脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

携帯電話のかけかた

2013-06-04 | Weblog
私は昔電話でうっとうしい会話になるとあるしぐさをする。それは携帯電話を持つ別の手で中指を立てながら話をするのだが、それは英語でいうところのF○CK YOUであるが、忙しい時とか夜の非常識な時間にかかってくる勧誘の電話にたいして、しかめっつらでもう一方の手で中指を立てながら、わかったわかった用があったらこっちからかけるから,もう二度とかけてくるななどと言うような感じで電話をきって、また再びきった電話に向かって中指を立てる。
あれは子供がまだ3歳になろうとするぐらいの頃、携帯電話に興味をもったことがある。
私は子供につかっていない携帯電話をつかわせていて、子供はその電話でよく電話をかける真似をして遊んでいた。
実際につながらない携帯電話であったが充電したら音も出るので子供は十分に楽しめる。その携帯電話を使ってうちの子供はよく遊んで満足していたものである。
しかしある時その子供が携帯をかけるようなしぐさを見てかなり驚いた。
何と彼は電話で遊んでいるときに、私がやっているように電話を持っていない別の手で、中指を立てたようなしぐさで電話をしていたのだ、どうやら電話と言うのはそういうしぐさでかけるものだと思っているらしい。最後の切った後のF○CK YOUまでは真似していないが、しかしこれはやばいと思ったので、電話は両手でかけるんだよとあえて両手でもたせて電話をかける真似をさせたが、この時子供と言うのは大人のしぐさをよくみているのだなあと感心したものである。

子供と言うのは大人の言動をよく見ている。前回の英語が理解できない、ホームページを見ても大人としてのきちんとした文章を書けない、俺たち勉強きらいでーす。というような雰囲気だだよう軍団が医学的にも問題視される子供のボクシングなどを奨励するのは危険で無責任だということをブログで伝えた。
前にも言ったが21世紀は特にスポーツは「わが国では」とか「われわれは」のレヴェルで物事を見るのではなく、グローバルスタンダードに立って世界はどう見ているかどう考えているかということを理解する必要があると言ったが、子供のボクシングも先進国である国の対応を見ればかなり消極的で、医師会がストップをかけているということが理解できる。
しかし俺たち勉強きらいでーすでは、英語が理解できないので、そういう情報を得ることができないばかりか、考え方がかなり固執したものとなる.
やはり21世紀のスポーツと言うのは学習能力が必要で、特にそれは指導する人間について言えることだが、子供にとってこういうせまい集団に入って影響されることが、いいことかどうかということは一般的な理解ができればわかることだと思う。

私がよくわからないのは日本人は話し合いになると必ずグループができることである。
これはよく理解できないがこういう傾向が村社会を生み出すと思っているのだが、特にボクシングははひどい、村社会ならまだいいが、仲間中心の暴走族的な集団だ。おまけに未だに師弟関係が存在するから時代錯誤の世界であるが、漫才の世界でもあるまいし、こういう関係をスポーツと言う横文字の世界でつくるのは非常に下品である。

日本人はグループをつくりやすい、特にスポーツの世界はそうだが、誰かが言ったことを誰かが擁護して、それに反対意見を言ったことを、そのグループがそれに対する反対を述べるのだが、日本では話し合いをすると必ずそこにはグループの存在があるのだが、問題は何をどういったかということではなく、誰が言ったかで、フランクに話しましょうなんて言っているけれでも、そこには力関係やグループなどがあって、異様なやりにくさを感じたものである。

はっきり言って2か国語や3か国語を話して、外国で学んだり生活したことがある人間は物事を広げる視野と言うものを持っていると思うのだが、しかし英語や語学に疎い人間が集まると自分たちの理解の幅を越えるのでそれを受け入れることができない。
この前話したUSAのルールブックは300ページぐらいで、さらに指導要領のような本があるが、これらはやはりUSAは多様性を認めなくてはいけない国家であり、ワールドワイドに物事を見ているからだと理解しているが、しかしそれにたいしてアマチュアボクシングはどうか?10ページちょっとの世界で、語学ができない物の見方がせまいとこういうところに大きな差が出てくる。

礼儀とかあいさつと言う前に公な場できちんとしたドキュメントを持つことは必要なことだ。
前にAIBAのヘッドギアの使用を義務付けたが、独占販売させたので、その発注が追いつかずに急遽WINNINGのヘッドギアを使用したらしいが、こういうことははっきり言って他の世界では通らない、バカまるだしとはまさにこのことだ、やはりこういったことは親玉中心の世界で、組織自体が機能していない、いわゆる自分たちはしっかりと何を守るべきかということがわかっていない、親玉中心の世界で暴走族的集団とはまさにこのこと、自分たちの機関が公であるならばきちんとした公的なドキュメントを持つべきである。

私は宗教学を勉強したが、宗教で集団ができ、それを組織化するために、まず行うのが宣言である。
その宣言はConfessionと言って自分たちが何を信じるかそしてどう生きるかということを文書化するのだが、その文書化に伴ってカテキズムと言うものがあって、これはその手引書みたいなもので、これらの文章はOfficial documentで、多くの人間が集まって群れを形成して組織化していくためには、ルールブックのようなものの文章化と言うのは、西洋では当たり前のことだと理解しているが、こういったドキュメントは非常に厳密に書かれ、かなり強い決定権を持つのだが、それは海外で自分たちが不利になるとルールの改正を求める西洋人たちの姿からうかがい知ることができると思う。

そういう公的なドキュメントを持たないということは、周りをよく見ていないということがいえるのだが、スポーツの世界は鎖国状態でひどすぎる。子供のボクシングに関しては中国なんかが金メダルを取りやすくなったので、子供の時から養成所に入れて訓練させているらしいが、はたしてそういう人権を軽んじている国がやっていることと同じようなことをするのが正しい事なのだろうか?
サッカーや他のスポーツならまだしもボクシングは頭をたたくスポーツだ、しかしその危険であるスポーツに対して日本のやっていることはその危険性について説明するのではなく(私はむしろその危険性を説明して自己責任を促すことの方が大事だと思うのだが)しかしただ大丈夫だということを強調するだけで、ひどい奴になると軽くうっているというような中学生の不良がするようないいわけをするばかりで、横文字で恐縮だが、こいつらにアカンタビリティーという言葉はない。
たぶんこういう言葉を聞いても何のことかわからないと思うのだが、人間の特に子供のデリケートな部分である頭をたたくスポーツであるのだから、まずその危険性を十分に説明した上で、自分たちはこういうやり方をしているということを伝えて、自己責任を促すことが大事なことであると思う。

そのため自分たちは何を守り、どういう理念に基づいて競技しているかということを公の文章としてまとめて持つことは大事なことである。


 
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