脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ハングルで手紙を書く

2013-01-09 | Weblog
最近企業ではメールを英語で書いているところが増えてきているそうで、実際に私の知り合いのところの会社も外資系に合併されてから、メールなどの通達はすべて英語で書かれているそうだ。
正直なぜ日本にいて英語でメールを書かなくてはならないのかという思いもあると思うが、しかし英語で伝達すると言うことはそれなりのアドヴァンテージがある。
英語でメールを書くという大きなアドヴァンテージとしては自分の考えていることや指示が的確に伝わること。日本語で伝えようとする時、どう表現していいのかと迷ったことでも、英語は日本語のように回りくどい表現をしないので、その目的を単刀直入に伝えるだけだから、日本語で書くよりも明確かつ迅速に内容が伝わるのではないだろうか。

話しはクラブの話であるが、クラブに来る人の多くは英語に興味を持っていたり、外国語に興味を持っている。
この前入会した帰国子女の子もKpopが好きで、運動不足で勉強などのストレスを発散させようとホームパージを検索し、ここのクラブのホームページを見て、ここだったらためになりそうだからということで来たそうだ。
今Kpopのあるアーティストにはまっていて、近い将来韓国語をマスターして好きなアーティストにハングルで手紙を書きたいそうであるが、やはり外国で多少なりとも育った人間はそういうことには積極的で、言葉をおぼえて自分の気持ちを伝えたいと言うのは、いろいろな文化にふれることで、刺激された知的好奇心であると思っている。

正直言ってボクシングの人はこういう積極性がない。
せまい限られた世界の中で同じようなことをさせられて何が楽しいのだろうかとおもってしまうのだが、こういう小さな世界にいたら、そういう積極性などもてることはないと考えているが、競技した理由も団体プレーが嫌いだからとか、精神力を鍛えたいから、目立ちたいからなどと消極的で短絡的、精神力を鍛えたいとか、精神的に強くなりたいと言うのは聞くだけではまともに見えるが、しかし考え方が抽象的で、ある意味ルサンチマン的である。
おそらく彼女のように好きなアーティストに手紙を書きたいと言う好奇心が、自分の世界から他の世界に目を向けさせるのだと思うが、はっきり言ってボクシングはそういう好奇心と言うか向学心が他のスポーツに比べて希薄すぎるのだが、それはこのスポーツの封建的な制度などを見たらわかることだ。

よくオリジナリティと言うことを言うが、しかし前にも言ったが他との比較なしにオリジナリティなんてありえない。
この多様性の時代オリジナリティをもつというのは、いろいろなものを知って比較することで生まれてくるものだと信じているが、狭い世界の中で生きていて、他者と比べる術を持たないで、個性だとかオリジナリティというレヴェルは単なる独りよがりであると思っているが、本当にオリジナリティと言うものを追求したかったら、自分の世界を広げてたと比較する必要があるのだが、アスリートが言葉をおぼえてよその国に行くのはまさにそういったことだと思う。

よくスポーツはバカではできないと言うことを言うが、21世はグローバルな時代になってきているので、こう言った知的好奇心を満たしていくことも、特にアマチュアの選手に課せられた課題である。
21世にはこう言ったグローバルな考え方をしなければ人間の成長はありえないと思う、アスリートもきちんと語学の勉強などをさせて国際的にもアドヴァンテージをとることができる育成は必要なことだが、まさに今の時代はそういった意味でバカではできないということが言えるかもしれない。
はっきり言ってどうしたら強くたたけるかとか、よけれるかといったようなたぐいは芸に等しい、よけたりたたいたりすることは、半分は本能なのだから、そんなものはサルでもできる。
芸に磨きをかけることも大事だが、しかしもう少し知的好奇心を刺激して、外の世界に目をむけさせることも大事なことだと思うが、なんせアマチュアボクシングはこういうことには疎く、よく指導する人間が英語で日常会話ぐらいできなくてはいけないと言っているが、そういう知的好奇心を刺激させる指導者と言うのは今の時代には必要ではないだろうか。

今日高校で体罰による自殺がおこった。
前から警告しているがこういうバカな事件は運動クラブの制度をみなおさなければ、また同じようなことが起こると思う。
よくスポーツは素晴らしい、感動的だと言うことを目をうるうるさせていうバカがいるが、スポーツと言うのは、ある意味麻薬のようなものである。特に判断力がまだ十分ではない過渡期の子供は、スポーツをするとゲームのようにはまってしまい、それはあまわりからみたらあたかもひとつのことに打ち込んでいるように見えるが、しかしもう少し冷静になって考える必要もあるだろう。
そういう状況下でアメとムチをつかいわけるクラブの顧問と生徒や親の関係は取り巻きをつくりやすい関係だ。
インタヴューである元部員がなぐられたけどそれは自分たちを喚起させるためで、顧問のところには卒業してもよく遊びに行っていたと言っていたが、こういう取り巻きの存在も危険である。アメとムチをつかいわけ、時には情をかけてつなげるやり方はやくざさながらであるが、中にはうちの子が喜んで楽しくやっているのだからと目をつぶっていた人間もいたのではないだろうか。

私は正直こういう親分子分の関係が生まれやすい、体育会にはもっと学校側が目を光らせなくてはいけないと思うが、私が聞いているだけでも集団退部や遠征中のキャバクラなどひどい話を聞いているが、運動クラブの顧問はもっと厳しく目を光らせる必要があると思う。

次のブログではバカ顧問とその取り巻きの人間がいかにそういう狭い世界を生み出し、害になっているかということを書きたい。
 




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