脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

語源をたどると

2012-05-12 | Weblog
子供のカードゲームでデュエルマスターズというのがある。
少し前までうちの子供がはまっていたゲームだが、このゲームには横文字が多いのでよく子供に(クラブに来ている子供も含めて)その意味はなんなんだと聞かれるのだが、横文字でも結構ひねった名前があるのでおもしろい。
デュエルというのは決闘と言う意味で、決闘というのは一対一の果たし合いのことである。
デュエルのdoはもともとラテン語のduoからきた言葉で2を表す言葉で、フランス語でも2をdeuxと言うがこのdeuxもラテン語が語源である。
決闘というのは複数でやるものではなく、一対一の勝負である。
おそらく日本語でも辞書を見たらそういうニュアンスで説明されていると思うのだが、言葉を定義する上で言語や語源を知るということは、非常に重要なことだと思う。
デュエルと言うのもそれが一対一であると言うことが定義できるのは、まさにこのラテン語の語源によるものだ、まあ日本式の決闘と西洋式の決闘は違うと言われたらそれまでであるが、しかしこの語源をたどることでその言葉の意味そのものがはっきりとした型で説明されることが多く、私はその言葉の真意を知りたい時は必ずラテン語かギリシャ語を調べるのだが、それらは英語やヨーロッパ圏の言葉のほとんどの言語となっているからである。
これはだいぶ前に高校生が聞いてきたことだ、彼はたぶんなんとなく気になっていたのだと思うが、なぜボクシングというのかと聞いてきた。
これにはおそらくボックス、箱がひっかかっていたのだと思うが、それに対しておきまりのように箱の中でやるからボクシングだと説明していた人がいる。
しかしボクシングは動名詞で名詞は動名詞にはならない。
ボクシングと言う言葉がある以上動詞があるのだが、その動詞がbox、こぶしでたたくと言う意味で、すなわちこぶしでたたくからボクシングである。
よくアマチュアの試合でもboxと言っているがこれはたたけと言っているわけで、厳密に言えばこぶしでたたくこと、ボクシングはこぶし以外でたたいてはいけないと言うのは、まさにこの言葉を忠実に受け取れば理解できることである。

言葉と言うのはおもしろい。特に語源をたどれば言葉の共通点や真意が見えてくるのだが、それは漢字にも言えることである。
例えば八方美人という言葉、これは日中韓で共通した四字熟語である。、こういう漢字にちなんだ言葉はたいてい中国から伝わってくるのだが、おもしろいことに八方美人は中韓は人づきあいがいい人といういい意味でとらえられているのに対して、日本では誰にでもいい顔をする人とわるい意味でとらえられているが、大陸から島に渡れば意味が真逆になるからおもしろい。

韓国語のアンヨンハセヨという言葉がある。これは韓国のあいさつ言葉として有名だが、この言葉も漢字で書くと意味深い言葉である。
アンニョンは漢字で書くと安寧と書くのだが、アンヨンハセヨそのまま訳すと「安寧してください。元気でいてください。」ということで、日本のあいさつは「こんにち」はとまず天気のことから入るが、しかし韓国語ではまずあいさつで相手のことを気遣うことからはじまるが、おそらくこういうはっきりしたあいさつというのは韓国語独特の表現であると思う。
韓国人は漢字を使わない。特に我々の世代の人間は漢字の教育を受けていないので、漢字が書けない人が多いが、しかしこの安寧に限らずカムサ、感謝などを漢字で書くと、この言葉の意味がより鮮明になり、自分たちがつかっているあいさつ言葉と言うのは、非常におもいやりがあって、格式の高いものだと言うことが理解できると思う。
韓国語の素晴らしいところは、あいさつに人を思いやる気持ちが、彼ら彼女らの言うジョン(情)が込められていることだ。
昼にあったらよく、パブモゴッソヨ(ごはんたべましたか)と言うあいさつをされるが、これはあなたのことを気遣っていますよという表現だと理解しているが、こういうあいさつことばにも気持ちやジョンが込められているのだ。
誤解しないでほしいのは私自身は日本人である。
そして他の文化と比較しても日本人と日本の文化は素晴らしいと思っているが、しかしの日本語に関しては最近韓国語に比べて日本語は言葉がみだれて来ているように思う。
あいさつ言葉でも少し前オッハーというのがあったが、そういう言葉が蔓延していることは事実で、現におばあさんに対して、バアバなどと言う言葉が使われていること自体、そういう文化を見てきた人間には非常に驚きであるが、韓国人のおじいさんにじいじなんて言ったらとんでもないことになるだろう。

ディスカヴァリー出版から出ている本で「国語力のある子供に育てる」という本がある。
この本の中で国語力をあげるためには正しい日本語を話すと言うことが挙げられていたが、正しい日本語と言うのは使うとわかるが、正しい日本語を使うと言うのは、言葉だけではなく、その言葉にあった文法を考えなくてはならないので、日本語で考えたり話したりするということにおいてもかなり鍛えられると思っているが、今日本人は教育に現場においても、家庭においても正しい日本語を学び理解することが要求されている。

よく礼儀やしつけと言う奴がいるが、私の考え方では礼儀やしつけと言うのは、まず正しい日本語を話すことからはじめなくてはいけない。
だから人にあいさつとか礼儀と言うのであれば、まず自分が正しい日本語を話さなくてはならないし、努力しなくてはならないのだが、しかし人にはあいさつしろとか敬語をつかえと言っている奴が、実はよくわかっていないと言うことがある。
日本語と言うのは難しい。そして我々が正しく理解してつかっているかと言えば、かなりあいまいである。
このブログを読んでいてあいさつの時に「チワーッス」や「チース」を気をつけて「こんにちは」に直したぐらいでは正しく言葉を使っているとは言えない。
きちんとその状況やその人の言葉に応じて適切な言葉や表現で返しているか、と言うことが問われる。
だいぶ前に人の名前を聞く時に「何さんですか」というバカな聞き方をしていた奴がいたが、小中学生や高校生を本当に正しい群れに導きたければ、まず日本語を正しく話す努力をする必要があると思っている。

少し抽象的ではあるが、言葉と言うのがいいかげんであったり、学んでいなければ将来に大きく響いてくる。
たぶん小中学生ぐらいではよくわからないが、それは大人になったらわかることで、前回のブログで挙げた勢いで話す奴なんかはそういうことをきちんとやってこなかったのだろう、日本語力がひくいと人に何かを伝えるときにそれが露呈して来るのだと思うが、言葉をきちんと学ばないと世界が限定されるいい例だと思う。

英語を話す人間が日本語がおろそかかと言えばそうではない。
意外と海外の大学を出た人間は、一般の人間が考える以上に日本語を正しくつかうが、それは正しくつかうことを心掛けているからだ。
これは笑い話だが、だいぶ前にマネージャーがここの親睦会を持った時に、出席を問う掲示板をつくってもらったのだが、その時焼肉がひらがなになっていた。
その時私は「お前焼肉っていう漢字あいまいやろ」と言ったら「何言ってんの、書けるに決まってるでしょ」とおこられたのだが、彼女は海外生活は長かったけど、私から見て日本語を正しく話すし、常識もきちんとわきまえていると思うが、海外に長くいても日本語を正しくつかえるのは、彼女が自分は日本人であると言うはっきりしたアイデンティティがあるからだと思っている。
外国語を学んだ人間は日本語も一生懸命勉強するものである。
ただ子供のうちに英語を学ばせるのは、アイデンティティの確立の問題もあるので、私はいいとは思わないが、しかし外国にいるから日本語のよさがわかるし、それを正しく話さなくてはいけないと思うのだろう。
最後にこれは私の持論であるが、日本人であると言うアイデンティティをしっかり持っている人間は、魅力があって、バランス感覚に優れていた。
意外とこういう人は海外に出た人に多いと思うが、たぶん外に出て行って日本と言う国を客観的にまた違うところから見て、いいところとわるいところを受け入れていって形成されてきたのだと思うが、外の世界に出て外国語を学ぶことは、自分を形成するうえでも大きなアドヴァンテージになると信じている。

ちなみに私がよく読む本は日本語の文法的な本である。
ちょっとした敬語の使い方や、表現などが書かれている本だが、ひまがあればなるべく見ておぼえるようにしている。















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