コロナウイルスの感染がひろがってきました。現在も多くの人がトレーニングに来てくれていますが、ジムでは必ずマスク着用、道具を使用した後はアルコールで消毒してください。ジムではなるべく大声での会話はさけてください。感染しないとと言う視点だけではなく、感染させないと言う視点を持って、注意して行動してくださいますようお願いします。
この前年配の会員の方に「練習生と言う呼び方はどうですか?」聞いてみた。「ここで練習しているから私はそれでもかまいませんよ」と謙遜されていたが、しかし年配の人を練習生扱いすることはいささか失礼のように思える。私は言葉をいくつかの言葉に置き換えれるので、引っかかる言葉は他言語に置き換えて考える習性がある。練習生は英語では「trainee」これは新しいスキルを学ぶための日本語で言うところの見習いのことである。traineeは企業で使われる言葉であるが、企業の概念の基本となっているのがクラウゼビッツの「戦争論である。戦術と戦略をわけて考えるクラウゼビッツの思想は今日の企業の組織のベースとなっているのだが、企業で使われる用語はクラウゼビッツの戦争論と言う哲学の影響が大きく、企業で使われる多くの専門用語や考え方はは彼の組織論によるものである。だからtraineeもどちらかというとそこで働く人を企業戦士とみたてた言葉であろう。うちのクラブに来ている人はほぼ100%と言っていいほど趣味でボクシングをしている人たちである、そういう人たちを練習生などと見習いともとれるような言葉でひとくくりにするのはよくない、私個人的には練習生と言う言葉は絶対に使わないようにしている。
しかしそう言ったらお前たちは会員にあだなをつけてるじゃないかと言う人もいるだろうが、しかしあだ名はその人個人と向き合って、親しみから出てきた言葉だ、ひとくくりに練習生などと呼ぶのとはわけが違う。
私個人の感想としてはボクシング用語は品がない、どちらかと言えば下品である。しきたり的なこともそうだが、用語もおそらく元をただせばヤクザ用語ではないかと思われるものもあるが、サンドバッグって一体何、ラスト30とか永遠にやっとれと言う感じだが、基本的に言葉を大事に扱わないと組織はダメになっていくと言うのは私の考え、国語力を磨いて、ジムではなるべく正しい言葉を使う、そしてある程度の知的レベルで会話ができる、そういう努力がジムの雰囲気をよくするものだと私は思っているし、実際にそうなっていることは事実である。
少ないボキャブラリーで教養が乏しい人間がベラベラと得意がって、武勇伝などを自慢げに語りだす、まわりが自分たちよりもできる人たちであればあるほど、負けたくないとわけのわからない闘争心を出してマウントをとろうとする。そういう人間に限って声がでかいので、まわりが圧倒されてそういう話しや雰囲気を受け入れてしまう。そういう人間が集まると一般の人がそこで練習しにくくなる。ジムには多少言葉を選ばないといけないと言う雰囲気がなければジムの秩序が健全にたもたれることはない。正しい日本語を話す、多少知的な会話ができる、これらのことは群れを正しくおさめる上では非常に大事で、不可欠なことだと思っている。
私はいろいろな文化を吸収しているのだが、基本的に政治の在り方は韓国人に近い、韓国人の後輩に尊敬の念を込めて?小セジョンと言われるが、私はセジョンみたいなところがあって容赦がない、しかしそれは会員の人たちが平等でかつ安全にトレーニングしてもらうためである。
戦争論を多少掘り下げて読むために参考として
「クラウゼヴィッツの戦略思考戦争論に学ぶリーダーシップと決断の本質」