脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

O Holy Night  Glória in excélsis Deo

2018-12-13 | Weblog

この歌は非常に思い出深い歌である。学生時代友達がクリスマスにクワイヤーで歌うことになって教会に誘われた。食事をさせてくれるというので思いっきりそれを期待して行った。そこで私は前列にすわらされたのだが、多分おぼえている限りでは5曲ぐらい歌ったと思う。韓国語の歌が1曲であとは英語だ、最初はまあまあ練習しているななんて思って聞いていたが、しかし最後の歌を聞いたときに私は深く感動した。ある芸術家は歌は祈るように歌えと言ったが、まさに彼女たちが歌っているのは歌ではなく祈りだ。その全身全霊を持って天にとどかせようとしている姿に感動したのだ。不思議なものだが、感受性が強い時期であったのもそうであるが、人間は本当に神聖なものに触れると畏怖を感じる、その畏怖とも感動ともいえる体験に私は自分の意識とは別に涙を流していたのだが、ヤクザが改心して宗教を信じるという話があるが、その気持ちはわからんでもない。
その後の 食事はビュッフェスタイルで彼女が私のために気をつかっていろいろととりわけてくれたのだが、カルビの前に来たら多く入れろと目配せ、それをわかったかのようにたくさんカルビを盛り付けてくれたが、私は彼女と話すたびにいつも思う、本当に受け入れられていると。教会によんでくれたのも自分が歌うのを見てほしいのもあったのだろうが、しかしクリスマスにひとりではさびしいと思ったからだ。彼女いわく人間は誰でも罪がある。おそらくこの歌詞の「long lay the world in sin and error pining」と言うのは人間が持つ現実であり、彼女が人を受け入れると言うのは、人はすべて罪びとで弱いものだと言う自分の弱さを認めたところで人は平等なんだというところから来ていると思う。宗教や哲学をたくさん学んできたが、しかし宗教的な対立ほどえげつないものはないとおもっているし、神がいるとかいないと言うことはどうでもいい、そんなことは私の知ったことではない。しかしこういう時代だからこそ矛盾しているが神がいることが必要だと願うことは大事なことかもしれない。

このo holy nightのさびの部分「fall on your knee, oh hear the angel voices oh night divine oh night when christ was born oh night divine oh night divine」のdivineはdivideと同じ語源で区別すると言うことだ。divineは神聖なと言う意味だがその神聖さは区別されるものであって、他のものとは違う。もっとこの日を大事にしなくてはならないと言うことだ。MOBでは毎年この時期にはどこかの団体をおぼえて日ごろ会員がおさめてくれている会費から寄付をしている。それは気負うほどの額ではないが、しかしチョルチン(親友)からハワイで教えてもらったクリスマスの意味を大事にするためにそうしている。

같은 하늘 다른 곳에 있어도 부디 나를 잊지 말아요

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Biracialのつぶやき | トップ | Pouvez-vous parler l'anglai... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事