異国の小学校での出来事。
授業中後ろからひそひそと彼のことを囁く声がする。どうやらイルボン野郎とか何とか言っているようだ。
少年は常日頃からそういうことをひそひそと言われ続けてきたので、その時怒りが込み上げて大きな声で「ナ ヌン ○○○ イムニダ」と自分の名前を叫んで、その言ったであろうと言う奴につかみかかっておおげんかになったそうだ。
当然2人とも先生にその場でぼこぼこにされた。授業中に何をやっているのだとひどくなぐられたそうだ。
しかしなぜかその後、お互い仲良くはならなかったが、まわりは彼を認め尊重したらしい。
遠足に行っても一緒にランチを食べてくれる子供もできたようで、彼はそいつに立ち向かっていくことで、周りを認めさせたそうである。
男と言うのは時にはこういう荒々しいことを通して成長していくものだ、特に子供のうちはこういうこともひとつの自己表現だと思っているが、理由のあるけんかと言うのは個人差はあるが、人によっては必要なことだろう。
しかしこういう世界をいつまでも引きづるような世界は幼稚である。
逆境におかれた人間が力をつけて、その困難と言うか試練に逃げずに立ち向かっていくと言うことは、男らしいひとつの解決法のような感じもするが、こういうことは子供の世界だから通用することで、社会では通用しない。
特にボクシングクラブのような人が集まって、コミュニティを形成しているようなところは、人それぞれ正確が違うし、個性があるので、こういう力だけを誇示するような考え方から卒業する必要がある。
よく格闘技で強くなって自信をつけろというのは、何か力をつけたら周りは自分を認めるようになると言うことで自信がつくと考えているのだろうが、しかしボクシングをやったからと言って自信がつくというのは、根拠のないことで、ケンカをして相手をたたきのめすことぐらいが自信につながると考えるならば屈折している。非常に愚かなことである。(しかし今のアマチュアボクシングはけんかにもつかえない弱い、弱すぎる)
最近オリーヴでよく彼は自信がついたように見えると言う言葉を耳にするが、正直な話それは彼らが強くなったから自信がついたということではないと思う。
自信がついたと言われるようになった人たちは、性格的に特にかわったり、精神力がついたとも思えない。
ただひとつ言えることは楽しそうに練習に来るのだが、彼らが自信がついたように見えるのはボクシングと言うスポーツを通して、ひとつの楽しみができて、それによって自分の生活が満たされるようになったからだと思っている。
バカな集団はさも自分たちが強くなったかのごとく、武勇伝を語っていかに自分たちがすごいかということを言う。おそらく多くの奴が逆境を乗り越えて自分はこういうことをしたんだというたわいもないことをおおげさに自慢のだと思うが、しかしそれを裏返せば、バカだからそういうことしか自慢できない。それは本当の自信ではない虚勢で、そういう奴に限ってコンプレックスを抱えているものだ。
今この時代スポーツクラブの持つ使命は、そういう幼稚な武勇伝を持ち出して自信をつけろということではなく、その人間の生活を豊かにしていくことではないかと思っている。
おそらく人をたたきのめしたり、やっつけることで本当の満足感は得ることはできないし、そういうことが自信につながるとは思えない。
大事なのはこのスポーツをやっていて、楽しいかと感じれるかが重要で、このスポーツを本当に心から楽しむことができるから、心が満たされて生活が満たされるのではないだろうか。
ただ勘違いしてはいけないのは没頭(後犬のようにやらされて喜びを感じる奴)と楽しむこととは全く違うと言うことである。
競技だけを目的に一生懸命やるのもいいが、しかしそれが行き過ぎて燃え尽き症候群になって、引退したら無気力になって何もする気がなくなったと言うようなことをよく聞くが、しかしこれではスポーツをやっている意味がない。
プロ選手になるのなら話は別だが、全国に行けだの、相手を煽って追い込んで、そういう世界が本当のボクシングだなんていうような考え方は、アマチュアスポーツと言う枠から大きくはずれている。
オリーヴの目的は楽しくボクシングをすることで、ストレスを発散してもらうことである。
ここには運動クラブのような雰囲気はない、ほとんどが趣味程度で遊びの一つとして、真剣にやっているが、そういう日ごろいそがしく、中にはストレスをかかえた人がボクシングを競技することで、楽しい時間をつくり、そういったことから解放されてくれたらと願っているが、私はこの競技がバリバリ試合ができる時期を重要視せず、できるだけ長い間趣味として競技して、これを競技することがひとつのストレス発散や楽しみになってくれて、生活が満たされるようになったらいいと思っている。
あいさつができなくても、根性がなかってもどんな子供でもスポーツをするという権利はある。
気が弱いから人前で話せないと言う人間、根性がないから練習についていけない、そういう人間を最初から条件を付けて、やるんだったらこれぐらいのことはしろと切り捨てるのはおかしいことだ、ならお前はきちんと世の中で必要なことはやってきたのか、きちんと学校で机にむかって話を聞いていたのかと聞きたい。
たかだかボクシングだ、よく言うが今はそういうことを自慢するよりも、Toeicが700点とか複数の言葉を話せる人間の方が価値があるし、自慢になる。
知り合いの外国人はこの前日本で仕事をやめたと言っていたが、またすぐに見つけたようだ、聞くと大手で商品の説明をする仕事のようだが、給料はまあまあいいらしい。彼女は複数の言葉を話すので、そのアドヴァンテージを買われての採用だと思うが、今の時代スポーツしかできないようではみじめだ、それしかできない奴は固まる傾向があるので、先輩などのこねを頼って人にぶらさがるのもひとつの生き残りであるが、こういう生き方は一生うだつがあがらない。はっきり言って人にぶらさがっておいて、威勢よく逃げるな男なら勝負しろなんて偉そうなことは言うことは言えない。
偉そうに言うけどお前は一体どれほどの人間か、何だと思うのだが、威勢のいいことを言う奴の言葉なんか何も考えていないので矛盾していることが多い。
今はおれおれ詐欺程度の詐欺師でも大卒の奴がいて専門用語を並び立てて人をだますようだが、スポーツしかできないバカがこういう時代にまともに世の中を理解できるはずはない、できないから自分のことを棚に上げて愚かなことを言うのだろう。
ボクシングは趣味、そして社会に必要なやるべきことをやって趣味を楽しむから、その趣味が生きる意味で価値あるものとなる。
子供の関係で時々Kids stationというアニメのケーブルテレヴィを見るが、ワンピースもそうだが、こういう漫画の世界はバカボクサーのロマンそのもの、言っていることが同じである。
たぶん本など読まない奴がこういう漫画の影響を受けて、逆境から立ち上がると言うような世界を作り上げているのだろうが、笑止千万。
授業中後ろからひそひそと彼のことを囁く声がする。どうやらイルボン野郎とか何とか言っているようだ。
少年は常日頃からそういうことをひそひそと言われ続けてきたので、その時怒りが込み上げて大きな声で「ナ ヌン ○○○ イムニダ」と自分の名前を叫んで、その言ったであろうと言う奴につかみかかっておおげんかになったそうだ。
当然2人とも先生にその場でぼこぼこにされた。授業中に何をやっているのだとひどくなぐられたそうだ。
しかしなぜかその後、お互い仲良くはならなかったが、まわりは彼を認め尊重したらしい。
遠足に行っても一緒にランチを食べてくれる子供もできたようで、彼はそいつに立ち向かっていくことで、周りを認めさせたそうである。
男と言うのは時にはこういう荒々しいことを通して成長していくものだ、特に子供のうちはこういうこともひとつの自己表現だと思っているが、理由のあるけんかと言うのは個人差はあるが、人によっては必要なことだろう。
しかしこういう世界をいつまでも引きづるような世界は幼稚である。
逆境におかれた人間が力をつけて、その困難と言うか試練に逃げずに立ち向かっていくと言うことは、男らしいひとつの解決法のような感じもするが、こういうことは子供の世界だから通用することで、社会では通用しない。
特にボクシングクラブのような人が集まって、コミュニティを形成しているようなところは、人それぞれ正確が違うし、個性があるので、こういう力だけを誇示するような考え方から卒業する必要がある。
よく格闘技で強くなって自信をつけろというのは、何か力をつけたら周りは自分を認めるようになると言うことで自信がつくと考えているのだろうが、しかしボクシングをやったからと言って自信がつくというのは、根拠のないことで、ケンカをして相手をたたきのめすことぐらいが自信につながると考えるならば屈折している。非常に愚かなことである。(しかし今のアマチュアボクシングはけんかにもつかえない弱い、弱すぎる)
最近オリーヴでよく彼は自信がついたように見えると言う言葉を耳にするが、正直な話それは彼らが強くなったから自信がついたということではないと思う。
自信がついたと言われるようになった人たちは、性格的に特にかわったり、精神力がついたとも思えない。
ただひとつ言えることは楽しそうに練習に来るのだが、彼らが自信がついたように見えるのはボクシングと言うスポーツを通して、ひとつの楽しみができて、それによって自分の生活が満たされるようになったからだと思っている。
バカな集団はさも自分たちが強くなったかのごとく、武勇伝を語っていかに自分たちがすごいかということを言う。おそらく多くの奴が逆境を乗り越えて自分はこういうことをしたんだというたわいもないことをおおげさに自慢のだと思うが、しかしそれを裏返せば、バカだからそういうことしか自慢できない。それは本当の自信ではない虚勢で、そういう奴に限ってコンプレックスを抱えているものだ。
今この時代スポーツクラブの持つ使命は、そういう幼稚な武勇伝を持ち出して自信をつけろということではなく、その人間の生活を豊かにしていくことではないかと思っている。
おそらく人をたたきのめしたり、やっつけることで本当の満足感は得ることはできないし、そういうことが自信につながるとは思えない。
大事なのはこのスポーツをやっていて、楽しいかと感じれるかが重要で、このスポーツを本当に心から楽しむことができるから、心が満たされて生活が満たされるのではないだろうか。
ただ勘違いしてはいけないのは没頭(後犬のようにやらされて喜びを感じる奴)と楽しむこととは全く違うと言うことである。
競技だけを目的に一生懸命やるのもいいが、しかしそれが行き過ぎて燃え尽き症候群になって、引退したら無気力になって何もする気がなくなったと言うようなことをよく聞くが、しかしこれではスポーツをやっている意味がない。
プロ選手になるのなら話は別だが、全国に行けだの、相手を煽って追い込んで、そういう世界が本当のボクシングだなんていうような考え方は、アマチュアスポーツと言う枠から大きくはずれている。
オリーヴの目的は楽しくボクシングをすることで、ストレスを発散してもらうことである。
ここには運動クラブのような雰囲気はない、ほとんどが趣味程度で遊びの一つとして、真剣にやっているが、そういう日ごろいそがしく、中にはストレスをかかえた人がボクシングを競技することで、楽しい時間をつくり、そういったことから解放されてくれたらと願っているが、私はこの競技がバリバリ試合ができる時期を重要視せず、できるだけ長い間趣味として競技して、これを競技することがひとつのストレス発散や楽しみになってくれて、生活が満たされるようになったらいいと思っている。
あいさつができなくても、根性がなかってもどんな子供でもスポーツをするという権利はある。
気が弱いから人前で話せないと言う人間、根性がないから練習についていけない、そういう人間を最初から条件を付けて、やるんだったらこれぐらいのことはしろと切り捨てるのはおかしいことだ、ならお前はきちんと世の中で必要なことはやってきたのか、きちんと学校で机にむかって話を聞いていたのかと聞きたい。
たかだかボクシングだ、よく言うが今はそういうことを自慢するよりも、Toeicが700点とか複数の言葉を話せる人間の方が価値があるし、自慢になる。
知り合いの外国人はこの前日本で仕事をやめたと言っていたが、またすぐに見つけたようだ、聞くと大手で商品の説明をする仕事のようだが、給料はまあまあいいらしい。彼女は複数の言葉を話すので、そのアドヴァンテージを買われての採用だと思うが、今の時代スポーツしかできないようではみじめだ、それしかできない奴は固まる傾向があるので、先輩などのこねを頼って人にぶらさがるのもひとつの生き残りであるが、こういう生き方は一生うだつがあがらない。はっきり言って人にぶらさがっておいて、威勢よく逃げるな男なら勝負しろなんて偉そうなことは言うことは言えない。
偉そうに言うけどお前は一体どれほどの人間か、何だと思うのだが、威勢のいいことを言う奴の言葉なんか何も考えていないので矛盾していることが多い。
今はおれおれ詐欺程度の詐欺師でも大卒の奴がいて専門用語を並び立てて人をだますようだが、スポーツしかできないバカがこういう時代にまともに世の中を理解できるはずはない、できないから自分のことを棚に上げて愚かなことを言うのだろう。
ボクシングは趣味、そして社会に必要なやるべきことをやって趣味を楽しむから、その趣味が生きる意味で価値あるものとなる。
子供の関係で時々Kids stationというアニメのケーブルテレヴィを見るが、ワンピースもそうだが、こういう漫画の世界はバカボクサーのロマンそのもの、言っていることが同じである。
たぶん本など読まない奴がこういう漫画の影響を受けて、逆境から立ち上がると言うような世界を作り上げているのだろうが、笑止千万。