日本代表がワールドカップ出場を決めた。
本田がインタヴューでこれからの日本は「個」を磨いていくことが大事だとコメントしたことは有名だ。
私はだいぶ前から彼のことは日本人にはいないタイプだと思っていたが、本田だけではなく日本のフットボールは語学を重要視して外国に出て行っているので、国際感覚を持った選手が多い。
外国で勉強したり生活した人ならよくわかるが、日本に比べて外国では「個」を大切にする。
たぶん「個」と言ってもそれは外国語が話せなかったり、よその土地に行ったことがなければ理解しにくいことだと思うが、しかしこれが外国人と日本人の大きな違いだと思っている。
日本人はどちらかと言うと同じということで共感を得る民族だ。共通の話題を持ち、同じ趣味を持ってとか友達と言うのは、せいぜいそういう同じと言う共感をもってできるものだと思っている。
しかしこれに対して外国ではまずお互いの違いと言うものを認めることからはじまる。特にアメリカでは多くの民族が入り混じっているのだから、お互いの個性を認めないと協力し合って生存することはできない。
おそらく「日本で家の食事ではご飯をスプーンで食べて、箸は食べ物をとりわけるために」なんていうと「なぜ」と思うだろうが、しかし民族がいくつもある国では当たり前のことで、外国にいるとこういう違いや多様性を認めることの必要性が見えてくるものである。
それに対していつも思うことだが、インタヴューでチームの雰囲気がいいとか言うコメントはあほらしい、チームの雰囲気がよければ何なんだと思うのだが、集団が稚拙であると時には村社会的な和というものを重んじる傾向がある。
アマチュアボクシングも変な共通認識と言うか、村社会的な集団である。
私は親玉中心の社会で、変な秩序や仲間意識や親分子分の関係が存在することにかなり違和感があるのだが、たぶんこういう違和感と言うのは語学ができないことと、外の世界を見ていないからだと思うが、特に英語が話せないというのはこういう社会をつくる上では非常にディスアドヴァンテージである。
試合も非常に封建的である。
審判も人によっては威圧的で、髪の毛が目にかかっていたという学生にその場で切らせたということをを聞いたが、なぜこういう人権を無視したことが通るのか理解できない。
競技場も雰囲気がわるい、こういういかめしい雰囲気が競技者にも伝わっているのだろう、競技者が故意でやったわけでもないのにファウルをとられた時にペコペコと頭をさげる姿にかなりの権威主義を感じるのだが、普通故意にファウルをした場合でなければペコペコとあやまる必要はない、そういう時は「damn it!」「shit!」「what the heck!」のいずれかだろう?
さらに私が驚くのは試合後にお互いがお互いの陣営にあいさつに行って話をすることだがこれはよくわからない。
なぜ勝った相手が負けた相手にわざわざあいさつに行くのか?
ある試合でウルトラバカ高校生軍団は試合後には勝った相手に一応たたえるような感じのあいさつはしたが、その後親玉にあんな奴すぐにたおさなくてすみませんと言っていたが、こいつらは間違いなくバカだ、こういうことも狭い社会で、こいつらがたかだかボクシングができるからということが認められているから、こういう茶番ができるわけであって、こういうアホが存在し、こういうことができるのはその村を牛耳る特定の集団山賊が存在する村社会だからである。
しかしアメリカではアマチュアスポーツでこういうアホ軍団だけが認められることはない。
試合後アメリカでは握手はするがしかしその後で相手の選手のところに行って話をするなんていうことはない、私も実際勝った相手が試合がおわった後にこっちを見てくるので、何回か目が合った時ににこっと笑ったら近づいてきて話をしたということはあったが、しかしもし負けた人間に勝った人間があいさつに行ったとしたら、いやみいがいの何物でもない、場合によっては相手をおこらせてしまいケンカになるだろう。
こういうことで得意がっているが、しかし頭をたたかれるのだから人の倍以上は勉強せいと思うのだが、試合前のミットうちが滑稽である。
なぜこれから対戦しようとする人間の前で自分の手の内を見せるのか、こんなことまずありえないだろう。
たぶんこういうことができるのは村社会であるということと、そこには見えない力関係があって、それができるボクシング軍団がどやとばかりに威嚇しているのだろう。
会場のなるべく見えるところで親玉の指示に従って、パンパンパパンパンとリズムよくたたく姿は見事である。
ここでたたきおわった後にバク転でもすれば、見事な芸で、さらに太鼓でもあれば完璧なのだが、人の目につく場所で、人に見られているとあつくなってたたく自意識過剰の軍団が、おまえらどやという日光猿軍団まがいの大道芸を披露するのだが、私はこれをモンキーミット芸と呼んでいる。
韓国に「モルヌンゴシ ヤギダ(知らないことが薬だ)」と言うことわざがある。これは日本でいうところに「知らぬが仏」自分たちの軍団がいかにバカかと言うのは外の世界から見たらよくわかる。
親玉の顔を見たらいい。
本田がインタヴューでこれからの日本は「個」を磨いていくことが大事だとコメントしたことは有名だ。
私はだいぶ前から彼のことは日本人にはいないタイプだと思っていたが、本田だけではなく日本のフットボールは語学を重要視して外国に出て行っているので、国際感覚を持った選手が多い。
外国で勉強したり生活した人ならよくわかるが、日本に比べて外国では「個」を大切にする。
たぶん「個」と言ってもそれは外国語が話せなかったり、よその土地に行ったことがなければ理解しにくいことだと思うが、しかしこれが外国人と日本人の大きな違いだと思っている。
日本人はどちらかと言うと同じということで共感を得る民族だ。共通の話題を持ち、同じ趣味を持ってとか友達と言うのは、せいぜいそういう同じと言う共感をもってできるものだと思っている。
しかしこれに対して外国ではまずお互いの違いと言うものを認めることからはじまる。特にアメリカでは多くの民族が入り混じっているのだから、お互いの個性を認めないと協力し合って生存することはできない。
おそらく「日本で家の食事ではご飯をスプーンで食べて、箸は食べ物をとりわけるために」なんていうと「なぜ」と思うだろうが、しかし民族がいくつもある国では当たり前のことで、外国にいるとこういう違いや多様性を認めることの必要性が見えてくるものである。
それに対していつも思うことだが、インタヴューでチームの雰囲気がいいとか言うコメントはあほらしい、チームの雰囲気がよければ何なんだと思うのだが、集団が稚拙であると時には村社会的な和というものを重んじる傾向がある。
アマチュアボクシングも変な共通認識と言うか、村社会的な集団である。
私は親玉中心の社会で、変な秩序や仲間意識や親分子分の関係が存在することにかなり違和感があるのだが、たぶんこういう違和感と言うのは語学ができないことと、外の世界を見ていないからだと思うが、特に英語が話せないというのはこういう社会をつくる上では非常にディスアドヴァンテージである。
試合も非常に封建的である。
審判も人によっては威圧的で、髪の毛が目にかかっていたという学生にその場で切らせたということをを聞いたが、なぜこういう人権を無視したことが通るのか理解できない。
競技場も雰囲気がわるい、こういういかめしい雰囲気が競技者にも伝わっているのだろう、競技者が故意でやったわけでもないのにファウルをとられた時にペコペコと頭をさげる姿にかなりの権威主義を感じるのだが、普通故意にファウルをした場合でなければペコペコとあやまる必要はない、そういう時は「damn it!」「shit!」「what the heck!」のいずれかだろう?
さらに私が驚くのは試合後にお互いがお互いの陣営にあいさつに行って話をすることだがこれはよくわからない。
なぜ勝った相手が負けた相手にわざわざあいさつに行くのか?
ある試合でウルトラバカ高校生軍団は試合後には勝った相手に一応たたえるような感じのあいさつはしたが、その後親玉にあんな奴すぐにたおさなくてすみませんと言っていたが、こいつらは間違いなくバカだ、こういうことも狭い社会で、こいつらがたかだかボクシングができるからということが認められているから、こういう茶番ができるわけであって、こういうアホが存在し、こういうことができるのはその村を牛耳る特定の集団山賊が存在する村社会だからである。
しかしアメリカではアマチュアスポーツでこういうアホ軍団だけが認められることはない。
試合後アメリカでは握手はするがしかしその後で相手の選手のところに行って話をするなんていうことはない、私も実際勝った相手が試合がおわった後にこっちを見てくるので、何回か目が合った時ににこっと笑ったら近づいてきて話をしたということはあったが、しかしもし負けた人間に勝った人間があいさつに行ったとしたら、いやみいがいの何物でもない、場合によっては相手をおこらせてしまいケンカになるだろう。
こういうことで得意がっているが、しかし頭をたたかれるのだから人の倍以上は勉強せいと思うのだが、試合前のミットうちが滑稽である。
なぜこれから対戦しようとする人間の前で自分の手の内を見せるのか、こんなことまずありえないだろう。
たぶんこういうことができるのは村社会であるということと、そこには見えない力関係があって、それができるボクシング軍団がどやとばかりに威嚇しているのだろう。
会場のなるべく見えるところで親玉の指示に従って、パンパンパパンパンとリズムよくたたく姿は見事である。
ここでたたきおわった後にバク転でもすれば、見事な芸で、さらに太鼓でもあれば完璧なのだが、人の目につく場所で、人に見られているとあつくなってたたく自意識過剰の軍団が、おまえらどやという日光猿軍団まがいの大道芸を披露するのだが、私はこれをモンキーミット芸と呼んでいる。
韓国に「モルヌンゴシ ヤギダ(知らないことが薬だ)」と言うことわざがある。これは日本でいうところに「知らぬが仏」自分たちの軍団がいかにバカかと言うのは外の世界から見たらよくわかる。
親玉の顔を見たらいい。