脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

俺の親友

2011-04-24 | Weblog
だいぶ前にも言ったが私はコナン(名探偵コナン)のファンである。
実は今日レイトショウで「沈黙の15分(クオーター)」という映画を見て来たのだが、コナンの映画が封切りになれば、必ず映画館に行ってそれを見ると言うぐらい好きなアニメである。
私がコナンにはまっている理由は、毎回あんなトリックを考えつくなあと言うストーリーはもちろんのことだが、追い詰められても、窮地に立っても考えることをやめない、最後の最後まで自分の知恵のすべてを出し切って問題を解決していく姿であるが、そういう姿にある種の哲学的な魅力を感じているからである。
しかし納得いかないのは、コナンをとりまく人間たちのほとんどが上流階級で、しかも美人やイケメンばかりで、少し現実離れしている点ではあるが、しかし笑い話だが、実は何をかくそう子供の名前をつける時に、コナンにしようかと思ったが、漫画の名前なので改めなおしたのだが、しかしうちの子供には、いろいろなことを学び、特に英語や他の語学を身につけて、外国人と接し、自分たちが知らない文化を学び、本当の知恵をつけていってもらいたいと思っている。
私はコナンのアニメを見ればどことなく、欧米文化のセンスみたいなものを感じるのだが、この感覚は私にとって物語に入っていきやすい。外国に長く住んでいる、私の恩師もコナンのファンなのだが、主観的ではあるが、コナンはこういう外国の文化の影響を受けている人にはどことなく親しみやすいというか、ひきつけられるセンスがあるように思える。

今日はその外国の友人でピーターと言う私の親友について話したい。
彼はビジネス学部の学生で、英語と中国語そして日本語を少し話すのだが、台湾からの移民で私の一つ上だったせいかたいへん気があった。
そのピーターだが彼もUHのボクシングチームに入っていたのだが、しかしそう強くはなく、がんばって試合に出ようとしても、すでにスパーリングの段階でぼこぼこにされて自信を喪失してしまうと言う繰り返しで、正直ふがない奴であった。

ある時ピーターが試合に出ると言ってきた。「このままではらちが明かないので、俺は今度のマッチにフライ級でエントリーする。だから少し君にスパーリングパートナーになってほしい」と言ってきたのだ。
その日から彼とわたしそして何人かのチームメイトの特訓がはじまった。
特訓と言ってもそれほど大げさではないが、試合に向けてスパーを相手をかえて、来ている時は毎回4ラウンドすると言ったことである。
しかしスパーはもともと平和主義でへたれの彼にとっては大きなハードルだ、案の定ちょっと強いパンチがあたると顔を下にむけるのだが、試合まであと2週間ぐらいとせまった時も下を向く癖はかわらず、このままではRSCまけはまのがれない、どうしたらいいのかと考えたのだが、後は実力の問題ではなく作戦の問題でこの作戦について話し合ったのだ。

でどういう作戦を考えたかと言うと、もうここまできたらえげつない、そこには東洋人ばっかり女性も含めて7、8人はいたのだが、試合中に相手にお願いのポーズをしておじぎをして戦意をそうしつさせるであるとか、向こうが白人だったら、チンキーアイで睨み続けるとか、なんせ素人もこの作戦に加わっているので、ほとんど遊び感覚であった。
しかし私が言った作戦にはみんな興味を示したのだが、それはどういう作戦かと言うと「あれはなんだ」と全員で指をさして叫び相手が注意をとられている間に、すかさず彼が渾身の力でパンチを入れてKO勝ちをするという作戦で、この時「Look! what is that!」と全員ででかい声で、あほそうに言うのがポイントある。
この「あれは何だ作戦」であるが、ここでアスリートに言わせると少し問題があるので、関係ない人間が言うのだったら問題ないだろうと言うことで、関係ない人間何人かに頼んで、本気でやろうと考えたが、しかし当たり前だが彼が実力で勝ちたいと言うので、作戦は決行されずガチで試合を行うこととなる。
そして試合当日「俺だったら秒殺できる」という相手に、ぼこぼこではないが、力の差をみせつけられてしまったピーターであった。やはり彼にはこの競技はむいていない。

ちなみにオリーヴのへたれ大歓迎と言うのは、彼と私の関係が原点だ。
日本のボクシングは苦しむために一生懸命するが、われわれは楽しむことを一生懸命する。スポーツは真剣にできる遊びであって、別によわかってもチャンピオンになれなくても「So what」だ、この競技を楽しむことに全力を注ぎ、自分のかけがえのないものとする。
ピーターもへたれだったが、まわりを気にすることなくエンジョイしていたし、エンジョイしていたからこそ試合に出て勝ちたいと思ったんじゃあないだろうか。
私から言わせれば、われわれはアマチュアであってボクシングは本業ではない。
だからたかだかボクシングであって、人生がかわるぐらい挫折したり、追い詰められて、苦しんでするものではないだろう、こんなものに自分の人生を左右されるのはナンセンスだと考えている。
大事なのは本当にこの競技が楽しいかと言うことだ、その楽しさは自分はチャンピオンだとか、何々で優勝したと言うように人と比較することによってではなく、まわりに左右されず、自分なりの目標をもって、心から楽しいと思うこと、まずそのためには自分なりの競技のあり方を考えなくてはならない。
我々の話になるが、オリーヴの会員はほとんどが、社会人でそれなりの試合には参加している。
たぶん全国大会みたいな大会から比べたら、レヴェルはそう高くはないが、しかしそれでもそういう大会で優勝したり、勝利した人たちがいるのだが、みなさんそれぞれその時はたいへんうれしそうである。
私は彼らが仕事をしながらここまでがんばったのでその勝ったことを十分に喜び、誇りにしたらいいと思っているのだが、その勝利ややったことは人とは比較できない自分の偉業であると思っているが、そういう気持ちを大事にしていきたいと思っている。

私はよく彼にいたずらをしたものだ、今でも覚えているのは彼の熱帯魚の水槽に100倍だが300倍だかわすれたが、水にいれるとえげつなくふくれるたこを入れて大騒ぎさせたことがある。








この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ソクラテスは言う | トップ | クラブの集団性を問う »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事