脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

色あせてはいけないもの 見栄のためにスポーツをやっているのではない

2018-03-22 | Weblog

久しぶりにハワイに行った時にアレンから試合のビデオを見せてもらった。特に印象的であったのは勝ってリングから降りてきた時の私の顔、近寄ってきたジウンに何かを言っているのだが、すごく達成感のある顔ですごくいい顔をしていた。自分で言うのもなんだがすごく絵になる。たぶんこういう顔はあの時代にしかできない表情だろう。それだけ私はボクシングを楽しんでいたのだと思う。スポーツの語源はラテン語でdeportareだ。これは楽しむということを意味しているのだが、この言葉が示すようにスポーツは楽しむもの、それは決して修行ではない。私から見たら日本のスポーツは修行、そして不公平だ。親玉におこられて気をつかって、一部のアスリートだけが特別扱いされる。会場に行くと偉そうにしている奴らがいて、そいつらがあたかも自分たちは試合の中心だとでかい顔をしてかたまっている。親玉も親玉で自分がそこでは偉いと思っているのだろうか、よその競技者をおいそことか、大したことでもないのに人前で戒める。私はこういう奴らを見ていつも思うことは、こいつらこういう態度を外国でもできるのかと言うことだ。たぶんできない。なぜならまず英語がわからないし、主張できない、私が競技者だったらそういう人間を心から監督には持ちたくないと思うだろう。

ハワイは平等で競技者が生き生きと競技できたと思う。負けたと思った試合で判定勝ちした時は終わってなぜ俺が勝ったんだと聞きに行ったこともある。しかし審判に聞きに行っても決して態度が生意気だとかそういうことは言わずにきちんと説明してくれたのだが、たぶん日本だったらなんだお前と戒められていたと思う。私の競技人生はたいした実績ではなかったが、しかしすごく楽しかったと心から言える。学生時代に経験したハワイでの試合ひとつひとつは貴重で、外国のリングで戦う自分はあたかもドラマの主人公のようであった。はじめての試合はダウンをとられたが逆転勝ち、会場は盛り上がって、ジョージやアレンがすごくエキサイトして、終わってブルーコーナーとコールされた時、ジョージが私の頭を引き寄せて頭にキスしたことをおぼえているが、本当に外国人が経験するリングでの出来事は貴重な経験であった。私はそんな自分をすごく楽しんでいたと思うし、楽しいから努力もできた。そしてそういう貴重な体験はまわりの雰囲気や人間関係から生まれるもので、そういう環境でボクシングできたことが本当によかったと思っている。勝ったとか負けたとかそんなことも大事なことだが、しかし私の経験上それを一番の思い出にするためには、どれだけそのスポーツを楽しんだかと言うことが一番重要なことだと思う。我々はすべてが主人公である。ボクシングをどういうかたちであれ、やっているということ自体その人たちそれぞれのドラマがあり、そしてその主人公が経験することは自分だけの経験で、それに向かって自分なりに一生懸命トライすることでその経験が本当に自分だけの貴重な経験となりうる。運動音痴、おっさん、女性そしてヘタレやビビり、そういう人たちにもそれぞれのドラマがある。そしてそれらすべての権利と存在を尊重したい。そしてそういう彼ら彼女らがここで楽しくボクシングを競技して思い出をつくってもらいたいと思う。

今日あげた曲は試合の帰りにかかっていた曲、この歌を聴きながらピーターの車で海岸線をはしって帰って行った。

 

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