナリンのせいかどうかわからないが自分よりも強いと思われる相手とのスパーを望んで、とにかく上の次元を目指そうとする。おそらくそこまで気持ちを強く持たなくては我々のような凡人がいくらしょぼいトーナメントと言っても勝つことなんでできないと思う。そして実際才能のない凡人が一生懸命頑張ってとったしょぼいトーナメントの優勝、でも優勝したらいがいとあっけらかんとしたものだ。もらったトロフィーはほったらかしにしたら腕のところがおれていたので捨ててしまったし、メダルなんかもピーターにほれとあげてしまった。ここでなぜこういう話をするかというのは決してこれみよがしに自慢しているのではない。まわりもわかると思うけど私自身が今ボクシングにこだわっていないし、そんな学生時代のお遊びがすごいことなどとは決して思っていない。私が言いたいことそれは何事も過程が大事だと言うことである。少しえらそうに言わせてもらうと、本当に本気でやったらトロフィーとかメダルとかそんなものはどうでもよくなる。なぜなら自分が今までその試合に向けてやってきたことに嘘はないと言えるからである。
以下の分は私のブログからの抜粋である。
「最初ここにきてパンチがあたらなかったので、悔しくて悔しくてずっとリングを見ていたら。ジョージが声をかけてきてくれたことではじまった彼と二人三脚で歩んだボクシング、そこそこ強豪のアメリカ人と対戦して勝った時は、単純だが、東洋人も彼ら彼女らと対等にやれると思ったし、メダルも取れた。そういった経験が私の中で自信になっていったことは確かである。けれども自分の実力なんて相対化されればされるほど小さくなっていく。そして一生懸命やればやるほど、自分の限界や現実を受けとめなくてはならない時があるのだ。人間は前に進むためには、時には大切なものを捨てなくてはいけない時もある。でもしかしその捨てたものが正しければ年とともに思い出となり、その人の年輪となる。それは決して今しがみつくものではないが、それが年をとって思い出となって自分の軌跡を振り返った時に、自分の生きてきたことはよかったんだと振り返ることができる。それが年を取ってからの人間の幅や自信になると思う。私は本当に向こうでは小さい存在であったと思う。そしていくら頑張っても認められることはなかった。そういう平凡なちっぽけな存在である。けれども一生懸命挑戦することで自分の軌跡をのこすことができた。そしてそのことを今振り返って後悔はない、それは私を語る上での本当の年輪になっていると思う。」
一生懸命トレーニングに励むと言うことは自分の価値を高めること、一生懸命努力するからこそ、すべてのことに意味をなすと思っている。たとえ大会で優勝してもそれはただの通過点、私なりに考えてやはり大事なのはどう引退するかということだ。そしてそのことは実績云々というよりも過程を大事にするからこそ、本当にボクシングをやってよかったと思えると思う。