脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

国際大会では通訳こそが重要だ

2014-10-10 | Weblog
アジア大会である中国人水泳選手の「今夜は中国国民にとって溜飲がさがる思いをさせた。正直に言うと日本の国歌は不快に聞こえる」と言う発言が物議を醸し出している。
こういう国際舞台で国歌を侮辱するコメントをのこした人間も人間だが、しかしそれに対してコメントした日本の選手団にはあきれた。
日本の選手団は彼の発言は悪意がないとコメント、さらに「孫選手と仲がいい。どういうつもりでコメントしたのかわからないが、翻訳が曲解された」と言っていたが、しかしこの選手団は自国の通訳よりも暴言をはいた、しかも国歌を侮辱した人間を信じようとするのか??

私はコメントを聞いていったい通訳を何だと思ってるんだと思うのだが、このコメントは通訳を軽んじていると同時に彼ら彼女らがいかにスポーツ村と言う小さな世界で生きているかと言うことが垣間見れると思う。おそらく彼ら彼女らの中では競技者が主役で通訳が脇役という構図ができていて、そういう考え方があるから競技者である中国人選手をリスペクトしたのだろうが、国の代表が国歌を冒涜されているもかかわらず通訳がおかしいなんて言うことは的外れなコメントでこういうことを言うこと自体スポーツバカである。
さらにこういう場面で仲がいいですよなんてコメントするのも非常に稚拙で、こういう発言自体体育会と言う狭い考え方から脱却できていない証拠、こういうメンタリティーであるから彼はモチベーションを上げるためにああいう発言をした。それは競技者にしかわからないなんて発言しかねない。こういう時こそカウンターをしかけるチャンスではあるが、しかし何もできないからなさけない話だ。

はっきり言ってスポーツは国境をこえると言うのは絵空事だ。
むしろスポーツは代理戦争でその代理戦争がある意味国民の鬱憤をはらす役割を担っていると思う。
私はこういう大きな大会では競技パフォーマンスもそうだが、その競技者や団体の言葉や行動など注意深く見ている、なぜならその国の人間の言葉や行動がその国の情勢を反映しているからで、そういう意味では言葉を伝える通訳と言うのは非常に重要な位置を占めている。

これは私の体験である。ボクシングはマイノリティのスポーツであるが、しかしそれでも私はその国の中に入ると東洋人である。それはたとえ小さな州であっても大会で東洋人が優勝するとなるとあいつだけは優勝させるなと躍起になってかかってくる。HIは比較的移民が多いのでそこまでえげつなくはないが、しかし実際にヨーロッパ系の白人にお前だけは勝たせないと言われたことは確かなことだ、日本のスポーツには国境はないのだろうが、しかし他の国は代理戦争、メンツをかけて戦ってくる。
韓国のようにきたないことをしようが勝てば官軍、それを食い止めるには水面下、あるいは言葉の力で威嚇していかなくてはならないと思うのだが、言葉を扱う通訳と言うのは重要な役割だ、その通訳を言いたいことを言う道具のように思っている人間は国際社会で生きていくセンスがないと思うのだが、まさにこの選手団の発言はそうである。

私は韓国語を教えながら向こうのいいところはもちろん、違う文化やこれはおかしいと矛盾しているようなところを伝えているが、これからの通訳はただ単に向こうが好きだからとか憧れとかというものだけではなく、客観的に相手のわるいところや矛盾点なども教えていく必要があると思っている。







この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なめられる日本人 | トップ | オリンピックの見方をかえる »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事